アカツキに散る空花
何かに憑かれたような低い声、そして髪を振り乱して叫ぶ振る舞いに人々は慄いた。誰しもが炎柱を背中に叫ぶ皇女に畏怖を覚える。
「――祭りを続けよッッ!!」
晴天の霹靂のように響いたイツの絶叫に、クモの子を散らすように人々は走り出した。
自分が投げ捨てた、祭具の元へ。
空が流れ、大地が流れ、縦横無尽にこの何も無い空間を飛び回る。両手の感覚は天衣の内臓にでも食い込まれたように消え去っていた。
操縦に指を動かすのではなく、――翼を動かす感覚に変わる。
目の前の黄と橙の天衣は、必死に逃げ回っているが……それを捉えるのは時間の問題だった。
高機動性と高運動性を可変翼によって両立する《ツクヨミ》に、安定性能が取り得の《アマテラス》が一対一で遅れを取るはずが無い。さらに付け加えればヒヂニの操縦技量は折り紙付きだった。
「いつまで逃げ回っている! 戦わないならここで散れ、ムラクモォ――ッ!!」
距離を詰め、《ツクヨミ》が『舞桜』を連射する。桜色の小さな魔弾が花吹雪のように大型天衣を捉え、その翼を穿った。
とっさに回避機動を取ったムラクモ機は、しかし機動が鈍る。右翼についた推力噴出孔が被弾し、二つほど破壊されていた。
「――ヒヂニ、どうしても僕を倒すつもりなんだね……?」
「さっきからそう言っている! いい加減に目を覚ましたらどうだ!」
「……分かったよ。
でも僕は……君の事を大事な友達だと思っていたんだ。唯一の親友だって。
それでも君がこうするしかないって言うなら……」
《アマテラス》はふいに高速で急上昇した。
再び照準しながらそれを追っていたヒヂニは、機首を立てた拍子にまともに太陽の光を直視する。
目が眩み、陽光の中に橙と黄の天衣を見失う。
「チッ……!」
目を細めて太陽を睨みつける。
加速しながら陽光に煌めく大型天衣が日輪から外れ、青空へ飛び出すのが見えた。
白い雲を曳きながら、《アマテラス》は翼を傾ける。
「僕は英傑として、護るべき者達のために君を倒す――ヒヂニッ!!」
眼下に、《ツクヨミ》の上面部が見えた。ムラクモはそれを「敵」と認識して、空を横滑りしながら落下。各部の推力噴出孔を稼動しながらヒヂニの頭上を通り過ぎ――その後ろへと回り込んだ。
「小賢しい真似を!」
ヒヂニが叫び、鋭い旋回をかける。視線の先で可変翼によって最適角に主翼が変化し、旋回半径が縮んでいく。
だがそれを易々と逃がすムラクモでは無かった。風防上の標的指示ボックスが《ツクヨミ》を認識して動き出す。
そして――相手機の僅かな挙動から、ヒヂニの行動を先回りした。
絶大な集中力。見えない気流を読み、背後の雲の配置まで覚え、相手のどんな挙動すらも見逃さない。
その集中力は、極限まで研ぎ澄まされていた。
自分の行く手を塞ぐ相手を、――暁の平和を脅かす『敵』を排除するために。
『何だと――!?』
ヒヂニが驚愕の声を上げた。自機のすぐ後ろ、必中距離にムラクモが張り付いている。模擬空戦では発揮されなかったその潜在能力に――戦慄する。
「捉えたよ……ヒヂニ!」
風防を飛び回っていた標的指示ボックスがヒヂニ機と完全に重なり、――「発射」の文字を表示した。
同時にムラクモは指を押し込む。
微かな震動と共に放たれる中距離魔弾『葵』。高速で迸るそれに対して、既にヒヂニ機は回避機動を取っている。
次弾装填まで、残り約二分の一秒。――逃げられる。
ムラクモは左手の小指と薬指を押し込み兵装変更。装填時間を必要としない近距離魔弾『舞桜』を選択すると、手動照準を開始。
