アカツキに散る空花
機体状況ディスプレイが薄赤色に染まり、『和』と書かれていた背面文字が『荒』に変わる。その画面に現在装填されている兵装、遠距離誘導魔弾『朝顔』が濃く表示されていた。
それを発射すれば、先手を制する事が出来る。
だがムラクモは兵装を変更した。中距離魔弾、『草薙』。十キロ以内から有効で、二キロ以内が一番効果を発揮する。
だが敵との距離は、約三十キロ。
ムラクモは何もせずにただ高速前進を続けた。
あっという間に相対距離が二十キロにまで近付き……先手を打ったのは、当然空鬼側だった。
《アマテラス》の機内に鳴り響く魔弾接近警告。眼前から墨色の魔弾と、一際大きな赤黒い魔弾が超高速で飛来する。着弾までには数秒の猶予も無い。
そして戦いが決したのは、その直後だった。
二つの魔弾が高速飛来する《アマテラス》に反応して、爆炎を噴き上げる。
墨のような漆黒と血のように赤い炎が空に吹き荒れていく。
だが橙と黄の天衣は急加速して小刻みに翼を翻して――その間を抜けた。魔弾の爆炎は慣性の法則に従って《アマテラス》の後ろへと抜けていく。
代わりに陽光のように輝くムラクモ機が、真正面にいる黒と赤の空鬼を五キロ半の距離に捉えていた。
誘導魔弾『草薙』、発射。
数秒を待たず、幅広の爆炎が空鬼達の反応する隙も無く空を薙ぐ。
緑の炎風に包まれた二体が、断末魔の牙鳴りを空に響かせる。赤と黒の羽を飛び散らせて吹き飛ばされた二体へ――《アマテラス》はさらに正面から接近していた。
直後、ムラクモは機体胴部下の推力噴出孔を一部だけ稼動。青い輝きに合わせて後尾が跳ね上がり、わずかに《アマテラス》の高度が上がる。
そして空鬼と交差した時には敵のすぐ上を、――逆立ちの姿勢で飛んでいた。
《アマテラス》は通り過ぎざまに機首を一薙ぎする。空鬼二体の背中へ叩き込まれる数十発の近接魔弾『舞桜』。
《アマテラス》はそのまま、機体を水平に立て直しながら通り過ぎる。
その背後で――空鬼達は全身から血肉を激しく噴出。
二体は墜落しながら、霧散していった。
『アマテラス、空鬼殲滅完了』
聞いた瞬間、ヒヂニは座席にもたれて渋い顔をした。
「くそ、惜しかった。たった今殲滅した所だ」
機体を水平飛行させながら応える。
その直後――視界のやや上方で、薄紅色の爆炎が爆ぜた。五方向に火弁が開く特徴的な中距離魔弾『葵』の一撃を受け、空鬼は粉々に四散する。
「ツクヨミ、空鬼殲滅完了。作戦終了……さて帰還するか、ムラクモ」
『了解。……でも、もう少し飛んでいたかったな』
残念そうに言うムラクモの言葉に、ヒヂニは苦笑して頷いた。
……管制院では、気の抜けた空気が流れていた。
驚きで目をみはった管制官達が、仕事の手も止めて空の彼方を眺めている。
「やれやれ……、私は英傑を過小評価し過ぎていたのかな」
ホヒは表情に苦笑を滲ませて呟いた。十年も前の記憶だ。多少の風化は仕方が無いのかもしれない。
そんな事を航空基地上空に現れた、無傷の神栄天衣を見ながら考えていた。
『管制院、こちら――……』
二機はちょっと散策飛行から帰って来たというような口調で着陸許可を求めてくる。
頭上の太陽を中心に緩やかに基地上空を旋回するその二機は、――神々しさすら感じさせた。
「……これが英傑だったな。頼もしい限りだ」
眩しそうに、ホヒが管制院から二機を眺めた。
――神国の剣、一騎当千の英傑。
なぜ彼らは歴史の中心にいつも居続けたのか。
その理由を、ここに立ち会った全ての者が――理解したのだった。
