アカツキに散る空花
すぐ側にいた草爺も「ナギ様……」と呟いたきりでうな垂れている。この老人でも、今ムラクモへ何を言うべきかが分からなかったのだ。
「……ムラクモ、私にも聞かせて下さいな」
ふいに部屋の襖が開いて凛とした声が響き渡った。
その向こうに立っていたのは、一人の女性。
「母上……」
厳格な雰囲気をまとったサヨリの姿は、しかしいつものおっとりした母では無かった。
「私は父ハバリが居なくても、貴方を立派な英傑に育て上げたつもりです。
……いえ、貴方は小さい時から自ずと英傑の品格を備えていました。それが私の見立て違いだったとは到底思えません」
「…………」
「ムラクモ。方々で聞く風評は本当に貴方の姿なのですか? 本当ならば――その理由を聞かせてくれませんか」
サヨリが毅然として言い放つ。
時が止まったように、部屋は静かだった。
ムラクモは何も喋ろうとはしなかった。潤んだ瞳をときおり揺らしながらも、険しく沈黙を守っている。ナギも、草爺も、二人の雰囲気に気圧されて口を開けない。
そうして、そのままどれだけの時が流れただろうか。
ふいに沈黙を打ち破ったのは、その四人の誰でも無く――外から響き渡った雷鳴だった。
「キャーッッ!?」
すぐ近くに落ちた轟音に、ナギが身体をすくませる。
とっさに窓へ振り向いたムラクモに見えたのは、晴天。だがその青空には白い稲妻が縦横に走っている。
――青天の霹靂。
乾雷と呼ばれる現象が、空の全てを覆い尽くすように起こっていた。
「コレは……十年前と同じ空じゃ……! 落ち着きなされませ、皆様! 落ち着きなされませよッ!!」
草爺の錯乱したような叫び声。それを掻き消そうとするように、暁のあちこちから激しい落雷音が響き渡った。すぐ側で落ちる稲妻の轟音、衝撃。
建物が揺れ、耳の奥が痺れる。
「――火事だあああーーーッ!!」
ふいに街のどこかから、そんな叫び声が聞こえた。そして鐘を激しく乱打する音。
それを耳にしてサヨリが真剣な表情で顔を上げた。
「……外へ出てみましょう! 我が天野家も出来るだけ消火に協力せねばなりません」
「し、しかし危険ですぞっ! 落雷に遭うやも……」
「……いや、草爺。ある程度は収まったようだよ」
ムラクモが窓の外へ顔を出して、空模様を見る。白く帯電していた空は落ち着きを取り戻し、再び青空に変わりつつあった。だが、その眼下では窓から見ただけでも三箇所で火の手が上がっている。
「行こう! 街が燃えてる!」
「ナ、ナギは恐ろしゅうございます……」
「うん、ナギは家に居て。その方が安全だ」
ムラクモは立ち上がり、歩き出す。その横をサヨリが並び、草爺がそれに追いすがる。
そして三人が裸足で庭に降り立つと、その惨状が目の前に広がった。
天野家の屋敷もどうやら落雷を受けたらしく、使用人達が暮らす建物が全壊していた。使用人達は右往左往して、怪我人の対処や点呼を取ったりしている。
さらに今まで鳴き声を止めていた虫達が、思い出したようにやかましく騒ぎ始めた。
人々の怒号や泣き声がそこに混じる。夏の日差しが大規模な落雷の痕を門の外に生々しく映し出す。燃え上がる炎の先は、築地塀越しにも見え隠れしていた。
ムラクモはただ立ち尽くしていた。
広がる光景が、まるで――十年前のあの時のように感じる。
頭上を振り仰げば千切れた雲が、頭上に広がっていた。
「……この異常気象は、十年前に見たのと同じものでございます。鬼達が大発生した……赤空の戦の時と」
後ろで震えた声を絞り出した草爺へ、ムラクモは強張った表情で振り向く。
「十年前と……。じゃあ、まさか――」
呟いた直後――ふいに遠くから、法螺貝の音が響き渡った。
ムラクモが耳を澄ます。
だがその必要は無かった。どこか近くでも同じ法螺貝が空気を震わせ始める。
法螺貝の音が暁中の人々の鼓膜を叩いていく。幾重にも幾十にも音を響かせながら、全身が総毛立つその音で空を覆っていく。
それは、天衣に乗る操縦士達にとって特別な意味を持っていた。
――暁航空団緊急集結命令。
大規模な空鬼襲来の、符合。総員出撃を意味する、第一級の緊急事態宣言だった。
ムラクモが振り返る。
庭先に呆然として立つ、サヨリの方へ。
「……母上。これだけは信じて下さい。僕は間違い無く父上を心に抱いて、行動しています」
それは先ほどの問いに対する、ムラクモの答え。
だがその曖昧な言葉にサヨリは頷いた。
「……そうでしょう。いえ、そうだと思っておりました。貴方は――あの方の息子なのですから。そう簡単にくじけはせぬはずです」
ムラクモは一瞬笑顔を浮かべると、すぐに真面目な表情に戻って頷いた。
「では……行ってまいります、母上」
「えぇ。行きなさい。母はもう疑いません」
ムラクモは素早く身を翻して、駆け出す。
はるか遠く。
空の彼方から来る黒い群れを、押し留めるために。
●
暁航空基地から次々に天衣が空へ上がり、彼方へ消えていく。
だがその一群を地上から見ながら、四機の天衣は滑走路の端で待機していた。
『隊長、ムラクモなんて置いてさっさと出撃するべきですよ!!』
「バカ言うな……。俺達はアマテラス親衛隊なんだぞ。自分達だけで出撃できるわけが無いだろう」
『そんな肩書きを守る間に、暁が鬼達に滅ぼされたら元も子も無いんですよ!?』
後方からのウズメの追及に、隊長ホオリは小さく嘆息する。
さらに不安げな声でミサキまで加わった。
『キャプテン、今回はウズ姉ぇの言う通りでは無いでしょうか……。別に先へ行って戦場で合流すれば……』
「……どうだろうな。副長はどう思う?」
『僕ですか? まぁ彼が来た所で状況が好転するとは思えませんが……命令違反はマズイですしね。上に命令変更を要求してみては?』
「なるほど、そうだな……」
ホオリは副長の言葉に頷く。だがそれは副長の気持ちを確認して頷いたのだ。
これで三人が三人とも……いや、ホオリを合わせれば全員一致で今すぐにも出撃するべきと判断しているのだ。
ホオリは意を決して管制院に呼び掛けようと操縦架の中の左手を動かす。
言霊感応装置の範囲をサクラ隊内から全域に広げた直後――ふいに、向こうから声が飛んできた。
『サクラ隊、こちらアマテラス! 今天衣に乗った、すぐに出る!!』
四人の耳に響き渡る英傑の声。
ようやく出撃できると安堵の息を吐くサクラ隊。だがそこへさらにムラクモの通信が続いた。
『みんな、聞いて欲しい。
……この戦いは厳しいモノになる。だけど僕達なら戦い抜けるはずだ』
突然、語り始めたムラクモに対して四人はそれぞれ訝しげに首を傾げる。
それを知ってか知らずか、ムラクモはさらに続けた。
『今まで散々な目に合わせてごめん……。でも、今回は僕を信じて……こちらの指示に従って欲しいんだ』
「なっ――」
サクラ隊の四人は絶句し、言葉を紡げない。
――今さら、どんな顔をしてそんな事が言えるのか。今までロクに任務もこなさなかったくせして。
あまりに予想外な言い分に言葉を失った四人へ、しかしムラクモは淡々として続けた。