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アカツキに散る空花

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 ……嗚呼、僕は――。
 頭が上手く働かない。
 後ろの屋敷は半分が崩れ落ちている。
 母上は泣きそうになっていて、父上はここに居ない。
 でも父上はこんな時、僕にどう行動しろと教えただろう。
 ……そうだ。僕は天野家のエイケツだから――。
 ムラクモは涙を拭うと、ゆっくり顔を上げた。

「……大丈夫だよ、母上。皆――僕が護るから」

 五歳の少年は健気に、言った。
 直後、耐え切れなくなった母親は嗚咽を漏らして崩れ落ちた。手の中でナギが泣き声を上げる。
 ムラクモはそれをあやす為に、柔らかな頬をそっと撫でた。
 皆を護ると、その小さな胸に誓いながら――。



「嘆かわしやあああアーー!!!!」
 ムラクモが屋敷に帰り着くと同時、仁王立ちしていた草爺が叫んだ。
 長い白眉の下に隠された瞳は鬼のように赤く輝いている。
「た、ただいま、草爺」
 引き攣った笑みを作り意思の疎通を試みる。だがそれに対する草爺の反応は無いに等しかった。
「ムラクモ様ッ!! ヒヂニ様に五連敗を喫したというのは本当にございますかッッ!!」
「え……うん、そうだね。ちょっと悔しいけど……」
「なっ……ちょっと!! ちょっとですと!? な、嘆かわしやぁぁあああ!! そんな気持ちでどうなさいます! 今のところ全敗なのでございますぞぉッッ……うぅぅッ……悔しいッ!」
 言うだけ言ってしまうと、崩れ落ちるように草爺は床に両手をつく。本人よりもよっぽどこの老人の方が事態を深刻に捉えていた。
 ムラクモは立ち尽くしたまま困り果てていると、廊下の奥からドタドタと人の走ってくる気配がする。
「兄様ッッ!!!」
「あ、ナギ。ただいま」
 桃色の着物を揺らして駆け寄ってきたのは妹のナギだった。
 その勢いにムラクモは思わず身構えてしまうが、しかしその表情は怒ってるように見えない。
 それどころか彼女は泣き崩れている草爺に気付くと、その横に屈み込んで曲がった背中を優しくさすり始めた。
「草爺。気持ちは分かるけども……仕方ないでしょう。相手はヒヂニ様ですもの。でもきっと、兄様だって頑張っているのですよ」
「う……うぅ、そうでございますなぁ。ナギ様の言う通りにございます。ムラクモ様……手を抜くわけないでしょうな?」
「え、うん。それはもちろんだよ」
 苦笑気味に頷いて、ムラクモは答える。
 とはいえ、別に敵は鬼なんだからヒヂニには勝てなくても良いんじゃないかなぁ、という思いが心の底にはある。
 勝敗の分かれ目はいわばそういう精神的な部分にも原因があるのかもしれない。
「街でも、学習院でも、話に聞くのはヒヂニ様の事ばかりなのです。暁を背負う英傑だとか、三十年に一度の逸材だとか」
 ナギは神妙な表情で語っていた。その雰囲気は少し気落ちしたように沈んでいる。
 だがすぐに気を取り直したような華やかな笑みを浮かべた。
「……でも、兄様だって軽んじられているわけではないのです。街を歩いていても、英傑が二人もいれば国は安泰だってみんな言っておりますよ」
「うん、任せて。この国の皆は僕が護ってみせる」
 ムラクモは力強く頷いてみせた。
 それは例え命を賭ける事になっても、躊躇わないだろう。
 そんな兄の姿を頼もしそうに眺めながら、ふいにナギはポンッと手を叩いた。
「そういえば、兄様」
「……ん?」
「来月の神生祭りは、誰かと行かれるんです?」
「神生祭? えと、あれって確か……いつだっけ?」
 ムラクモは腕を組んで考え込む。
 神生祭とは一年で一番大きなお祭りで、国全体で行う神聖な儀式でもある。そういえばそろそろそんな時期なのだが、ムラクモはどうも日取りを思い出せなかった。
「もう。ちょうど二週間後、葉月の十三日から十六日まででございますよ」
「あ、そうだったね。ちょっと待って」
 ムラクモは両手の指を折りながら、何かを数え始める。やがてその指を止めて小さく頷いた。
「うん、十三日は非番の日だね」
 それを聞くと、ナギは嬉しそうな笑みを浮かべた。
「ではでは、ナギと行きましょう兄様っ」
「うん、良いよ。行こうか」
「はい! それとヒヂニ様も誘って下さいませぬか? ナギはヒヂニ様と兄様が仲良くしているのを見るのが好きでございますっ」
 ナギは臆面も無くそんな事を言い放つ。
 ムラクモとヒヂニは幼い頃からの友達であり、ナギが成長してからは三人で良く遊んでいた。とりわけナギは、ヒヂニも実の兄のように慕っていたのだ。
「そうだね、分かった。また聞いてみるよ」
「……はい! ありがとうございます、兄様!」
 満面の笑みを浮かべて喜ぶ妹を、ムラクモは微笑ましく見つめていたのだった。



