アカツキに散る空花
「でもでも、別にノープロブレムですよ! ムラクモ様は空鬼に勝てばオッケーですし。一昨日だって、ムラクモ様に任せておくだけのイージーミッションだったじゃないですかあっ」
「ま、そうよね。本当に英傑の親衛隊っていうのは楽だわ。……でも今日も負けちゃったか」
ウズメがやれやれと空を見上げる。
基地上空に飛来した二機の内、後ろに位置しているのがムラクモ機だ。現在五連敗……つまり全敗中である。
そして自分の英傑が負けて、今日もミサキは悲鳴を上げた。
「も〜、草刈りやですよー! キャプテ〜ン、もうコガネ隊との賭けはやめましょうよー! バーッド! ウィーズ刈りはグダグーダ!」
「ミサキ、暑さにやられたか? それに……親衛隊の伝統だからな。この賭けは」
木陰から出られず駄々をこねるミサキへ答え、ホオリは溜め息混じりに兵舎へ目を向ける。
そこではコガネ隊の四人が窓際から嬉しそうに手を振っていた。その肌はサクラ隊とは対照的に白い。
「ああもう、なんでムラクモの方が弱いのよー? 普通は天野家の方が操縦技量なんかは上回るんでしょ?」
「まぁ、過去にその関係が覆った事が無いわけでは無いですからねえ。特にヒヂニ様はお父上のネソク様から直接に操縦技法を伝授して頂いたようですし」
ふて腐れたように言うウズメに、アスハが何でもないようにサラリと答える。
昔から戸塚家と天野家では、極稀な例を除いて天野家が常に上回ってきた。
説としては、戸塚家が代々《ツクヨミ》、天野家は代々《スサノオ》《アマテラス》の操縦士に選ばれる事から、機体の差ではないかと分析する向きもある。
その他受け継がれる血の濃さ、両家の教育方法の違い、果ては生活の様子……などなど。
だが、中でも定着しているのが『血統』の違いだった。
戸塚家と天野家に流れる血肉に混ぜられたと伝えられる二つの神剣。
十柄剣。
天叢雲剣。
この二本は、その名から分かる通り両家の苗字の由来である。
そして天野の始祖が血肉に埋め込まれた剣、いわゆる天叢雲剣の方が位が高かったのではないか、というのが定説になっているのだ。
そんな風に陰では二流と囁かれている戸塚家のヒヂニにとって、今のこの状況程の快挙は無い。
一方で負け続きのムラクモの親衛隊はたまらない。
サクラ隊は四人同時に溜め息を吐くと、炎天下で「二部隊合同草刈り」を開始したのだった。
●
茜色に染まった暁航空基地を背にして、ムラクモは馬に揺られて帰路に付いていた。
基地から天野の屋敷がある東北区までは早馬なら五分ほどの距離だ。馬でゆっくり歩いても二十分あれば辿り着ける。
林の中に切り開かれた道は良く整備されており、それほど揺れはしない。
その薄暗い林の中を行程の三分の一も行くと、突然視界が開けて道の両側を青々とした田んぼが広がる。それを見渡してずっと向こうまで視線を向けると、小高い山々にぶつかる。
茜色の光に包まれた光景は、幻想的な陰影を作り出して全てを覆っていた。
馬上から眺める田園風景は心地良く揺れ動き、緑の稲が夕陽を浴びて輝いている。
その景色にムラクモはいつも胸を打たれ、魅入ってしまうのだ。
――美しいこの景色をいつまでも見ていたい。自分が住むこの国に広がる、平和を。
町の近くまで近付くと、田んぼの傍で農民達のほがらかに笑う姿がある。歌う姿がある。もう少し行って町へ入れば店を仕舞う商人達や、道具を買いに走る職人達にも出会う事だろう。
そんな彼らを愛しく思って、ムラクモはご機嫌に鼻歌を歌い始めた。彼はこの国の活気が好きだった。
