かけおちシンデレラ
町へ入ると思いの外活気があった。出荷した米がもうお金に変わっているからかも知れない。都会では食料難という話だった。二人を好奇心で見るものも居ない。雑貨屋の主人に紙に書かれた住所を見せ、場所を聞いて賑やかな通りから横丁に入った。
「あれじゃない」と、小さな平屋を見て英作が言うと、操は少しガッカリした様子で近づいた。猫の額ほどの庭に枯れかけた雑草が生い茂っている。泥棒だって敬遠するだろうと思えるが、それでも玄関に南京錠がかけられていた。
操が気を取り直して鍵を開けて、中に入った。囲炉裏を囲んだ分と卓袱台がやっと置ける位の板の間、竈の回りが土間であった。玄関の他に一ヶ所に小さな戸があり、開けてみると目の前にポンプの井戸があった。そして後で継ぎ足したと思われるこじんまりした風呂場があった。一度外に出て入ることになるのだろう。操が風呂場を中を丁寧に見ている。五右衛門風呂であった。
再び家の中に入って、その部分だけが新しく、後で入れ直したと思われるガラスの入った引き戸を開けると、薄暗い畳の部屋があった。部屋の真ん中に裸電球が下がっている。紐を引くとあたりが明るくなった。陽焼けして色が茶色っぽい畳だが、しばらくは使えそうだった。ガランとした部屋は思いのほか広く見えた。庭に面した障子戸を開けると縁側があり、雨戸が閉めてある。
「あれ、どうなってんの」操が雨戸を開けようとしたが開かない。
「ここ、ここを引いて、ホラ」英作が簡単な木のカギのようなものを引いて開けると操は照れくさそうに「へへへ」と笑った。部屋がかなり明るくなった。そしてこれからの心配で少し暗かった気持ちが一緒に明るくなったような気がした。
操が押入を開けると、「あっ」と驚いた声をあげた。布団が二組入っていて、その上に手紙のようなものが置いてある。見るとトモキおじさんからで、「これは私と姉の贈り物です。仲よくガンバレ」と書いてあった。
「うれしい」と操は布団に顔をつけたまましばらく動かなかった。よく見ると肩が震えていた。かなり気強くしっかりとした思いで出てきたのだろうが、思わぬ親切に涙が出てしまったのだろう。お金はそれなりに持ってきたのだが、働き口が見つからなければそれとて心もとない。
少し泣いて、元気が出て来たのか、操は部屋中の掃除をてきぱきとこなしている。家で普段もしていたのだろう。英作は風呂場の掃除と井戸水を汲み上げるポンプの点検をした。ポンプは乾いていて、プシュっプシュと音をたてるだけである。英作は側に置いてあった雨水の入ったバケツから水をポンプに入れた。少しずつプシュからブシュッ、ギギギと音が変わり、柄を押すと力強い反応が出てきた。汚れた水がだんだんときれいな水に変わって行く。まるで英作の軽い戸惑いまでを流してくれたような気がした。
「よしっ」と英作は声を出して、勇気と希望を得たことを感じた。そのまま風呂に水を入れた。バケツで何倍も入れる。これは家でもやっていたことで、難しいことはない。そして庭の雑草を抜く。みすぼらしく瀕死に見えた家が生命力を取り戻してそれなりにきれいになった。
「きれいになったね」と縁側から操が声をかけた。
英作が振り返ると、割烹着姿の初々しい姿が見える。これからずっと一緒に居られるんだと夢のような気がした。自然に頬がほころび、頬が痛く感じる程だった。
一段落して家に入ると、卓袱台に漬物とおにぎりが並んでいた。操はしっかり用意してきたのだ。英作がぼーっとしている間に色々なことをやっている。七輪の上に薬缶が乗っていて、その沸いた湯を操が急須に入れていた。それからお茶を卓袱台の上に置いて英作の横に並んで坐った。くすぐったいような気分を感じながら、おにぎりに手を伸ばした。
「私が作ったの。うまいよ~」
謙遜して「まずいかもしれないけど」という人もいるが、自信たっぷりな言葉も操らしかった。おにぎりは美味しく、英作は言葉も出なく、ただニッコリして頷いて食べた。多分お世辞抜きで今まで食べた中で一番美味しい感動的な食事であった。
食休みをして町に出た。まず鍋と釜それに飯碗と箸を買った。包丁とまな板、お皿も数枚買って店を出た。操の顔は生き生きと輝いて見えた。
魚屋の店先で「若奥さん、サンマはどうだい」と声をかけられた操は、嬉しそうな顔をして英作の顔をちらっと見た。
「はい、ぼーっとしたいい男のだんな、さんま旨いよ」と魚屋は英作に言う。なんだか複雑に嬉しかった。
結局サンマを二匹買って、八百屋で買い物をして帰った。
「“若奥さん”だって」と操がはしゃいだ声で言う。
「“ぼーっとした”はよけいだよ、あのおやじ」と英作が言うと、操は声をたてて笑った。
家についてからも「しっかり、夫婦にみられたね」と操は笑顔で言う。英作は「くすぐったい感じがする」と言うと、「そうね。くすぐったい感じだね」と操が言った。何か足が地についていない感じでもあった。
「あ、そうだ」と英作は思いついて畳の部屋に入った。風呂敷包みは押入に入ってしまったのだろう。まだがらーんと広い。押入の中から自分の包みを出して、米を取り出した。とりあえず何日分かはあるだろう。そして、母から貰ったお金の包みを持って行き、狭い台所に買ってきたものをしまっている操に差し出した。
「ああ、そうだね。私があずかった方がいいかな」操は若奥様の顔になって言った。
ひとつひとつやることが新鮮で、嬉しかった。そのたびに抱きしめてやりたくなる。
そして夜になった。風呂から出て部屋に入ると、布団が敷いてあった。二人分並べてもまだ空間がある。八畳間らしかった。そのうちに何か仕切を置いて、操が裁縫をやる部屋とすればいいだろう。と考えているうちに操が入って来た。
湯上がりの寝間着姿も美しい。操は少し照れたような顔をして英作の側に来た。英作は布団に入って上半身を起こしていたのだが、操は同じ布団に足を入れ、隣にぴったりと寄り添った。暖かく柔らかい感触が太股に伝わってきた。ジーンとするような幸福感とうずきが全身をかけめぐった。