小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

「山」 にまつわる小品集 その壱

INDEX|6ページ/18ページ|

次のページ前のページ
 

鈴の音  (サイコサスペンス)


 硫黄岳から横岳へ向かうナイフリッジを過ぎ、岩峰を3点支持で慎重にまわり込む。西側の深く落ち込んだ崖はロッククライマーに人気の高い、大同心である。
 東の風が、雲を伴って吹き上がってきた。風の当たらない岩陰を選んでザックを下ろし、ポリタンと行動食を取り出した。ザックの上に腰かけてポリタンの水を口に含み、羊羹の包装を破ってかじりつく。行動食に羊羹を選ぶのは詩織の嗜好だ。

 ちょうど1年前、詩織を伴って同じコースを歩いた。黄葉のシーズンである。

 詩織が山岳会に入ってきたのは3年前だったろうか。特に目立つこともなく、いつも静かにほほ笑んでいる、といった感じだった。しかし、負けん気が強くて、時間があれば体力作りに励んでいたようだ。あるいは誰かを誘っては山へ出かけていた。
 僕も誘われて何度か一緒に出かけているうちに、彼女の芯の強さと優しさに気付き、心惹かれるようになった。
 いつしか関係は深まっていき、お互いに結婚を考えるようになっていった。それはまだ、ふたりだけの秘め事であったが。

 詩織はザックにいつも鈴を付けていた。チリーン と優しい音を奏でる南部鉄でできたクマ避けの鈴だ。

「いつクマと出くわすか分からないから、鈴は必携よ」

 どの山へ行っても、その鈴音は我々を優しく包んでくれた。


 その日・・・
「ねぇ、康樹、私たちこのままで大丈夫?」
「なんのこと?」
「私、聞いたの。康樹に縁談が持ち上がってるってこと。会社の社長さんの娘さんで、同じ部署で働いてるんでしょ」
「そっか、参ったな。でも断るつもりだよ」
「・・・・・・」
と話をしたのは、ここで休んでいる時だ。


 僕は残りの行動食とポリタンをしまい、再び歩き始めた。

 なぜ詩織は縁談のことを知ったのだろう。それを知っているのは身内の者だけである、とその時は不思議に思ったが聞くことはしなかった。
 ふたりとも黙ったまま岩稜を歩いているとき、前を行く詩織が急に振り返って言った。

「私、康樹が幸せになってくれるんだったらそれでいいの」

 僕は詩織の方へ手を伸ばした。

 なぜそんな行動をとったのか分からない。その時詩織はバランスを崩した。

 チリ、チリ、チリ、リ――ン  と鈴はけたたましい音を上げて遠ざかっていった。