ノックの音
最後の大戦があったのはもう二年も前の事だ。
あの戦争では勝利した国などは無く、つまりは『共倒れ』と言える様な状態に陥った。どの国も立ち直る意欲さえ、猛烈な爆風で木っ端微塵に吹き飛ばされてしまったかの様だ。
通信インフラが殆ど死んでしまったので、旅の途中で見聞きした事しか分からないが、僅かに残った人間は数百年前の自給自足、いやむしろ採集生活と呼ぶべき暮らしに戻ってしまった様だった。
我が国の様に爆弾で瓦礫の山になった国もあれば、防衛力が強固な国では細菌兵器等の邪悪な戦術でほぼ全滅したところもあるらしい。
医療の仕事でチベットの山奥を訪れていた私は、難は逃れたものの陸路を辿って旅をして来た為に、いつの間にか二年以上の歳月を費やしてしまったのだ。
両親の住んでいた都市部は惨憺たるものだった。
超強力な熱と爆風で中心部の地形が変わるほどのソレは、後に放射能汚染などを残さないクリーンな兵器だと、どこかの国の馬鹿が自慢していたが、成る程見渡す限りに更地が広がっていて、もはや何処が何処なのかも分からない程であった。
それでも流石に汚染が無いと言うだけある。夏にはさぞかし青々としていただろう雑草の群生が、冬枯れ色を強い北風に揺らされてザワザワと音を立てていた。
子供の頃の私は怖がりで、母が帰ってしまうと一人では中々寝付けなかったものだ。
すると叔母が私の名前を呼びながらドアをノックして部屋に入ってくる。
椅子に座って本を読んでくれる事もあったし、添い寝をして歌を歌ってくれる事もあった。
ただ何もしないで泣いていた事もあって、そんな時私はただ叔母にしがみつくより他に出来る事などは無かった。
私が成人してからの記憶の中での叔母は、いつも哀しげな顔をしていた。
叔父は外に愛人を作って家に帰らない様になっていたのだ。
ハルさんはしきりに「お子さんがお出来になっていれば……」と言っていたが、若すぎた私には幼い頃の輝かしい思い出があるだけに、余計に叔父が許せなかった。
仕事場が近かったのも有るが、そんな思いからだろう、日本を離れる前の私は、頻繁に主の居ない洋館を訪ねて、笑わなくなった叔母をかつての叔父のようなジョークで元気付けようとした。