アカツキに散る空花
即座に別の方角へと無理の無いように切り返す。加速を続けたせいでディスプレイ下の銅鏡にヒビが入る音が聞こえた。Gを防ぐその装置が割れれば――強力な加重に耐える自信は無い。
それでも速度を緩めず、ムラクモは一方的に行われる攻撃を避け続ける。
『……必死だな。だがそんな状態で、逆転ができると思っているのか?』
ふいに、レーダーに一つの機影が出現した。
奇魂の長時間使用は強烈な負荷を操縦士に強いる。粘り続ければ、ヒヂニもいつかは現れざるを得ないのだろう。
とっさにムラクモはディスプレイに目を落とす。表示された文字に。
《:天衣固有術起動:
『天照陽弓満射』――発動可能》
《アマテラス》が持つ最後の切り札。
普通の天衣には無い全方位照準装置が稼動し、背後の《ツクヨミ》を照準する。ムラクモの後頭部の少し後ろ辺りで標的指示ボックスが赤く点灯し、「発射」の文字を浮かび上がらせる。それを照準完了音でムラクモも知る。
だが、それを発動する事は出来なかった。
粘り続けるムラクモへ、ヒヂニは酷薄に言葉を投げた。
『諦めろ、逆転は無い。つまり……俺がお前の射程距離に入る事は無いぞ――ムラクモ』
ムラクモは顔を歪める。
見抜かれていた。
……痺れを切らしたヒヂニが近距離から直接仕留めに来るのを待ち、そこへ《アマテラス》の奇魂を発動すれば、圧倒的な弾幕にヒヂニ機が被弾する可能性は高い。
だが結局、その機会が訪れる事は無かった。
ヒヂニは冷静に《アマテラス》を分析し、それを脅威と認めていたからだ。
『……どうした? 俺は容赦せんぞッ!』
五発目の魔弾をヒヂニが撃ち放つ。
結果、先に動かざるを得なかったのはムラクモだった。
《アマテラス》は強引な機動で反転すると、さらに加速して急降下。高速の魔弾よりわずかに速い速度で空を駆け――小規模な入道雲の中へ飛び込んだ。
入道雲の中で荒れ狂う雷光の影響で、呪力レーダーから《アマテラス》が消える。五つの魔弾も例外ではなく、標的を失ってまばらに雲の中で爆炎を起こす。
だがヒヂニは会心の笑みを浮かべて天衣を加速させた。
「苦し紛れに積乱雲に逃げ込む癖は変わらんようだな、ムラクモォッ!!」
いつかの模擬空戦と全く同じ展開。高速下におけるムラクモ機が雲を抜けるポイントは――簡単に予測できる。
念には念を入れてもう一度、奇魂を発動。絶対に先手を取れる態勢を整える。
そして高速のムラクモ機に追いつけるように、入道雲の輪郭ギリギリを這うように加速旋回し――。
だが、呪力レーダーが反応したのは予想と全く別方向だった。
後方、高速物体が出現。
「――バカな!?」
ヒヂニが叫ぶ。ムラクモが飛び込んだ速度からして、遅れて追いかける自分の後ろへ出られるわけが無い。自然の法則からして、絶対に無理なのだ。
果たしてその予想通り、ヒヂニが振り返ってそこに見たのはムラクモ機では無かった。
空の彼方へ吸い込まれていくのは二メートル大の黄金の塊。見慣れない物体はヒヂニが視認した直後、轟音と共に空中で大爆発を起こす。
それは、魔弾だった。
「――――アマテラスの奇魂かッ!」
暗灰色の入道雲が、ふいに燦然と陽光色に輝く。
ヒヂニの呪力レーダーが無数の反応を検出する。入道雲の内側から全方位へと射出され――視界を埋める陽光の魔弾。
入道雲の周囲で次々に起こる大爆発で空が震え、天衣も激しく煽られた。
「こざかしい真似をッ……!」
即座にヒヂニは緊急回避のために旋回する。
