天才飯田橋博士の発明
15 時計を止めて装置
PCに接続してあるスピーカーから歌が流れていた。
私達のために 時計をとめて
いつまでも今宵が
過ぎないように
あなたとふたり 過ごすこの夜は
イーティック・タック
悲しみ やるせない想い
時計よおまえに 心あるならば
二度とないこの時を
過ぎないでおくれ
過ぎゆく時は かえらぬ想い出
だからお願い 時計をとめて
時計よおまえに 心あるならば
二度とないこの時を
過ぎないでおくれ
過ぎゆく時は かえらぬ想い出
だからお願い 時計をとめて
時計をとめて
(歌:グラシェラ・スサーナ)
飯田橋博士が、助手の神楽坂舞子に頼んだ資料を受け取りにきて、流れている歌に思わず「おお懐かしい歌だなあ」という言葉が口から出た。
舞子は「久しぶりに母の所に行って、借りてきましたんです。あ、母が博士によろしく言ってました」
事務的な調子でそう言った舞子は歌の世界に没頭しているようだ」
時計を止めるのは簡単だと思ってみたが、この恋心を解らない野暮ではないというわけで、博士は時間を止める装置は出来ないものかと考えた。それは不可能なのだが、状況次第で時が経つのを速く感じたり遅く感じたりすることはよくあることだ。薬を使えば出来そうな気もする……博士は頭の中にいくつかの薬品を思い浮かべた。だが、それらは副作用が伴う。博士は電子工学によって脳に刺激を与えることでやってみようと思った。
まてよ……と博士は考えをまとめようとした。嫌なことをやっている時間は長く感じる。楽しい時間はあっという間に時が経ってしまうと感じる。嫌なことをやっている時間を短く感じさせるには、これは楽しいことだと思い込ませればいい。そして、あっという間に過ぎてしまう楽しい時間を長く感じさせるのは、いやな退屈なことだと思わせることだ。
いやいや、それでは意味がない。楽しい時が長い時間あったと感じさせる……うーむ。
変えることの出来ない本来の時間と共存する形で、楽しい時間、楽しかったと思わせる時間を多くつくる。いや、多くあったと思い込ませるんだった。
結局それは記憶を操作するしかないのだろうか。博士は頭をかきむしった。沢山のフケが飛び散った。博士は自分のフケながらその多さに驚いた。そして何かが閃いた気がした。
博士はついに【時計を止めて装置】を完成させた。
♪過ぎゆく時は かえらぬ想い出
だからお願い 時計をとめて♪
歌いながら博士は、さてテストだ舞子の所に行こうかと思いながら考えた。いつもいつも舞子にテストさせて失敗ばかりだ。前回だって自分が先にテストをしておけば成功したかもしれないのだ。
博士はヘルメット型の【時計を止めて装置】を装着してスイッチをオンにした。
博士はテストし始めて、はたと気づいた。自分にとって楽しい時間とは? 確かに発明を完成させた喜びはある。しかし、まだ成功とは限らない。
♪時計よおまえに 心あるならば
二度とないこの時を 過ぎないでおくれ♪
頭の中に歌が流れている。博士は舞子の母である市谷若葉とその夫で博士のたった一人の親友だった神楽坂堅の顔が浮かんだ。同じお茶の水大学でよく三人一緒に行動していたものだった。
若葉が女王様っぽく、神楽坂と飯田が付き人風ではあったが、それは楽しい時間だった。
大学を卒業してからも二人だったり三人だったりしたが、交遊は続いており、若葉はますます奇麗になっていた。神楽坂は一流企業に就職し、いつの間にそうなっていたのか、若葉と神楽坂は結婚したのだった。
そして取り残された思いだった飯田橋博士には、若葉の友達が紹介された、博士にとって申し分のない素晴らしい女性だった。
博士は涙ぐみながら長い長い時間を回想にふけった。もちろん実際の時間も長かったのではあるが、【時計を止めて装置】のためにそう感じているのである。
博士は頭から【時計を止めて装置】を外して、しばらくぼーっとしていた。
ああ、なつかしく素晴らしい時間だったと思いながら博士は、目の前にあるヘルメットを見て不思議がった。「なぜ、こんなものがここにあるんだろう」とそれを手にとって物置に放り込んだ。
なつかしく素晴らしい時間を得たかわりに、失った時間があったのだ。
了
作品名:天才飯田橋博士の発明 作家名:伊達梁川