アカツキに散る空花
……つまり全て、自分が原因なのだ。
吐き気が伴うような自己嫌悪感がヒヂニの全身を襲い、長い髪を揺らして崩れるように膝を付いた。
立つ力などとうに無い。
だが目の前の父ネソクはそれを許さなかった。
「どうしたヒヂニ。
一ヶ月も前に言っておいたであろう、『真実に屈しない心を持て』と。その時、確かにヌシは頷いたはずじゃ。
ならばヌシはこの真実を前に立たなければならぬ。止まる事も戻る事も許されぬ。
天野家を出し抜け――ヒヂニ」
険しく辛辣な言葉はヒヂニに覚悟を強いた。
膝を付いたままの彼は泣きそうな表情で父を見上げる。
だが手をこまねいて待てば、その先にあるのは戸塚家の凋落。名声だけでなく、親愛の姉まで失いかねない現実。
だが味方を出し抜いたとして、単機で相手するのは数百の空鬼と――あの怪物なのだ。
「……八首、龍鬼……」
地獄の主のようなあの魔物が眼前に浮かぶ。
ヒヂニの虚ろな瞳は、日の落ちた宵闇を見上げていた。
●
「第三制御装置大破! ……各制御装置への負担が増大しています!!」
「……ッ、神力反応増大! これは、まさか……」
「天衣機能解析、終了――。マニューバ・モード……奇魂ッッ!!!」
悲鳴のような声が、地下格納庫に上がる。
それと同時に隊長の男は手を振って叫んだ。
「総員退避ィッ!!」
わっと散るようにして黒服の作業員達が走り出す。
その中心で――赤銀の天衣《スサノオ》が猛り狂うように暴れていた。各部を繋ぎとめる制御装置を身を捻って吹き飛ばし、青緑の雷光がその周囲に吹き散る。
だが直後、その動きは嘘のように止まった。
――格納庫に凛とした祝詞が響いていた。
まだ幼い少女の声音。それに聞き入るように《スサノオ》は沈静化していく。
作業員達が逃げようとしていたその眼前に、暁の皇女イツは立っていた。
この小さな少女が、脂汗を浮かべて一歩一歩と確かな足取りで《スサノオ》に近付いて行く。
その口から発せられる祝詞に押されるように、《スサノオ》は各部機能を停止する。
イツがさらに語気を強めると、天衣後部で起動したままの中枢動力核の輝きが次第に失われ始めた。
そのまま浮き上がろうとしていた赤銀の天衣は半円状に抉れた地面に着地し――やがて完全に動きを止める。
操縦席の乳白色の人型は霧散し、また再び覆い隠すような濃い霧に変わった。
それを見届けたのと同時……イツの身体が揺らぐ。
「皇女様ッ!!」
真っ先に作業隊長が駆け寄り、一瞬のためらいの後でその少女を抱き上げる。
よほどその力を使ったのだろう。イツの呼吸は苦しげに乱れていた。
「……感応装置を……。鬼どもが、来る――ッ!!」
力を振り絞るように耳元で叫ばれ、隊長はハッと顔を上げる。
すぐさま振り返り、そのイツの何十倍もの大声で怒鳴る。
「誰か言霊感応装置を持ってこいッッ!!」
反射的に作業員達が立ち上がるのと同時――。
ふいに地下格納庫にけたたましい警報が鳴り響いた。
それは――空鬼襲来警報だった。
●
『こちらホヒ、各員に告ぐ!! 敵は千を超える数だ! 赤空の戦に匹敵するかそれ以上の敵が大挙してやってきているッ!!』
暁航空基地の数十本とある滑走路から次々に天衣が離陸していく。
その先頭で指揮を取りながら、団長ホヒが全軍を激励していた。
「だが私も鬼では無い、今戦闘では規則を一つ緩和してやろう!
――総員、ここで死ぬ事を許可するッ!
