アカツキに散る空花
その間に度々空鬼の襲撃はあったものの、どれも大した規模ではなく航空団が被害無く撃退していた。
おかけで暁の中枢である暁宮もほとんど変わらない日常を送っている。政務全般を行う執務院はもちろん、皇女やその周りの侍女達の住む中殿でもそうであった。
「イツ様。もうすぐ三時ですわ。そろそろ準備を致しませんと……」
中殿にある皇女の私室へ、襖越しに声が掛かる。廊下に座ってゆっくりと襖を開くのは、薄桃色の着物に身を包んだ玉崎 郁子(たまさき いくこ)。
皇女専属の侍女であり、高位の巫女でもあった。
「……うん。すぐにいく」
ふとイクコが顔を上げれば、イツは私室の片隅の竹網戸を押し開いて――窓から身を乗り出していた。
「い、イツ様! 危ないですよ!! 何をしてるんですか!!」
「……大丈夫じゃ、慣れておる」
「慣れてるって、いつもこんな事をっ!?」
イクコは慌てて駆け寄り、イツの小さな身体を両手で抱き止める。
皇女の私室は中殿の二階に位置し、落ちればただではすまない。もしも……の事など、考えるだけで恐ろしい。
しかし、皇女であるイツのこんな行動を見たのはイクコにとって初めてだった。心労が原因だろうか……と一人イクコは心を曇らせる。
十二歳で今の上皇からその座を譲位されてから、約二年間に渡ってイツは『皇女』として生きてきたのだ。その辛さを……一体誰が分かってやれるだろう。
(年頃の女の子なのに、仕事場と部屋を往復するだけの日々。……そうよ、私だったらもっと早く飛び降りていてもおかしくないもの。よよよ……)
イクコは皇女に抱きつきながら、勝手に色んな事を想像して一人瞳を潤ませるのだった。
……とはいえまさかそんな想像をされているとは露知らず、イツは侍女を振り返って怪訝そうに小首を傾げる。
「……どうかしたかや?」
「いえ、いえ、何でもありません……。イツ様こそ、大丈夫でございますか?」
「ん……、わらわは元気じゃぞ?
今日もムラクモ達が勝負しておるのを、見ておったのじゃ」
「……へ? ムラクモ様達を?」
マヌケな声を出すイクコに構わず、イツは再び窓の外へ視線を戻す。
視線を辿れば、確かに暁基地の上空で熾烈な空戦を繰り広げる二機の天衣が見えた。
戦には疎いイクコでもそれは知っている。
橙と黄の天衣が《アマテラス》、紺青の天衣が《ツクヨミ》だ。
「ムラクモ……。頑張るのぞ……」
イツは真剣な表情で、こぶしを握って胸の前で構えている。
隣にいるイクコの事も目に入らないかのように、激しく空を翔ける二機へ瞳を向けていた。
橙と黄の天衣は小さな入道雲から出て来る。
――と、その直後、入道雲を回りこんできた紺青の天衣に後ろを取られ、橙と黄の天衣は大きく吹き飛ばされた。
「あぁ〜〜……。まーたやられちゃったじゃない……」
演習場の木陰に立つ四人の人影が、覇気の無い表情で青空を仰いでいた。
英傑ムラクモ親衛隊、サクラ隊である。
その頭上で、主人とも言える黄と橙の《アマテラス》は無様にも錐揉みしながら落下していた。
だが弱装魔弾『蕾』に被弾しただけの《アマテラス》は、すぐに態勢を立て直して水平飛行に入る。『蕾』は突風を起こすだけの兵器で、当然損傷などは無かった。
だが空戦訓練で勝敗を決するには十分な兵器である。そのはるか眼下の地上で、サクラ隊は帰還する二機を白けたように見ていた。
「あーあ、完敗ね……あれはもう」
「まぁ仕方ないよー。だってヒヂニ様ってエキセントリックなファイターだもの! もう相手が悪いよアレは! バッドだよっ!」
