アカツキに散る空花
ぐるりと首を巡らし敵影を探したムラクモは強張り、戦慄する。
周囲に敵影は無い。
代わりに左側の雲が途切れた先で、機首をこちらに回頭する紺青の天衣が見えるだけだった。
『俺の血は呪われているんだよ、ムラクモ』
恐るべき告白。ヒヂニが自分を照準しているとしか思えない状況。
そして何よりその悲しげな声音に、ムラクモの思考が止まった。
言葉にならない悪寒。しかし照準された警告音は、確かに耳に響いていた。
ムラクモが瞳を動かす。
激しい風切り音を響かせて、紺青の天衣は高速でムラクモの頭上を通り過ぎていった。
その一瞬、ほんの刹那だけ彼と目が合った。
……それだけで、友達だと信じていた相手の気持ちがなぜ分かってしまうのだろう。
――――ヒヂニが自分を、本気で撃墜しようとしている事を。
「――ムラクモ、貴様が俺にとっての運命だ」
耳を叩く警報の音が変化した。
先ほどの間延びした警報音から、より速く荒々しい音へ。即座にムラクモが両手に力を込め、天衣を鋭く旋回させる。
――薄紅色の魔弾が、背後に迫っていた。
「どうして――ッ!! こんな事、何の意味も無いのにッッ!!」
感情が溢れ出したような悲痛な叫び。
しかし返ってくるのは淡々とした声だった。
「意味はある。俺は実力で英傑のお前を超えてみせる。……お前を倒す事ができれば、俺の運命も取り戻せるんだ」
ヒヂニは縦横無尽に動く大型天衣の後ろを捉えながら、細かに《ツクヨミ》を操作する。主翼や機首、機底部の推力噴出孔が開閉して《アマテラス》と動きがシンクロした。二機の天衣は大空を舞い踊るように高速で駆ける。
「ヒヂニ、目を覚ましてよッ! こうしている間にも、航空団の仲間達が死んでる……。
それに僕を落としたら、君は一人だけで亀裂を閉じなきゃいけないんだよ!?」
『……魔物との取引は済ませてある。――お前の首と引き換えにな』
「え……?」
戸惑うような声を無視して、ヒヂニは正面に《アマテラス》の尾翼を捉えていた。
そこに重なる半透明の『発射』の文字表示。ヒヂニは右の親指を押し込む。
天衣が震え、その胴部脇から薄紅色の魔弾――『葵』が放出される。
「……本気、なんだね……」
《アマテラス》は即座に姿勢を変えた。
推力噴出孔の青い輝きを放出しながら、機体が九十度回転。両翼を地面と垂直に立てて青空に浮かぶ。左旋回姿勢を取った《アマテラス》はそのまま、――左へ行かず直進を続けた。
両翼全ての推力噴出孔が開き、青い輝きを空に振りまいている。
通常は旋回のために使うその装置が、今は直進方向への推力となっていた。
ムラクモ機へ高速で魔弾『葵』が突進していく。標的との相対距離が一キロを切った、直後。
ふいに《アマテラス》両翼の青い輝きが消失する。
弾かれたように大型天衣は左方向へ急加速。
鋭角的な急旋回に付いてこれなかった魔弾『葵』はそのすぐ後ろを通り過ぎ、何も無い空間で五つの火弁を開かせて大気を焼いた。
「っ――!」
無傷で魔弾をかわしたムラクモは、しかし表情を変える。
ヒヂニ機との相対距離が埋まっていた。近距離から攻撃されればそれだけ回避は難しくなる。機動力に勝る《ツクヨミ》を相手にしては、必中距離まで接近されるのも時間の問題だった。
「…………ヒヂニ」
『諦めろ、俺は本気だ……。
さあ掛かって来いムラクモ! 決着に時間を掛ければ、その分暁は地獄に変わるぞ……!』
促されるように、ムラクモは来た方角へ目だけを向ける。
遠い空で交戦する暁航空団は太陽を反射して銀光を輝かせながら、――ゆっくりと黒い