死んで暁を守れッ! 的は無数にある、仲間に負けぬようこの空で華々しく散れよ!!」
『『『……ッ、了解!!』』』
数百を越す斉唱に唇を歪めてホヒは「いい返事だ」と頷く。それからまた矢継ぎ早に言葉を繰り出した。
「総員、急げ!! 何としても第三防衛空域で敵の先鋒と会敵するぞ!!」
ホヒが両手を押し込み、先陣を切って加速する。その背後に続くのは暁航空団の五百機近い天衣。
さらにいまだ続々と、基地から天衣は上がり続けて長く伸びた紐のように戦列が続いていた。
整備員達が忙しく動き回る神栄天衣の格納庫で、一機の神栄天衣が起動していた。
《神守‐参拾六 アマテラス起動。天衣形態――『幸魂』》
力現装具である珠を機体状況ディスプレイ横にはめると、画面に文字が流れ出す。自己検査モード。
その間にムラクモは両手両足を円筒形の操縦架へ挿入。縦に割れた竹のようだった操縦架はその隙間を細くしながら四肢を固定し始める。
「《アマテラス》から管制院、出撃許可を」
ムラクモが要請すると、一拍後にディスプレイに「言霊」という文字が点灯する。
そうして機内に響いたのは――しかし管制院の言葉では無かった。
『ムラクモ……。そこに、居るかや』
「え、あれ? ……イツ?」
戸惑うように、ムラクモが素っ頓狂な声をあげる。
そんな彼の様子に言霊感応装置の向こう側で、イツは小さく笑った。それからまた再び言葉を紡ぐ。
『……ムラクモ、良く聞くのじゃ。
現状で《アマテラス》と《ツクヨミ》への神水充填率は八割程度でしかない。……しかもさっき力を使い果たしたせいで、それ以上の充填は出来そうにないんじゃ。
すまぬ……。わらわの力不足ぞ……』
「……ううん、それだけあれば十分だよ。ありがとう、イツ」
柔らかく微笑んで、ムラクモは答えた。
それに言霊感応の先で、イツがたじろぐ気配がする。
『……っ、そなた知っておるか? 神栄天衣は奇魂を使い過ぎると――』
「天衣と同化していくんでしょ? 前に奇魂を使ったからね。何となく……分かった。たぶん、父さんが死んだ原因も」
いつになく神妙にムラクモは目を閉じる。
しかしすぐに目を開けた時には、いつも通りの柔らかな表情になっていた。
「ちゃんとヒヂニにも伝えておくよ。ありがとう、イツ」
まるで何にも動じないような静かな声。
あまりの落ち着きぶりに感応装置の向こう側でイツの方が心配になった。
『……ムラクモ、絶対に戻ってくるのじゃぞ?』
「うん……、大丈夫。きっと帰って来るよ」
『きっとではダメじゃ! 絶対に戻ってくるのじゃぞっ!』
切羽詰ったイツの声にムラクモは少し唖然とした。
それから小さく笑う。
「……分かったよイツ。絶対に帰って来る。約束しよう」
『うん、約束……』
微笑みながら頷くムラクモ。
それからイツは管制院へ繋ぐと言い残し、そのまま言霊感応を終わらせた。
ふとムラクモの視界の端でヒヂニが小走りにやって来るのが見える。その顔は少し蒼白になっているように見えたが、すぐに視界から外れて見えなくなった。
「一時撤退!! 総員第二防衛空域まで下がり、態勢を整えろ! 各隊の判断で継戦不可なら後続と交代に向かえッ!!」
団長ホヒが早口に命令を飛ばす。
会敵したものの、旗色は悪い。
航空団の被撃墜機はまだ十数機と少数ながらも、空鬼の勢力が増えている。
航空団の各機が出し惜しみせずに空へ魔弾を射出する。様々な色の爆炎が空鬼達に噴き上がるのと同時、天衣は一斉に反転して後退を始めた。
『こちら《アマテラス》、第二防衛空域に到達! このまま前進します!!』