爆炎が閃いた。五つの火弁が空に花開くが、その隙間を縫って《ツクヨミ》は爆風を背に受けながら加速する。
だがムラクモはその進路方向へ、百数十発の小型魔弾を撃ち込んでいた。青い空に桜色の花びらが吹き散った。
だがそれを予期していたかのように、《ツクヨミ》はそのすぐ手前で垂直に天衣を姿勢制御して急減速、踏み止まる。
だがそれでも弾幕の全ては避けきれず十数発の魔弾が装甲を穿ち、紺青の内側から火花を噴き上げた。
微かに揺らいだヒヂニ機へ、ムラクモは――既に次弾を発射していた。
爆ぜれば面を凪ぐ幅薙魔弾『草薙』。
やっと急減速状態から加速を始めた紺青の天衣を、その魔弾は完璧に捉えていた。
広範囲を攻撃する魔弾を回避するのに、運動エネルギーが絶対的に足りない。
命中は、確実のはずだった。
「やるじゃないか……ムラクモ」
冷えた声と共に、ふいに《ツクヨミ》を球形の闇が包み込む。
そして、その周囲を銀の文字が浮かんだ。
――――月読闇夜新月
直後、その姿は消え失せた。
闇が霧散していく。ふいに何も無い空間で小さな火花が上がる。
恐らくは先ほど被弾した弾痕から上がったものだろう。見えない機体は上昇していったようだった。
一方で標的を失った『草薙』は先ほどまでそこにいた《ツクヨミ》を貫き、一拍遅れて緑の爆炎を開かせる。
『今のは危なかった……。だが、お前が俺に勝てるわけが無いだろう? 一対多に強いアマテラスではなく、一対一で最高の能力を発揮する――このツクヨミに』
機内に淡々としたヒヂニの声だけが響いた。
ムラクモは返事をしないまま目を凝らし、八方に視線を配る。
何の姿形も無い空。所々に夏の入道雲が浮かび、その隙間に青空と陽光が輝く。少し目を落とせば、暁の緑で覆われた大地と、田畑が見えた。
先ほどのヒヂニ機の火花すらも見えない。見えたのは姿を消す一瞬だけだ。
しかし第六の知覚とも言うべき感覚で、それとも天衣と同化を始めたためか、ムラクモは気流の微かな変化に気付いていた。
――――ヒヂニ機は近くにいる。
だがその姿が見えないのだ。レーダーにも映らない。その居場所を捉える事は、不可能。
ムラクモに取り得る手段は、全力の機動を続ける事だけだった。
ふいに、ムラクモの耳を警報が叩く。
「っ――!」
ムラクモがレーダーに目を落とす。二キロほど後方から薄紅色の魔弾が高速で飛来する。ディスプレイ画面を見ながら、全速で回避機動を取った。
『さぁ英傑の座を俺に譲れッ!
……それで俺は、運命に打ち勝ってやるッ!!』
ヒヂニの声と同時に、さらに警報が重なる。別の角度からもう一発の魔弾が飛来している。
神経をすり減らしながら現状取り得る最適な回避機動を行う。と、さらに……もう一発の魔弾が射出されたのを警報の音から知った。
追い詰められている。
この何も無い空が、――着実に狭まりつつあった。
「く――――っ!」
三発の魔弾を完全に振り切れないまま、《アマテラス》は高速機動を続ける。しかし右の翼が重い。右翼の推力噴出孔が二つ破壊された事が致命傷になりつつあった。
それでもムラクモは諦めず、険しい表情のままに空を探る。
だが視界に映るのは憎いほど晴れた空と白い雲。紺青の天衣は欠片も姿を見せない。反撃の機会があるとすれば――ただ一度だけ。
四発目の魔弾が発射される。
警報を聞かなくとも分かった。薄紅色の『葵』が、ムラクモの回避先に立ち塞がるように現れたからだ。