こんばんは ⑥<蕪鍋(かぶらなべ)>
「蕪はさっき入れたのがもう煮えてるぞ。溶けないうちに早く取れ。取ったら次のを入れておくんだ。沈んだらもう食える」
それから二人は鍋をつつきながら互いの近況やどうでも良い話題を楽しみながら杯を重ねた。
鍋の蕪はすぐに火が通る。大根と似た様なイメージがあるが、筋っぽさが無く、はるかに柔らかい。
熱々の崩れそうに柔らかいソレをポン酢で食べるとトロリとした食感が堪らないのだ。
「ところで、おやっさんはずっとひとりなんですか、結婚とかは?」
中村が熱々の蕪を口の中で転がしながら訊ねた。
「ん、お前は聞いとらんか? ワシも昔は結婚した事があったよ。いや別れたわけではないからあったというのは違うかもしれん。
結婚はむしろ早い方じゃった。交番勤務の頃に知り合って、結婚して直ぐに刑事になった。若かったんじゃな……」
大島がコップの酒を呷ろうとすると、大して酔ってもいないはずの身体がグラリと揺れて酒が少しこぼれた。
「おっと、勿体無いことをしちまった。今さら照れる歳でもねぇのにな」
訳のわからない言い訳をするところを見ると、見かけによらずだいぶ酔っているのかもしれない。
大島の妻はある事件の走査線に上がった犯人でもない男に殺されたのだった。
ある風俗嬢の殺人事件の捜査において、大島は張り切るあまりに大手商社に勤めるエリートサラリーマンを会社にまで押し掛けて事情聴取を行ってしまった。
男は無実であったが事件が事件だけにいろいろな噂が立ち、とうとう会社を辞めさせられてしまったのだ。当然表向きは自己退職という事になっているが……。
エリートのプライド故にだろうか? それとも失った地位が大きかったのか?
男は大島のアパートを襲いまだ新婚であった妻を殺害したのである。
初めから妻を狙ったのか、たまたま大島が留守だったからなのかは未だに判っていない。
男はその後に辞めさせられた会社ビルの屋上から投身自殺してしまったのだ。
作品名:こんばんは ⑥<蕪鍋(かぶらなべ)> 作家名:郷田三郎(G3)