群れに飲み込まれていた。
『総戦力、およそ四割減少!』
『敵進攻速度が上昇! 敵を防ぎ切れません!』
『左翼防衛線崩壊!』
「持ち堪えろ! 神国を護りきれ!!」
叫びながら、ホヒは表情を険しくゆがめた。
不快な牙鳴りを立てる黒い群れに暁航空団は少しずつ侵食されていく。まるで十年前の悪夢の再来。いや――続きだった。
『団長、百体以上の空鬼が崩壊した左翼から後方へッ――!』
「……百体!? くっ――四十機ほど追撃に回せ! 天衣をぶつけてでも敵を止めろ!!」
『了解ッ! 私が指揮を取ります! 団長……どうかご無事で』
「ああ。あの世で会うのは……そう遠くはなさそうだがな」
天衣と鬼が高速で交じり合いながら、爆炎を閃せる戦場の空。
黒、灰、赤、青、紫、黄、緑、それぞれの色が空を染める。青い背景をまるで自分の色に変えようとするかのように、それぞれが意思を持って乱舞している。
その中からまばらに天衣が機首を翻す。眼前から迫る墨色の空鬼達を無視して後方へ。
その方向では、神国『暁』を目指して加速している――黒い一群があった。
『神生祭』の熱気が最高潮に達していた暁の街は、ふいに国民達の悲鳴と逃げ惑う駆け足に染まった。
「お、鬼の大群だぁああ!!」
「なんて数なの……! この国はどうなるのッッ!?」
「終わりだ……俺達はみんな死んじまうんだ!!」
人々は恐慌し、楽器も神輿も祭具も捨てて逃げ出した。行く宛も無く、ただ最後の拠り所――暁宮へと。
何千という人々が暁宮に集い、何万という人々がその元へ目指す。
そんな救いを求める彼らの声の中心――そこに、皇女は居た。
一国、十万に届く住民を擁する神国の長として、紫祭殿の屋根から突き出た儀式場に立つのは年端もいかない一人の少女。
目の上で切り揃えられた前髪、自分の背より長い髪。人形のような顔立ちに初雪のような白い肌を持ったイツは、皇女として神祇装束に身を包んでいた。
だがその頬には朱が差し、その場に立っているだけで呼吸が乱れていた。焦点は合わず時折小さな頭が揺れる。
儀式場の中心では明々と炎が焚かれ、四隅にはサカキが立ててある。紫祭殿の建物は高く、そのほぼ頂点近くの儀式場は暁宮に近付かずとも群集にハッキリと見えた。
ふいにイツが歌うように祝詞を空へ詠み上げ始める。今にも倒れそうな様子とは裏腹に、朗々と響く声は暁の隅々にまで届くようだった。
呼応するように儀式場に焚かれた炎が立ち昇る。天を突かんばかりに柱と化す。
何万に膨れ上がろうとしていた群集は、呆然と儀式場を振り仰ぎ、その神秘的な光景にただ見とれていた。
しばらくして皇女が祝詞の一節を唱え終わる。そうして、振り返った皇女を群集が注視する。
イツは神楽鈴をゆっくりと振り上げ、凛として口を開く。
「――神生祭を続けよ」
ただ一言、群集へ言葉を投げた。
それは不思議なほどに遠くまで響き渡り、誰の耳にも確かに届いた。
……だが静かだった群衆達の顔は引きつる。さざめくように戸惑いの声が交わされ、恐怖の瞳を空に凝らす。
黒い一群は視界に広がりながら、もうすぐにでも――この街に飛来しそうだったからだ。
だが神楽鈴を一つ鳴らしたイツは、群集が静まり返るのを待って再び口を開く。
「……これは神託じゃ。皆のもの、たかがあれしきの鬼ごときに怯むでないぞ。神国に生を受けた事実をイザナギ神に感謝し、祈りを捧げよ。歓喜を歌い踊れ。
さすれば神が現れるぞッ――!!」
それは普段のイツでは無いようだった。