ムラクモにとって、これら普通の営みは『普通』では無かったから。
……それは幼かった彼の憧れ。
そう願うキッカケとなったあの出来事は誰よりも強く心に刻み込まれている。
まだ小さかった彼には、その衝撃は強すぎた。
十年前。
父親が帰らなくなったあの日の事は。
……――どこを向いても虚ろな人々の顔しか目に映らなかった。
全身を煤で黒く染め、憔悴しきった顔が力なく大路を行き交う。いや、大路と敷地の区別までもが怪しい。
多くの家屋は延焼防止の為に打ち壊されて大路側に破片を撒き散らしているか、もしくは打ち壊しが間に合わず原型が崩れ去るまで焼け焦げていた。
ムラクモは、地獄と化した暁を放心して見る以外に方法は無かった。学習院で避難命令が出されて、三日ぶりの帰宅である。迎えに来た草爺の指先を握りながら、それはとても心躍るような光景では無かった。
死体を担いだ人々が横を通り過ぎていく。すれちがった瞬間、酷い異臭が鼻を突いた。腐った肉を肥溜めにぶち込んでかき混ぜたような、吐き気の催す匂いだった。
それでもムラクモが吐かなかったのは、心が現実に追いついていなかったからかもしれない。
そうして歩き続けて……どれぐらいの時間その地獄を見て回っただろうか。
「……ムラクモ様、もう少しですぞ」
ふと気付いた時には、歩いている場所は自分の屋敷近くだった。
大路の角に、白い炭に変わった柱が立つ。
だがそれを曲がるまでも無い。崩れ落ちた屋敷越しに、遠く半壊した天野家の屋敷が見えた。
そこで、赤子を抱えたサヨリが門前に立ち尽くしていた。
「……母上ッ!!!」
弾かれたようにムラクモが駆け出した。
胸の奥から様々な感情が沸き起こり、鼻をツンと刺す。木板を踏み蹴りながら涙が溢れ出す。
サヨリの元に辿り着く頃には、ムラクモの顔面はぐちゃぐちゃになっていた。
サヨリは目を細めて、そっと泣きすがる我が子の頭を撫でる。
「ムラクモ……もう大丈夫ですよ」
耳に響く母の声、肌に感じる母の温もり。
不安に支配されて硬直していたムラクモの心は、それらに触れてようやく動き出したのだった。様々な感情が込み上げ、ムラクモの胸を強くついた。
「うぇええっ、母上っ……! 良かった、僕……うえぇええ……ッ」
つよくつよく母の足に抱きつき、ムラクモは全身に感じる温もりを確かめる。
幼い彼にとって何もかもが変わってしまった暁の街はどれほど恐ろしかった事だろう。禍々しい破壊の痕がどれだけの恐怖を少年に与えた事だろう。
それらに耐えるために、ムラクモは心を動かさず、感情を消す事しか出来ないでいた。
だがようやく彼は泣く事ができた。小さな体の全身を使って、母に縋る事が出来たのだ。
泣きに泣き続けて、十数分の間をそうしていた。それからようやく涙が枯れ果てたムラクモがぼんやりと頭だけを上げる。
そして冷静になった思考が甦ってくると……彼はふいに嫌な胸騒ぎを覚えた。
「……母上。――父上は?」
泣きつかれた頭で、ぼんやりとそう聞く。
戦いが終わってから三日も経つというのに……ここには父の姿が欠けていた。
ふいにサヨリは顔を強張らせて――目を逸らす。唇を噛み締め、何かに耐えるように。
その仕草の意味は、よく分からない。
ムラクモはふとサヨリの右腕に目を向ける。
そこには顔に涙の跡を付けてすやすや眠っているナギが抱かれていた。ムラクモが来るより先に泣くだけ泣いて、そのまま寝てしまったのだろう。
ぼんやりとその寝顔をムラクモが見つめる。