「山」 にまつわる小品集 その壱
比良山の麓にある明王院で修業に励む僧がいた。
仁恵という。近江で生まれ、母の死によって寺に預けられた。
幼い頃より涙を見せず、辛いことから逃げもせず、己に対しては頑固であるが、長じてからは人のために涙し、人の辛い出来事を我が事のように思い、悲しみを共に受け入れた。
寺の北側を流れる明王谷を遡れば三ノ滝がある。仁恵は毎日そこで滝に打たれ、瞑想を続けた。
――人はなぜに苦しみから逃れることができないのか
仁恵の荒行は千日回峰を達成するまでになった。37歳である。
――己の苦しみは己自身で緩和できる。人の苦しみはどうすれば和らげ ることができるのだろうか
そんな日々、比叡山に呼び出された。
猪首でほほ肉を垂らした小太りの明雲座主を前にして、ほほ骨が張り出し痩せてはいるが、落ち窪んだ目に強い信念を宿した仁恵は畏まっていた。
「そなた、平敦盛の血を引いておるそうじゃな」
「そのように聞かされております」
「ふむ、千日回峰も達成しておる、大したものじゃ・・・・直載に申そう。仏となりてこの世を救ってはくれぬか。大地が揺らぐのは平家の崇りじゃと民は恐れておる。民心を鎮めるには平氏の血を引くそなたが適任じゃと、思うてな」
「若輩の私がそのような畏れ多いことを・・・」
作品名:「山」 にまつわる小品集 その壱 作家名:健忘真実