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アカツキに散る空花

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 ――イツの表情はただ落ち込んでいる、拗ねているというような顔では無かった。
 もっと深く暗い感情を押さえ込むように口をきつく結ぶ。床の一点に向けられた瞳は木板を通り過ぎて何かを見つめて。両の拳は震えるほどに固く握り締められていた。
「イツ……様?」
 イクコがそう声を掛けると、イツはハッとしたように顔を上げた。
 それから照れるように、どこか曖昧な笑みを浮かべる。
「すまぬ。大丈夫じゃ」
「……そうでございますか」
 色々と腑に落ちない思いを押し殺して、イクコは微笑んだ。
 これ以上は、侍女如きが立ち入って良い話ではない。
 イクコは深呼吸して胸の内で早まる鼓動を沈めようとした。
「そういえば……あの天衣の建造具合はどれほどでございますか? もう少しで完成と聞きましたが」
「ん、もうすぐじゃ。葉月の上旬ぐらいには完成すると思うぞ」
「それでは後一週間ほどでございますね! これで恐ろしい鬼どもに脅えなくて済みます」
「うむ……そうじゃな。わらわが、……一日も早く……」
 ふいにイツの身体が傾き、よろめいた。
 イクコが慌てて小さな身体を抱き止める。そしてその熱さに、驚いた。
「イツ様!? ひどいお熱が――! お待ち下さいっ!」
 言ってイクコはイツをその場に横たえながら、薬箱に飛びついた。必死に解熱剤を探すその表情には悔しさが浮かんでいる。
 着替えの手伝いまでしておきながら、イツがよろめくまでその体調に気付かなかったのだ。
 イツもずっと気丈に振舞っていたのだろう。容態がバレた今では、熱っぽい呼吸を繰り返していた。その額には玉のような汗が浮かび、ほつれた髪が首筋にへばり付いている。
 イクコはすぐに解熱作用のある粉末薬を取り出すと、側にあった水の容器を掴み上げる。
「お飲みください、イツ様!」
 苦しげな小さな身体へ駆け寄り、両方を差し出した。イツは頷いて受け取ると、粉末と水を交互に飲み下していく。
 その様子を横目に見ながら、イクコは急いで寝具を敷いた。薬を飲み干したイツへ、そこへ寝ておくように指示する。
「すまぬ……イクコ。少し疲れたようじゃ」
「お気になさらず。イツ様、少々お待ち下さいませ。冷たいお絞りと、薬が無くなったので上皇様の所へ貰いに行ってきます」
「うん……わらわは大丈夫じゃ。……お母様には、ご心配ないよう……伝えてくれんかや……」
「しかし、イツ様……。かれこれ何ヶ月も上皇様のお顔を拝見していませんよ?」
「……大丈夫じゃ。大丈夫じゃから、イクコ……。お願いぞ……」
 弱々しい声を出しながら、イツは頑なに首を横に振る。
 イクコはそれに押し負けるように頷くと、立ち上がった。部屋の明かりを燭台一つ残して全て吹き消す。
「どうか……ゆっくりお休みなさいませ、イツ様」
 そう言い残すと、イクコは静かに部屋を出ていった。
 イツは荒い呼吸を繰り返しながら、一人残された部屋でぼんやりと天井を眺める。
(お母様……)
 ポツリとそんな言葉が湧き上がる。
 ふいに懐かしい母の匂いがイツの鼻先に甦った。無性に母の腕に抱かれたい衝動を、寝具の布をきつく握って打ち消す。
 代わりにその胸に沸き起こるのは、母への複雑な感情だった。
(……お母様、どうしてなのです。
 わらわは、ムラクモがあの天衣に『喰われる』など耐えられぬ……。お母様は――耐えられたのかや?)
 一筋の涙がイツの頬を伝い落ちていく。
 決して安らかでは無い顔のままで、皇女は険しい眠りに落ちて行った。



