こんばんは ⑥<蕪鍋(かぶらなべ)>
中村はまずい事を聞いたという思いに下を向いてしまった。
だが大島は新しいビールの缶を開けると、中村のコップに注いでやりながら。
「なに、もう三十年も前の話じゃよ。忘れることなんか出来はせんが、とっくに折り合いはついとる。それにワシにとっては女房は今も若いまんまじゃ。こうして酒を飲んでゴロリと横になると、今でもピチピチの膝枕を貸してくれるちゅうわけよ。わっはっは」
だがゴロンと横になった大島の頭には膝枕ではなく丸めた座布団が交われているだけだ。
そしてむっくり起き上がり酒を飲む。
「そうですか、そんな事が…… それからずっと一人だったんですね? 余程その奥さんを……」
「よせやい、そんなんじゃねぇ。ま、女房との縁が強すぎたって事だろう」
コップを置いた大島が酒を注ぎ足したが、注ぐ手がおぼつかないのか、おっとっとと言いながら酒がコップの縁にまで盛り上がる。
同じ警察署と言っても仕事が違うと、話すネタもそうは無い。ましてや警察という仕事柄、他の課員には喋れない事も多いのだ。
ふと無言の時間を持った後、中村が仕方なしといった風に切り出した。
「おやっさん、こうして食うと蕪の鍋も美味いもんですね。どうして食べた事が無かったんだろう? この白いスープもトロっとしててなかなか良い」
「おうそれか、このだしが白いのは米を一握り入れてあるからだ。もうすっかり溶けちまってるだろうがな。食った事が無いのは、さっきも言ったが、蕪は直ぐに煮とけてしまう。まめに手当てしてやらないとドロドロになっちまうから店には出せないし、あまり見かけないからやる家庭も少ないのだろう」
「考えてみれば人間にも居るな、いろんなのが。この蕪みたいに手厚く見ていてやらんと崩れちまうヤツもな……。中村よ、お前にゃあ悪い事をしたと思ってる。俺が降りてしまわなけりゃってな」
大島は中村と目を合わせず、窓の方を向いてぽつりと言った。
「お前、ガイシャと付き合っていたんだろう?」
大島の視線の先、窓には街灯の光が鈍く映っている。
中村の動きが一瞬止まった。
作品名:こんばんは ⑥<蕪鍋(かぶらなべ)> 作家名:郷田三郎(G3)