アカツキに散る空花
だが天衣には大きく主翼に隊章が描かれている。そしてそれは確かに、彼の息子が乗る部隊の――最後の一機だった。
「誰か、誰か来てぇ!!」
さらに街に火の手が上がる。声を上げて神輿を担いだ一団がそちらへ掛けていく。延焼を防ぐ為に付近の家に掛け声を掛けながら神輿をぶつけ、打ち壊していった。
「ぎゃあああああああっっ!!!」
「空鬼が降って来たあぁああ逃げろぉおお!!」
急降下に成功した空鬼は見えない天上結界にぶつかり、霧散する。だがその黒い液体は雨となって街の一角へ降り注ぎ――その下で逃げ惑う人々を溶かした。
こんな状況で正気を保ってられる人間は、多くなかった。
「地獄だッ、誰か、誰かああああ!!」
「祭りだ!! 祭りを続けろおぉぉはっはっははは!!」
「助けてぇえ助けてぇえええ!! 皇女様! イザナギ様ぁあああ!!!」
暁は地獄絵図だった。
家屋が潰れ、下敷きになる人を踏みつけ、溶かされた人々の間を生き残った人間が歌い踊る。空では次々に天衣が撃墜され、鬼達が不快な牙鳴りを立てて飛びまわっている。時刻は昼にも関わらず、覆い尽くそうとする空鬼のせいで街は薄暗かった。
紫祭殿の屋上で、イツは強く目を閉じている。人々が泣き喚く声を神に訴え、救いを祈るように。
ふいに、正面で天まで立ち昇っていた炎が一瞬で掻き消える。
イツはハッとして目を見開き、何かに呼ばれたように後ろを振り返った。
直後――暁の街に異変が起こる。
「おーいっ、誰か来てくれぇ!! 生まれそうなんだッ!」
「生まれるって……子供かっ!?」
「……お、お前! 何もこんな時に生まなくても!!」
ふいに街の道端で、妊婦がうずくまっていた。その側で夫が蒼白のままに助けを求めている。
「――誰か、来てぇ!」
「産婆は居ねぇか!?」
街の各所から、突然そんな声が上がりだした。中には、既に赤ん坊を取り上げたらしく元気な泣き声も響いていた。
この瞬間、幾つもの命が一斉に生まれだしていた。
妊娠してまだ日数の足りない女の腹までもが、見る見るうちに膨らみ……丸々と太った赤ん坊を産み落とす。
「ど、どうなってやがんだ、これは……」
異変に気付いた、何人もの人間が不気味そうにそんな様子を見回す。
暁中を何百、千以上という赤ん坊の泣き声が覆っているのだ。
「奇跡だ……奇跡が起こった」
「……皇女様の、イザナギ神の奇跡だ! みな、祭りだ! 祭れぇ!!」
「せいやせいやーッ!!」
人々が途端に一際大きな声をあげ、また街を練り歩きはじめる。
赤ん坊の泣き声に祭りの歓声が重なり、そして上空では死守しようとする天衣操縦士達の悲鳴が上がっていた。
魔弾は祭りを盛り上げる花火のように空に炎を噴き上げ、赤と青、そして黒に彩った。無数の空鬼がそれに包まれて落ちて行く。紛れるように、天衣も灰銀の光を散らして四散する。
「……アレは……なんだ?」
最初に異変に気付いたのはホヒだった。
既に攻術神力が切れ、攻撃が出来なくなった彼女は飛び回って敵の注意を惹きつける事しかできない。
だがそれ故に広い視界を持ち、暁宮から立ち昇る光柱に気付いた。
天を貫く光は、今もまだ形を変え――ゆっくりと人型に変わりはじめている。
「アレは、まさか……」
紫祭殿の儀式上からも、その光の巨人は見えていた。だがイツは見上げる人々とは逆方向、光の元へ目を向ける。
――そこで神泉苑が輝いていた。
父祖神が眠るとされる、その泉が。
「……イザナギの、神――」
その小さな声には答えず。
