アカツキに散る空花
辛うじて生き残っていた灰空鬼だけが反応し、緑の炎から抜け出して頭上へ身体を向ける。
だがそこに橙と黄の大型天衣《アマテラス》を見た直後――飛来した石矢に全身を貫かれ、粉々に四散した。
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「……ごめん」
暁航空基地の作戦室の一室。
サクラ隊が微妙な表情で見守る中、ムラクモは深々と彼らに頭を下げていた。
理由は、ムラクモがギリギリまで戦闘に参加しなかった事である。いや、本人の弁曰くできなかったという事だが。
途中までの巡航飛行にはムラクモもしっかり付いてきていた。だがその後で攻撃を開始した辺りからサクラ隊を見失ってしまった。つまり、空で迷子になってしまったというのだ。
……簡単に信じられる話では無い。特にムラクモは由緒ある英傑の血を引く操縦士なのだ。初実戦では、一人で色付き含む二体の空鬼を一瞬で撃破した実績もある。
それが今回の任務との落差をさらに大きくして、全員が言葉を失っていた。
「……体調が、よくないのですか?」
ようやくホオリの口から出たのは、そんな言葉だった。
それぐらいしか理由が見当たらない。俄かには信じられない話なのだ。よっぽどの事情が無い限り、同じ空域に居て『はぐれる』などという事は。
だがムラクモは苦笑して「いや、そういうわけじゃ、無いんだけど……」と曖昧に言葉を濁した。何か隠しているような言い方である。
ムラクモはさっきから謝るばかりで、まるで本音を心の奥底に隠すようにその理由を言おうとはしない。謝ってはいるものの、本当に反省しているのかが疑問に感じられてしまう。
各員ははっきりと態度にこそ出さないものの、苛立ちを覚え始めていた。
特にサバサバしたウズメはその傾向が顕著で、険しい表情を床へ向けている。
しかし、それから隊長ホオリや副長アスハがいくら質問してもムラクモは腹の内を欠片も見せようとしなかった。
そんないい加減な彼の態度に、とうとうウズメが怒りを露わにした。
「――もうッ! ムラクモ、あんたいい加減にしなさいよッ! さっきから聞いてりゃ謝ってばかりでッッ!」
感情を爆発させ、鬼のような剣幕で詰め寄る。
だがムラクモは曖昧の笑みこそ消したものの、彼女から顔を背けた。
それが余計に癪に障った。反抗的で、わがままな子供を相手にしているようだ。沸点など早くも振り切ったウズメが、ムラクモの操縦衣の襟首を掴み上げる。
「ねぇ! アンタ、英傑なんでしょ!? なのに何なのよそれ!! アンタがしっかりしなきゃ、私達は誰に頼れってのッ!? 今日なんて、本気で死ぬかと思ったんだからッッ!! ……ねぇ、ちゃんと聞いてんの!?」
乱暴に揺さぶりながら、一気にまくし立てるウズメ。
だがムラクモはそれにはっきりとは答えようとしない。その口は堅く閉じられ、代わりに瞳からは今にも涙が溢れそうになっている。
ウズメはまるで自分が弱い者いじめをしている気分だった。
だがそんなになっても、ムラクモは喉の奥から搾り出すように同じ言葉を続ける。
「……ごめん」
「ッ、こんのっ――! 話になんないわよッ!」
ウズメは操縦衣から手を離す勢いで、ムラクモを突き飛ばした。
ムラクモは近くの机を巻き込みながら音を立てて倒れこむ。
荒い息を吐いて小さな英傑を見下ろすウズメの肩に、ふいに手が置かれた。
「やりすぎだ、ウズメ」
「そ、そうだよウズ姉ぇ……。気持ちは分かるけど、もっとクールに……」
止めに入るホオリと、おずおずと口を挟むミサキ。
二人に咎められたウズメは鼻を鳴らすと、素っ気無くムラクモに背を向けた。荒々しく後ろの三脚机へ歩み寄ってそこに頬杖をつく。
そんな彼女の背中へ、ホオリは腕を組みながら声を掛けた。
「ウズメ……自己責任という言葉があるぞ。任務で何かしらの危機に陥ったとしても、それは自分の失敗なんだ」
「はいはい、分かってまーす。しっかり反省しまーす」
背中越しに空いてる手をひらひらさせて適当に返事をするウズメ。
その態度を見て、ムラクモの態度に少なからず沸点が下がっていたホオリが怒気を孕ませた。
「……ウズメ、ふざけるな。ちゃんと聞いてるのか!?」
近付き、机にもたれかかっている細い肩を掴んで強引に振り向かせる。想像以上に抵抗は無かった。
だが、ホオリの方へ向いたその顔は――必死に涙を堪える険しい表情だった。
ホオリはそれを見た瞬間に身体を硬直させ、思わず言葉を失う。
そんな相手をウズメは睨みつけたあと、ゴシゴシと操縦衣の裾で目元を拭った。
「……分かってるって、言ってるじゃないですか! あんなに頼りにならないんじゃ自分で何とかするしか無いですよッ!
英傑っていうからちょっと期待してたのに……裏切られましたッッ!!」
言いたい事を叫ぶと、ウズメは鼻を啜りながら乱暴に作戦室の木戸を引く。
ガタンッ! と木のぶつかる激しい音がして、木戸は少しだけ浮き上がった。
「頭冷やしてきますッ!!」
後ろを振り返らずにウズメは作戦室を飛び出した。
そして涙を拭いながら廊下を足早に歩き出す。
冷静な部分では彼女自身もなぜこれほど怒っているのか分からない。
……ただ、英傑と空を飛べる事を今までずっと誇らしく思っていたのだ。
自分なりにムラクモを応援もしていた。きっとその素晴らしい力で皆を助け続けてくれると期待していたのだ。
だけど実際には――この様だ。
今日の戦闘で散々迷惑を掛けておいて、少しもムラクモは腹を割って話そうともしない。あと一歩遅かったらホオリ隊長は死んでいたかもしれないのに。
ウズメはあの瞬間、鮮明に人の死を幻視してしまった。
その影響は、彼女自身でさえ気付かないくらいに心の深い部分に伝わっていたのだった。
……一方、後に残された作戦室にも重苦しい沈黙が流れている。
その静寂を唯一破るのは――基地全体に響く、緊急出撃警報。
「また……空鬼の襲撃か?」
疲れた頭を働かせながらホオリが呟いた。
多すぎる。一日に二件の襲撃が無い事は無いが……先ほど、空鬼を五体も倒した所なのだ。少なく見積もっても二日分の敵だったのに。
……しかし、今のところ関係は無い。
そんな事よりも、重い空気が漂うこの作戦室の方が――ホオリにとっては頭痛の種だった。
「作戦後会議、終了。各自……解散して良いぞ」
ホオリらしくない覇気の無い声で、ようやくそう宣言した。
「…………冗談だろう?」
ホヒが、扇子を仰ぐ手も止めて問い返した。いつも投げやり気味に醒めた彼女が、この話には驚いた様子だ。
「いえ、冗談なら自分も……気が楽なんですが」
暁航空基地の司令室。
先ほど解散した後、ホオリは報告のためにこの部屋へ出向いていた。
ホヒは着崩した衣冠姿で定位置ともいえる文机の前。ホオリは板張りの床に置かれた円座に座っている。
「しかしなぁ……」
ホヒはまたパタパタと扇子を仰ぎながら、訝しげに眉をひそめる。
「ホオリ一将、仮にもムラクモは英傑だぞ? そんな初歩的な失敗をするとは、……俄かには信じられない話だが」
「しかし、事実です」
「ふぅむ……」