▼二.心中離別
……暁宮学習院の校庭で一人、遊び回る童達の輪に加わらない女の子が居た。
彼女は木陰に座り、長い髪の毛先をいじりながら、表情を沈ませている。
その女童は――将来『皇女』の地位に就く皇姫。
だが彼女は、ずっと孤独だった。
童達は滅多な事では彼女に近付こうとはしなかったからだ。
そしてそれが何故かを、彼女も分かっている。
別にみんな自分を嫌っているわけではない。避けたいだけなのだろう。
――ただ、自分を畏れている。
彼女にはそれが分かっているから、ただ一人木陰で待つ。誰かが話しかけてくれるまで。
そして今日もまた、その忍耐は徒労に終わってしまうのだった。
子供達の集う学習院でただ一人、友達ができない。まだ年端もいかない子供にとって、それは想像を絶する寂しさだろう。そんな自分を省みてしまい、皇姫はふいに顔を歪める。
そして木陰で、声を上げて泣いていた。
……きっとすぐに、お付きの一回り大きな侍女が飛んでくる事だろう。泣き縋る自分を優しく抱き締めてくれるに違いない。それでも嬉しい。だけどきっと、胸の寂しさは少しも……消えないだろう。
さらに悲しくなった皇姫は、強く声を上げて泣いた。親を呼ぶ赤子のように。
「――どうしたの?」
だがその耳に飛び込んできたのは、彼女の予想に反して違う声だった。
顔を上げた皇姫は、驚きのあまり涙が止まる。
そこには、笑顔を浮かべた少年が立っていた。印象的な焦げ茶の癖毛の下で、日に焼けた顔が活発な印象を与える。
だが愛嬌のある大きな瞳のおかげで、大人しい皇姫でも近づけそうな穏やかな雰囲気を漂っていた。
「ねぇ、怪我したの? 大丈夫?」
その少年は、心配そうな様子で彼女に怪我が無いか目を配る。
だが皇姫の頭は真っ白になっていた。心臓が高鳴り、唇が震える。
そして皇姫は強張った表情で訊ね返していた。
「……そなた、何者じゃ。わらわは皇姫であるぞ」
言った後、――すぐに少女は後悔する。
見知らぬ他人とほぼ触れず、しかも同世代の子供に避けられていた彼女は、思わず捻くれた言葉しか口に出来なかったのだ。
案の定、少年がひどく驚いた顔をしたので、皇姫の小さな胸は苦しく締め付けられた。
だが、どうする事も出来ない。彼が去ろうとするなら、引き止める勇気など無い。
弱々しげに目を伏せた皇姫の頭上で、少年が口を開く。
「……僕は英傑ハバリの息子、天野叢雲」
「…………」
そこで言葉を止められ、皇姫は戸惑った。
他の子供ならその後に必死に謝罪の文句を入れて、そのまま彼女の居ない場所まで去っていく。
だがその少年は、また再び予想を大きく裏切った。
「……それで、皇姫様。君の名前は?」
思わず息が止まる。
顔を上げた彼女の前には、柔らかな笑顔を浮かべる少年の姿があった。
真っ直ぐにその少女自身へ向けられる瞳。
その視線に押し開かれるように、皇姫は硬い唇を動かす。
「わらわは……日女稜威」
「ひるめ、いつ」
ムラクモという少年は口の中で呟いた。
イツの胸が早鐘を打つ。まるで全力疾走した後のように。
そして彼は当然のように、彼女が一番欲しい物を差し出した。
「……良かったら一緒に遊ぼうよ、イツ。僕達、友達になろう」
「――――――……っ」
再び、皇姫の頭は白く染まる。
眼前、ほんの少し手を伸ばせば届く場所に。
少年の小さな右手が、差し出されていた――。
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英傑二人の初出撃より、二週間が経っていた。