光りの巨人が、ゆっくりと両手を開いた。
空を覆う空鬼の群れへ激しい爆炎が閃く。空鬼の群れは虫食い状に穴が空き、その代わりにそこから何かが飛び出してきた。
『増援だ!』
『天衣だ! イザナギ神の軍勢だッ!!』
「……これが……奇跡、か」
ホヒは自分の目を疑いながら、空を見回した。
空鬼を侵食するように、無数に現れた純白の天衣が苛烈な攻撃を繰り広げる。天衣の軍勢は空鬼と拮抗しながら、ジリジリと押し上げていく。
「皆のモノ……、続けッ! 父祖神と共に我らも戦うのだッ!」
ホヒが号令を掛ける。
一斉に鬨の声を上げた操縦士達が、残る天衣の神力と自分の気力を振り絞り、戦闘を再開する。
「……管制院、衝立船戸を発進させろ。今以外にチャンスは無いッ!!」
さらにホヒが、《黄泉岩戸》を塞ぐ特殊天衣の発進を叫ぶ。
イザナギ神の天衣集団はジリジリと空鬼達をこの暁の空から押し返している。
これでもし一時的にでも亀裂からの敵増援が止まれば、《衝立船戸》をその隙に落とす事も可能なはずだ。
敵の増援さえ、止まるならば――。
「頼むぞ……暁の英傑……ッ!」
ホヒは唇を噛み、天衣を駆った。
●
その進路に立ち塞がる敵は、黄金の弾幕を受けて灰塵と化す。
千を数える鬼達をただ一機で蹴散らしながら、《アマテラス》はその源へようやく辿り着いていた。
眼下に広がる広大な岩。
現世と地獄を繋ぐ、――《黄泉岩戸》に。
「亀裂を――塞がなきゃ」
岩の大地中心付近に長く伸びた亀裂が走り、無数の鬼達が煙のように舞い上がっている。
どこか空虚な瞳をそちらへ向けて、ムラクモは中枢動力核へ残り少ない神水を焚き付ける。操縦ではなく、感覚的に。元々少なかった制御神水が減少し、さらに感覚が鋭敏になる。
神栄天衣は――ムラクモとほぼ同化しつつあった。
風を身体に感じる。景色は風防越しではなく、直接に見える。自分と《アマテラス》の区別は曖昧になり始めていた。
だがそのおかげで動きは冴え渡っている。様子を見るために奇魂を切った《アマテラス》が急降下を掛ける。
低空から見る亀裂の様子は――おぞましかった。
すし詰めになって蠢く鬼達が、頭上を滑空する《アマテラス》を牙鳴りで威嚇する。
ムラクモはそれを歯牙にもかけず、地上へ照準を開始。
だがその瞬間――巨大な火球が蠢く空鬼達を焼き尽くして亀裂から現れ、《アマテラス》へと飛来した。
ムラクモは加速し、速度を得るためにあえて降下。
ほぼ一瞬で《アマテラス》も一飲みにするほどの巨大な火球が目前に迫る。だが十分に速度を得たムラクモは一気に急旋回を掛け、間一髪でかわした。英傑といえど、無謀な部類に入る離れ業である。
そのムラクモの眼下には――八つの首を持つ魔物が赤く目を光らせていた。
「――ホウ。イマノ一撃デ仕留メタツモリダッタガ……ナルホド。サスガハ陽光ノ神守ニ乗ル人間ヨ――」
「……八首龍鬼」
亀裂から八本の首をもたげて、張り裂けさせた笑みを浮かべる。その怪物の頭一つで、普通の空鬼と同じぐらいの大きさはあった。
だがムラクモは怯まずにその怪物を睨みつける。
「……怪物よ、大人しく地の底で眠っておけ。でなければ僕がお前を消し去る」
ムラクモが辛辣な口調で言い放つ。
しかし八つの赤い瞳は頭上を飛ぶ《アマテラス》を追いながら、笑った。
「――ホウ、ヨクゾ言エタモノヨ……。貴様コソ、モウ戦ウ気力ナド残ッテイマイ? ドウイウ気分ダ、仲間トノ殺シ合イトイウノハ――?」
その言葉に橙と黄の天衣は返事をしなかった。