「イヒカ様、上皇様からのお手紙にございます」
「上皇様から、とは? 急を要する報せであるか?」
 夜更け。暁宮の関白、吉野 井氷鹿(よしの いひか)の屋敷に使者が一枚の書状を携えてやってきていた。
 イヒカは顔の白粉やお歯黒などの化粧を落とし、明日の政務に備えて床に就こうとしていた所だった。
「今のところは……急を要する、というものでは無いのですが。ただ、いつ状況が変わるやも分からぬものですから、上皇様から書状を預かってきました」
「ふぅむ……? 見せてたもれ」
 書状には思ったより短めの用件が書いてあり、そして丁重に夜分遅くに手紙を送った事を詫びてある。
 イヒカは何度も小さく頷いた後で、おもむろに書状を閉じた。
「……なるほど。しかと拝見した。使者殿、書状によれば『黄泉近神社』において鬼達の奇異な動きがあると」
「はっ。何でも鬼達の、今までには無い奇行が目立ち始めておるそうです。とはいえ、結界は万全ですので特に問題はありませんが……」
「……しかし、不気味ではあるの。何やの前兆であるやもしれぬ」
 イヒカは顎に手を当てて唸る。
 化粧を落とした今は素朴な中年男の顔だが、それでも彼は押しも押されぬ政界の頂点に立つ関白である。上皇が報せてきたこの話の重大さも良く分かっていた。
 神国『暁』の街の外側には田畑が広がっており、さらにその外側には開墾されていない野や森、一部は海と繋がっている。
 だがその最端は、暁を中心にしてほぼ円状に配置されている神社だった。等間隔に置かれたこの神社群は『結界神社』と呼ばれ、これらが空鬼の飛来を感知すると共に重要な国境の役割も果たしていた。
 つまり、結界である。神社を繋いだ線を境にして、その外側にはおぞましい魑魅魍魎が這いずり回る荒野が広がっているのだ。
 特に《黄泉岩戸》の方角では鬼の勢力が異様に大きく、そこにある結界神社は『黄泉近神社』と呼ばれて一番大きな造りである。
 そして今、そこから見える鬼達の様子がおかしいという。
 イヒカは顔を上げ、重々しく使者へ口を開いた。
「……ふむ、事情は承知いたした。この件に関しては、神官の増援という形で対応をとりまする。使者殿、ご苦労にありましたな」
「はっ、上皇様にはその様に伝えておきます。夜分遅く、失礼致しました」
 使者は立ち上がると、一度頭を下げて退室していく。
 それを見送った後、イヒカは再び書状に目を落としていた。
 得体の知れない胸騒ぎ。蝋燭の炎で怪しく揺れる文面が、さらに恐怖を煽り立ててくる。
 せめて《衝立船戸》が完成するまでは何も起こらなければ良いが――と、イヒカは祈るように考えていた。



 蒼穹の空を穿ち、三つの黒塊が飛翔していた。黄泉より湧き出た空鬼である。
 その鬼達が目指すのは――何百年、何千年と繁栄を続ける神国『暁』。
 その国土である肥沃な大地が鬼達の前方に広がり始めていた。空鬼達は存在しない瞳でそれを見たのだろうか、牙鳴りを一際大きく響かせる。
 そして三体の異形がさらに加速しようとした矢先。
 ふいに、先頭の一体が頭上百メートルほど上空の白い雲を振り仰ぐ。
 ――突如、その雲を割って青い魔弾が次々に降り注いだ。
 空鬼達は牙の鳴き声を一瞬止めた。とっさに漆黒の翼を傾けて身体を捻るが、……間に合わない。
 各魔弾が爆ぜて、轟音と爆炎が空鬼達を押し包む。大空に大量の羽と赤灰色の欠片が飛び散り、空鬼達が焼き焦げた。
「いっけえええええええッ!!!」
「スタアアアーーートッッ!!!」
 電光石火の勢いで急降下をかける二機の天衣《天燕‐二十一》。
作品名:アカツキに散る空花 作家名:青井えう