アカツキに散る空花
直後、激しく拘束機具が揺れ始めた。神栄天衣がデタラメに暴れている。
「……っ!」
イツが目を閉じ、意識を集中しながら祝詞を唱え始める。暁に古代より伝えられている、神栄天衣《スサノオ》の「制御神水」を作るために唱える一節を。
最初は拘束機具を壊しかねないほどに暴れていた《スサノオ》だったが、その祝詞を聞いて次第に落ち着きを取り戻していく。
ただ中枢動力核に繋がれた管だけが不気味に輝きを増しながら、傍らの《衝立船戸》へ何かを送り続けている。巨岩の赤い筋が伸び、分裂しながらその全体を覆っていく。
イツは薄っすらと両目を開く。その視線を《スサノオ》へ向けたまま、少し苦しげに口を開いた。
「お母様……。ムラクモが、アマテラスの力を使ったそうじゃ……」
「えぇ、聞いていますよ」
隣で、サラリとした声を響かせる上皇。
イツは長い髪を揺らして、俯いた。
「わらわは……ムラクモを、こんな風にしたくは無い……。天衣に……食べられるなどっ!」
涙すら浮かべて悲痛に言うイツ。
その視線の先には《スサノオ》の操縦席が見えていた。
凝縮した乳白色の霧が、人の形を作って操縦席に座っている。
それは恐らく……ハバリだった。
隣の上皇もそれを見上げる。薄い布に遮られ、その表情までは分からない。
「……大丈夫、心配は要りませんよイツ。滅多な事ではこのような『夢没』は起きません。貴方は皇女として、神栄天衣へきちんと制御神水を充填しておけばよいのです」
「ではなぜ……このスサノオではそれが起こったのですか、お母様」
「……神栄天衣は制御神水が切れると、力を発揮するにつれて操縦士と同化していく……。
ハバリはそれを知っていながら、自らの意思で力を使い過ぎました。
夢没してまで、――この暁を守ったのです」
「……そしてハバリ殿が夢没したスサノオは、こうして衝立船戸の急速な復元に役立つ……。上手く、行き過ぎておるッ!」
イツは反抗的な口調で、しかし上皇へ目を向けないまま独り言のように呟く。
上皇の前天冠から垂れた薄い布が動き、イツの母親は小さく微笑んだようだった。
「……そろそろ、衝立船戸が完成するようですよ」
そう言われてイツが振り向けば、確かに《衝立船戸》はその全体に赤い筋を行き渡らせていく。外殻の一部に、大きな隆起が見え始めていた。
だが突如、――轟音を立てて《スサノオ》が跳ねた。
「きゃうっ――な、なんじゃ!?」
イツはそちらへ向き直り、必死に制御のために神力を注ぎながら祝詞を唱える。
《スサノオ》の中枢動力核から伸びる管が燃え上がりそうなほど白く輝き、《衝立船戸》へ何かを送っていた。
急速に、巨岩から何かが生え出る。赤い焔に包まれた……鋭利な鉤状の突起。
《黄泉岩戸》の亀裂を塞ぎ、鬼達を近付けさせない地獄の鍵が。
暴れていた《スサノオ》が次第に落ち着いていく。イツは祝詞を唱えながら、首筋に玉粒のような汗を流していた。
《衝立船戸》が形を安定させる。
それを見届けて、上皇は《スサノオ》へ手をかざした。
天衣の駆動音がふいに静まり始める。後部中枢動力核から放っていた黄土色の輝きは、次第に失われていった。
天衣が停止し、その場に沈黙する。
「……良く頑張りましたね。ようやく、船戸が完成しました」
「う、む……ぁ」
ふいにイツの小さな身体は揺らぎ、地面へと崩れ落ちた。
「――イツ!?」
隣から上皇が駆け寄った。小さな身体を抱え起こすと、はらりと垂れ落ちた髪の一部が、汗で首筋と頬に張り付く。呼吸が荒く、早い。意識を失っている。
「だ、誰か――――!」
上皇の叫び声が、広い格納庫に響き渡った。
●
『……これより、黄泉岩戸永封作戦を開始する!!』
後方支援も含めたそれぞれの部隊が任務や作業、準備に追われながら、そのホヒの言葉に耳を傾けていた。
『皆の者、皇女様は命を削ってまで我らに、亀裂を塞ぐ天衣……衝立船戸を託した。ならばそれに応えるため、我々はこの作戦は絶対に成功させようではないか!
