かけおちシンデレラ
養蚕の時期になって、忙しくなってきた。蚕というやつは、呆れるほど桑の葉を食べる。
蚕部屋に葉を囓るシャワシャワという音が響いている。英作は蚕の上に桑の葉をばらまきながら、操のことを考えていた。自分にこれからどうするのと聞いた。そして、誰か貰ってくれないかなあという言葉を言っている。それも二人っきりの時だった。操は俺と一緒になりたいのだろうか。本家から分家へ嫁に行くということなど出来るのだろうか。そして操は十八である。すんなりとことが運ぶとは思えない。手に職をつけることが先決だろう。大工、左官を志す者は十五歳ぐらいから見習いを始めている。ちょっと遅い様な気がした。少し遠くに紡績工場があって、そこに勤めるということもできるかも知れない。これはどんな仕事をするのか全くわからなかった。
「英作っ!」という父の声に英作は、作業が中断していたことに気づいた。
「まったく、お前はいつもぼーっとして、蚕が餓死するだろうが」
父は新しく摘んできた桑の葉をどさっと部屋に入れて、また畑に戻って行った。見ると最初に葉を入れた箇所はもう半分ぐらい食べている。これから葉を入れる所の蚕が伸び上がって催促するように一斉に体を揺らしていた。
だらだらと農作業を手伝いながら、時が過ぎて行く。次兄はもう婿入りして出て行った。操に会いたい。あの輝く笑顔を見たい。あの魂を癒す声を聞きたい。そう思いながら農道を歩く。操はあまり外出しないのだろうか。あるいはさせて貰えないのかも知れない。二人で芋を掘った日から後は、家にも畑にも来ることはなかった。
両親は俺に跡継ぎのいない家から婿へという話を待っているのかも知れない。英作の将来のことは何も言わなかった。そして、どこかでちょっと人手が足りないところがあると、父に言われて行くようになった。
朝未だ陽が昇らないうちに母に起こされた英作は、半分寝ている状態で教えられた田圃に向かった。空気の冷たさでだんだんと頭がすっきりしてきた。途中で本家の前を通ることになる。英作はちらっとでも操の顔が見られるのではないかということに気づいて、両手で顔を軽くたたいた。だんだんと本家が近づいてくる。
心臓がドキドキしてきた。陽はもう出ているのだろうが、もやが立ちこめてハッキリとは見えない。本家はまだひっそりとしている。
「コココ、コケッコー」とニワトリが鳴いた。そしてまた静寂になって、自分の歩く足音だけがひびく。
一面の黄金色の田圃が広がっている。まだ完全に陽が当たらず輝いてはいないが、だんだんと向こうの方が霞んでいて、絵画をみるような景色だった。その一箇所で煙があがっていて、数人が朝食の支度をしているようだ。近づいて英作は挨拶した。
若い女性が三人、興味深そうに英作を見た。そのうちの一人は恥ずかしそうにちょっと下を向き加減でほんのり顔が赤い。その仕草を見てやや年上と見える女性がひじで小突いた。
「ああ、ご苦労さんです」と老婆に挨拶されて英作はぺこりと頭を下げた
。
「あ、そこに坐って」と母の年齢ぐらいの女性に促されて、筵の上の空いた所に坐った。焚き火がしてあって、鍋が掛けられている。重箱が並べられ、漬物やおにぎりが並べられていた。労働の前に腹ごしらえをしようというのだった。
まだ早朝のせいか、それとも女性が多いせいか食欲はなかった。
「もういいのかい」という声に頷いて箸を置いた。お茶が出され、それを飲みながらあたりを見渡した。十人ぐらいはいるだろうか。それぞれ年代が近い者同士で話をしている。
父と同年齢の男はこの家の主人だろう。そして自分より五つぐらい上と思われる息子。この二人は黙ってお茶を飲んでいる。老婆二人が炊事係らしくまだ動き回っている。若い女性達は身体を小突きあいながら何か言っては笑い転げている。英作は操のことを思い出した。やはり若い女性はあたりの空気を明るくする。
主人が立ち上がったのを期に、皆用意を始めた。英作の目の前に鎌が差し出された。息子だった。恐ろしく無口な男だった。英作は「あ、どうも」と言ってそれを受け取った。
黙々と稲を苅った。腰が痛くなると伸ばしてあたりを見渡した。あれほど騒いでいた女性達もあまり喋らず働いている。よく見るとちょっと恥ずかしそうにした女性は、まだ少女に見えた。苅った稲を束ねる手つきも素早く、動きも素早い。もしかしたら男ではないかと思える。
英作の視線を感じたのだろうか、ふと目があってしまった。みっちゃんと呼ばれるその女はちょっと間を置いてプイと横を向いた。あからさまに興味がありませんという意思表示をしたのだろうか。英作は勘違いさせる目つきをしたのかも知れないなあと苦笑しながら稲刈りを始めた。