「山」 にまつわる小品集 その壱
翌週、美優は[マウンテンゴリラ]と書かれた広場の柵の前に立ち、さくらを眺めた。美優のいる柵から広場の間には、ゴリラが来られないように返しが施されている。
さくらのスケッチを始めた。正面から。横になっているところ。バナナを食べている様子など、根気よくそのタイミングを待ちながら。
時々さくらは、じっと見つめてきた。
――なんちゅうきれいな澄んだ眼をしてるんやろ。この前みたいな流し眼、してくれへんかな
描いたスケッチを1枚はがして、紙飛行機にして飛ばした。さくらから離れた所に落ちたが、さくらはのっそりと立ち上がって拾いに行き、広げてじっと見入っている。そのまま寝室のほうへ入ってしまった。
次の週、さくらはゾクゾクッとする流し眼を送ってきた。すごい色気を感じる。心が湧きたつようで、夢中になって、一挙手一投足に至るまで観察し、描き続けた。そうしているうちに美優は、さくらと一体感を感じるようになっていた。自分を見つめるまなざしに、あふれる“愛”を感じた。
美優は以前描いていた自画像を、さくらの画と共に紙飛行機にして飛ばした。
「美優、最近どないしてん。デートしてくれへんし。俺のこと嫌になったんか?」
学校の廊下で会った時に問われた。
「そんなことあらへんて。画、描くんが面白なってきただけや。それに試験も近いし」
美優は動物園に1日中入り浸ってさくらを描き続けた。さくらだけを描いた。さくらはポーズをとるようにもなった。描いている間中動かないでいる。自分が満足できた画は、紙飛行機にして飛ばした。その度にさくらは、拾い上げると寝室に入ってしまう。
年が明けると、大学受験が始まった。芸術学部を目指していたが、ことごとく失敗した。海斗と会うこともなくなっていた。
どうしようもなく、どうしたらいいかも分からず3カ月ぶりに動物園に行った。
作品名:「山」 にまつわる小品集 その壱 作家名:健忘真実