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なつきすい
なつきすい
novelistID. 23066
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閉じられた世界の片隅から(1)

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 治安の悪化に拍車をかけていた劣悪な生活水準も、その両親の尽力によって大幅に改善された。医療については、医師と薬師の養成学校を作り、大幅にその人数と質を高めた。イスクさんの両親も、この養成学校の出身だ。姉と僕も、苦しそうな顔でやってきた人たちを、穏やかな笑顔に変えて帰宅させるばーちゃんの治療着姿に憧れて、それぞれ12歳から14歳の間、そこに通っていた。城下町での売れ残りや廃棄に頼っていた薬草も、一部はスラムでの栽培に成功し、入手が容易になった。ばーちゃんの母の伝手で、城下町の研究機関にいた植物学者の協力を仰ぎ、農業生産も向上したという。初めは苦労の連続で、反感を買うことも多く、また直ぐに私財をすべてなげうってしまうため、ばーちゃんが幼い頃は非常に貧しく苦労の多い生活を強いられたらしいが、ばーちゃんもまた医学を学び、両親の作ったシステムをなんとかうまく回して行こうと奔走したらしい。一度歯車がかみ合いだすと、ひとりひとりの力ではどうしようもなかった治安が、安定的に保たれるようになった。
 そしてそれから数十年が経ち、この街は国とは違うシステムによって、ある程度安定した秩序が保たれるようになった。日銭を稼いで糊口を凌いでいた人々は、家や店を構え、安定した日々を求めるようになった。街中全体を覆っていた不信感のようなものも徐々に薄らいで、先日の大雪の時のような助け合いの行動も見られるようになってきた。国がこの街になんら行政サービスを提供しない代わりに、軍人たちがこの街で自らの立場を保証されることはないという覚書を取り交わしたことで、軍人たちによる暴虐行為も大幅に減少した。およそ20年前に起きた戦争の時も、この街出身の軍人の何人かが犠牲になったことと、国内の別地域相手の商売が一部不況に陥ったことを除けば、物資の提供も訓練場所の提供も拒否し、戦争によって被害を受けることはなかったという。国から完全に犯罪予備軍、あるいは浮浪者とだけ見なされていた街の住人の扱いも変わりつつあり、差別は色濃く残るものの、イスクさんのように、優秀な頭脳を見込まれて国立の研究所に所属している人もいるし、姉のように、新開発した薬の製法を国家お抱えの薬学者に売り付け、大金をせしめている人もいる。治安は国の中では悪い部類に入ることには間違いないし、生活・教育水準も低く、僕らのような捨て子は一向に減らない。それでも、この街を覆っていたなにかどうしようもない重たい霧のようなものは晴れたのだと、昔を知る中高年以上の人たちは、時折思い出しては僕たちに語る。何をしても絶望しか見えなかった頃とは違い、希望だとか、努力をすれば報われるだとか、そんなような言葉を信じられるようになったのだと。
 僕らと生きてきた時代や境遇の違い、乗り越えて来た修羅場の数、成し遂げた役目に、見つめてきた様々な人の生き様、それが迫力の礎なのだろうか。そんなことを考えながら、僕は水を一杯飲み干す。上下水道の整備も、ばーちゃんたちの功績のひとつであるらしい。僕らが日常で行うそんな些細な事ひとつひとつについても、あまりに些細過ぎて、それがどれだけの苦労や努力の上に成り立っているのかを、僕らが実感できることはほとんどない。
 僕には、ばーちゃんたちのような大きなことを成し遂げるのは難しいような気がする。多分、それは今までに積み重ねてきた危機感の違い。目の前に苦しんでいる患者さんがいれば助けたいと思うし、トラブルの現場に通りかかって放置することはできない。それでも、やはり僕には目の前のことしか見えてはいない。要するに僕は相当におめでたい人間なのだろう。今までに苦労らしい苦労はした覚えがないし、先日の強盗の一件のように、本当にどうしようもないほど危険な場面に遭遇したこともない。唯一、幸せでない体験と言えそうなのはゴミ置き場にゴミと一緒に捨てられていた記憶で、それを思うに多分産みの親には決して愛されてはいなかったのだろうけれど、その頃のことはもうなにひとつ覚えていない。それゆえ、なにかを変えなくては、或いは、何かを為さなくてはというような、強烈な感情に突き動かされることがない。
 こんなことで良いのだろうかと、ばーちゃんらの昔話を聞いたそのときには思うのだけれど、一晩眠って目覚めれば、大体は忘れてしまうのだ。
 姉はどうなのだろう。ふと思う。でもきっとそれも、姉が帰ってくる頃までには忘れてしまうのだろう、という気がした。



 その日、姉は傍目に見て明らかにそうと分かる程に、思い切り落ち込んで帰ってきた。玄関を開ける音すらいつもと違う。いつもなら姉はドアを破壊しかねないような勢いでドアを開け、「ただいま〜!」と家中を通り越してばーちゃんや妹の住む母屋にまで帰宅を報せる、はずなのだが。
「ただいま……」
 一瞬、誰かが間違えてドアを開けたのかと思った。急患も多いうちでは、診療所側の扉はいつも鍵が開けっ放しになっていて、住居部分に入る扉にだけ施錠している。時間帯も、安酒で酔った人たちがフラフラと歩き出す頃だ。しかし、その声は明らかに姉のものだった。
 かすかに扉が開く音はしたものの、その先の足音が一向に聞こえてこない。一分程待ってみたが、姉が住居部分の扉を開けにくる様子はなかった。どうしたのだろう。大量の感謝と尊敬を集める代わりに少なく見積もってもその五分の一くらいの恨みは買っているであろううちの姉だが、そんな連中が束になって闇討ちに行ったところで、恐らく姉にかすり傷ひとつつけられないに違いない。 だから玄関で背中から刃物を生やして血塗れになっているということはないだろう、とは思う。少なくとも昼過ぎに出かけたときには元気そうだったので、体調が悪いということもないだろう。もしも今日も突発的に買い物をしてしまい、大量の荷物を抱えて途方に暮れているのなら、玄関先で僕を呼ぶはずだ。
 いろいろな可能性が次から次へと浮かんでは消える。姉が玄関から上がってこない場合を次々想定してはみたが、どれもこれもありえなさそうで、僕は席を立った。
「おかえり、フィズ……うわ」
 とりあえずどの予想も外れていた。診療所部分の玄関で倒れていた姉は、別に怪我をしている様子でも、熱を出している様子でも、荷物を抱えてもいなかった。最初に考えた可能性…間違ってうちに迷い込んだ酔客、というのが一番近いだろう。間違っても迷い込んでも客でもないだけで。
「フィズ、酒飲んできたの!?」
「うー……」
 半分現実と夢の境を彷徨っているような姉の顔を上げる。目は虚ろで、顔中が真っ赤になっていた。顔を近づけるまでもなくわかる、強烈なアルコールの匂い。漂ってくるその香りだけで、僕の足さえもつれるようだ。
「フィズ!」
 耳元で強めに呼びかけると、やっと僕に気づいたのか、その赤と金の目をこちらに向けた。
「あー、サザ、ごめん……吐きそ……」
「ちょっ、待っ!? 吐かないで、少し待ってっ」