任務から帰った時、諸君等一人一人の名は英傑にも負けぬ英雄として語り継がれる!
なればこそ今、暁に平和をもたらすため各自奮起せよ! 二人の英傑と私に続けッ!!
――――総員、出撃ッッ!!』
その号令と共に、暁航空基地の全滑走路で天衣が加速を始める。
さらに暁宮の方角から、《木鶏》という機体が姿を見せる。頭上と後尾で十字翼を回転させて飛行する天衣数十体が、巨大な物体を牽引縄に吊るしている。
それが今回の作戦の切り札となる天衣――《衝立船戸》。
赤く脈動する巨岩の下側には、太く長い何本もの鉤が焔に包まれている。
これを亀裂に投下すれば、その隙間に《衝立船戸》は食い込み、二度と鬼を地上に出しはしないだろう。
「絶対に岩戸を閉じよう、みんなっ!」
『『了解!』』
サクラ隊の先頭を飛翔するのは、しかし《アマテラス》ではなく《天燕》だった。
イツが病に伏せったために神栄天衣への神力供給が出来ず、英傑二人は通常の人工天衣での出撃を余儀なくされたのだ。
「イツ……」
高度を上げながら、《天燕》の機内でムラクモが心配げに後ろを振り返る。後方、傾いた地上の中心に栄える暁を一瞥してから、そのまま加速した。
そんな彼の機内へ、ふいに声が響いた。
『ムラクモ、聞こえるか』
「ヒヂニ?」
『先の防衛戦……、お前の活躍は認めよう。だが、俺はお前に……天野家に負けはしない。絶対に超えてみせるぞ』
「え……? 僕は別に……ヒヂニに勝とうなんて」
戸惑うように答えるムラクモ。
だがそれに対してヒヂニは不快そうに、舌打ちした。
『ハッ、大した余裕だな。……だがあんな一戦で、みながお前を認めると思ったら大間違いだぞ……。俺にはお前を超える力がある。いや、超えているんだッ!』
「僕は……そんな話には興味ないよ。ヒヂニ、最後の戦いになるかもしれないのに――」
『黙れッッ!!』
機内に怒号が響き渡った。
視界を転じれば、同じ《天燕》に乗るヒヂニが見える。その表情は激情を必死に押しとどめながら、同時にいっそ吐き出そうとしているかのようだった。
『――この戦いで俺はお前を超えるッッ!! でなければ戸塚家は、永遠に二番に甘んじなければならないんだ!!』
「……ヒヂニ……」
沈黙するムラクモへ、ヒヂニは口の端をいびつに吊り上げる。
『俺は……俺は、先の戦いで死んだ部下のためにも……絶対に負けられないんだよ』
「……ヒヂニ、落ち込む気持ちは分かる。でもくれぐれも早まった真似は……」
『続け、コガネ隊ッ!! 俺達は先鋒に加わるぞ!』
「ヒヂニッ!!」
ムラクモの叫びを後ろに置いて、ヒヂニ機がコガネ隊三機を連れて空を加速する。
直後に暁航空団の前方、積雲の中から十数体の空鬼が姿を現す。天衣の進攻を察知して迎撃に来たのだ。
すぐに団長ホヒが命令を飛ばす。
『総員要警戒、前方から敵接近! 先鋒隊、迎撃せよッ!!』
団長ホヒの命令を受け取り、先鋒十数機の天衣が正面から突撃する。遠距離から一斉射出される『朝顔』の魔弾が、敵へ高速で走っていく。
轟音が空を震わせた。