だが次の瞬間、入道雲から飛び出した一発の魔弾が――《ツクヨミ》に高速で迫った。
ヒヂニの全身を途方も無い衝撃が揺さぶる。
操縦席から放り出そうとするかのような揺れに身体が激しく捻れ、手足の操縦架との接合部が取れそうになるぐらい圧迫された。ディスプレイ上の被弾状況が真っ赤に更新される。警報、警告、沈黙。
態勢を崩した《ツクヨミ》が錐揉み状態で落下していく。
だがヒヂニは必死に操縦を続け、各種ダメージコントロールを行って被害を最小限に食い止める。
「……まだだ、まだ戦える……!! 俺は、俺は――英傑にならねばならんのだッ……! 動けぇ――ッッ!!」
その気合いに応えるように《ツクヨミ》は落下しながら姿勢を回復。機首が上向いていく。
雲の下では豪雨が降っていた。奇魂を発動した《ツクヨミ》は雨すらも偽装し、風景に溶け込んでいたが――その全身から上がる青白い火花は隠し切れず水玉に反射する。
そして黄と橙の天衣が、――その頭上から降下していた。
ヒヂニが振り仰げば、相手の操縦席に悲しげに顔を歪めた、彼の姿が見えた。
「――ムラクモぉおおおおおッッ!!」
《ツクヨミ》は機首だけを上げ、《アマテラス》へ真正面から対峙。
そして二人は同時に、――――右手の親指を押し込んだ。
だが先に『舞桜』を放ったのは――《アマテラス》だった。
大破寸前の《ツクヨミ》は伝達系の反応が鈍く、一瞬遅れる。その差が勝敗を分け、ムラクモ機の掃射に直撃被弾。
主翼を砕かれた紺青の天衣が、――態勢を崩しながら魔弾を虚空に撃ち散らす。
雨を貫くように桜色の花びらが空に舞った。
上昇する慣性と重力が拮抗し、ヒヂニ機は一瞬だけ宙に静止する。
《アマテラス》がその横を通り過ぎる直前――ヒヂニの哀しげな目と、ムラクモの憐みを込めた目が重なった。
「……本気で戦ったから、僕は分かる。
僕を倒さなくても――君は最初から英傑だったのに、……ヒヂニ」
その声は大破した《ツクヨミ》にも届いたのだろうか。ムラクモには分からない。
橙と黄の大型天衣が通り過ぎた後、ヒヂニは力なく頭を背もたれに持たせかける。
地上へ加速する加重を感じながら、座席の中でヒヂニは自嘲気味に呟いた。
『…………そう、か。
バカだったのかもな、俺は』
亀裂の入った風防から、雨が染み込んできていたのだろう。目頭に液体が溢れ、後頭部へと落ちて行った。
ムラクモは落ちていく《ツクヨミ》を見届けようとはせず、天衣を旋回させる。その頬には一滴の涙が伝っていた。
それを拭う事も出来ずに、ムラクモは空の彼方へ目を向ける。強い意志を持って。
「……閉じに行っていくるよ、ヒヂニ。黄泉岩戸を」
ただ一機の神栄天衣《アマテラス》が加速する。
暁を救う為に。
暁の街には、盛大な祭りの音が響き渡っていた。
一際大きな掛け声と共に、それぞれの辻で出会った神輿と神輿がぶつかりあう。余りの激しさに最前列に居た何人かが負傷し、呻きながら倒れる。
それでも、人々はやめなかった。
はやし立てるように笛の音が吹き乱れ、琴をかき鳴らし、狂乱したように太鼓を叩く人々が練り歩く。それにあわせるように早口の合唱が人々の口から紡がれる。
祭りは熱に浮かされるように加速して、人々は喚き散らしていく。
その空に溢れるのは――無数の空鬼と、わずかな天衣だった。
「そんな……ああ!!」
中年の男が空を仰ぎ、膝を付く。
一機の天衣が暁へ降下する鬼を止めようとして、すぐ上空で体当たりを掛けたのだ。その天衣はバラバラに散りながらも、鬼を道連れにした。