頭の後ろで手を組んで深い溜め息を吐くウズメと、意味不明な新語で騒ぎ立てるミサキ。
その後ろに座り、暑さに耐えかねて木の幹にうなだれていた隊長ホオリが、緩々と隣に立つ副長アスハへ顔を向ける。
「……今の勝負はどう思う?」
「そうですねぇ。場当たり的な判断、無駄な機動、読みの浅さ、色々要因はありますが。
特に……追い詰められると積乱雲に逃げ込む癖は直した方が良いでしょうねえ。あまり良い手ではありませんし」
そう呟いた言葉に、不思議そうにミサキが顔を向けた。
「ワーッツ? でも私、スクールで習いましたよ? 緊急時の回避先として有効だって。ねぇウズ姉?」
「そうね。ま、アタシは知ってるけどね」
「えー私だけー……ロンリー……?」
寂しそうに声を上げるミサキ。
二人のそんなやり取りを横目に見ながら、ホオリが尻を払いながら立ち上がった。
「じゃあミサキ、どうして入道雲に逃げ込むのが緊急時に有効な回避方法なんだ?」
隊長からの唐突な問いに、ミサキは少しキョトンとして口元に指を当てる。
「えーっとそれはー、天衣や空鬼、魔弾が入道雲の稲妻の影響を強く受けるからです。
つまり雷がすっごい鳴ってる入道雲の中では敵のレーダーから消える事ができて、魔弾も目標を失うし、雲で姿も隠せるので追撃を振り切るには非常に有効な手段だ……って習いました。パーフェクトじゃないですかっ?」
スラスラと教科書を読み上げるように、ミサキは得意そうに説明する。
それにホオリは目を閉じたまま頷く。
「四十点」
「えぇ!?」
「長所しか説明されてない。その回避戦術を取る上での短所は? ウズメ答えてやれ」
「うわ、……アタシに振ってきた。えーっと、何だっけ。短所はアレでしょ? まず、自分も敵をレーダーで捉えられない事。それからゼロ視界になること。後一つが……、入道雲の中の激しい乱気流にメチャクチャにされる事……?」
自信なさげに言うが、ホオリは頷いたのでウズメは軽く溜め息を付く。肩までの髪も揺れた。
「それで八十点」
「えぇっ、満点じゃないの!?」
ミサキと同じく完璧に答えられたと思っていたウズメが驚く。
ホオリはイタズラっぽく笑みを浮かべて、隣に立つアスハの顔を見た。
「こっからは現場の理屈だ。副長、講義してやれ」
「了解です。
まず基本的に、入道雲の中は激しい乱気流と稲妻や雹などが渦巻く非常に危険な空間です。そうすると突入を掛ける側は必然的に小さめの入道雲、もしくは直進してすぐに抜けられる座標を選択する事になるわけですがー。
……しかしですね、そうすると結局は同じなんですよねえ」
「な、なんで?」
「ワーイ……?」
思考が追いつかずに首を捻るウズメとミサキへ、アスハは頷いた。
「はい。つまり、逃げる標的が超高速で小さな入道雲へ飛び込んだ所で、出て来る座標はある程度予測できるんですよねえ。
つまり飛び込んだ座標の反対側に出て来る、と」
「あ、そっかそっか! アイシー! ……じゃあ、全然状況が変わって無いですね!?」
「いえ、むしろ悪くなってますよねぇ。何しろ雲の中に飛び込んだ時点で、少なくとも逃げる側は相手を見失っている。なのに、相手はこちらをほぼ捕捉しているわけですから……」
「そっか。空戦の原則は先手必勝。自分から不利な状況に飛び込んだようなものなのね……」
ウズメは話を聞きながら、納得したように一人で呟いた。その隣でミサキも感嘆の声を上げながら頷いている。
「ムラクモにそんな癖が付いてるなら、そりゃあ勝てないわけねぇ……」