 帰宅して、父への報告を一通り終えたヒヂニは、主殿から伸びた長い渡り廊下を歩いていた。
 離れの庵に繋がるその突き当たり、木戸の手前でツクヨミは中に声を掛ける。
「……姉上、ヒヂニです。具合はいかがですか?」
 こんこん、と小さな咳が聞こえていた部屋の中から、音が鳴り止む。
 やや間があってから、か細い声が中から響いた。
「……よくいらっしゃいました、ヒヂニ。どうぞお上がり、私はずいぶん良くなりました」
「それはよかった。姉上、失礼します」
 引き戸に手を掛けて、ゆっくり開く。
 部屋の中は燭台が灯されており、思いのほか明るい。その小さな炎に照らされてミツハが微笑んでいるのが見えた。
 今まで横になっていたのだろう。ほつれた髪が頬に張り付き、僅かに乱れている。
 その頬は少しこけているものの、顔色は悪くないように見えた。その穏やかな顔を見るなり、ヒヂニは深い息をつく。
「あらあら。だいぶお疲れなのですね、ヒヂニ」
「はは……。英傑などと言われだすと、なかなか気を抜ける場所がありませんので」
 部屋の隅に控えていた侍女が円座をミツハの前に置いてくれたので、ヒヂニはその上に座りながら言葉を続けた。
「基地へ行けば英傑としての自負を背負い、家に帰っても厳格な父が居ます。さすがに少し肩が懲りますね」
「珍しいこと。……貴方が弱音を吐くなどと。友人のムラクモにでも相談をしてはいかがです? 同じ英傑でしょう」
 弟の弱音を面白がるようにミツハが訊ねた。
 昔からヒヂニとムラクモは親友同士であり、何度かムラクモが屋敷に遊びに来た時にミツハとも面識はあった。
 だがヒヂニは顔をしかめ、軽く肩をすくめてみせる。
「あいつは……どうも英傑としての自覚が無いようで。高官達との戦略会議にもずる休みするんですよ? 確かに中身の無い雑談のようなものですが……本当なら俺だって出たくは無いのに。
 どうしてアレで、《アマテラス》の操縦士に選ばれるのか」
「これ、ヒヂニ。いくら私の部屋とはいえ、気を抜きすぎではありませぬか」
 ミツハは困ったように諭す。
 ヒヂニはハッと我に返り、罰の悪そうに咳払いした。
「申し訳ありません。どうもここに来ると、安心するのか口が滑ってしまうようで。……しかし姉上もこんな話は聞きたくないでしょう」
 そう言って苦笑したヒヂニは、ふと視界の端に何重にも垂れ下がる小さな濃青色の花があるのに気付いた。
「その花瓶の花は? あまり見かけない花ですね」
作品名:アカツキに散る空花 作家名:青井えう