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なつきすい
なつきすい
novelistID. 23066
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閉じられた世界の片隅から(1)

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 うっと唸って口元に手を当てた姉を慌てて担ぎ上げ、トイレへと走る。普段から姉の荷物持ちで鍛えていて良かった。重いとも感じなかった。走っても音がしない。珍しく、姉のポケットは空っぽのようだった。トイレに着くなり、姉は盛大に吐いた。ますますアルコールの匂いが濃くなったような気がして、僕は窓を開けた。もうすぐ冬の終わりも近い時期とはいえ、外から吹き込む風はあまりにも冷たかった。一通り吐き終え、胃酸しか吐くものもなくなったあたりで、姉は一呼吸ついた。
「口ゆすいできなよ。片付けておくから」
「ん、ごめん……」
 よろよろと立ち上がったそばからふらつき、壁にもたれながら洗面所へと向かう。吐き終えた姉の表情はげっそりとしていた。一体どれだけ飲んだのだろう。姉がこれだけぐでぐでになるまで泥酔したところなど、これまでにニ、三回ぐらいしか見たことがない。そもそも、酒自体別に好きではないはずだ。
 換気を兼ねて窓を全開にする。雪だけ吹きこまないように網戸は閉めた。空気が一通り入れ替わったら、部屋を暖めなくては。幸い血圧が心配な養母は母屋だし、僕らの年齢で寒いトイレで卒倒することはそうそうないと思う。洗面所から何度も何度も、口を濯ぐ音が聞こえた。水を流し、戸を閉める。本格的な掃除は明日でいいだろう。
「大丈夫?」
「うー……気持ち悪い……」
 洗面台にもたれている姉の背中をさすると、小さな声で「ごめん」と返ってきた。そっとコートを脱がせて確認する。これだけはかなり吐瀉物が掛かっていて、きちんと洗濯しなければならないようだったがほかのものは大丈夫だ。シャツのボタンを上から二つ緩めると、少し楽になったのか、大きく息を吐く。そしてそのまま潰れるように床へとしゃがみこんだ。しばらくは何も言わず、ゆっくりと呼吸を整えていた。
「大丈夫? 部屋戻れる?」
 姉は小さく頷き、洗面台に手をかけて立ち上がろうとした。しかし手に力が入らないのか、そのままずるずると崩れ落ちる。バランスを崩して床に打ち付けそうだった頭を咄嗟に押さえた。姉はまた、聴こえるか聴こえないかぐらいの声で、ごめん、と呟いた。手を引いてゆっくり立たせた後、僕は姉を抱えあげた。この様子では、階段を上がって二階の姉の部屋まで戻るのは無理だろう。戻れたとしても、あの半ば物置化している部屋で、物にぶつかったりしそうで、転んだ拍子に頭を硬いものに打ちつけかねない。
 なるべく揺すってしまわないように、先刻トイレに運んだときとは反対に、ゆっくりと歩く。コートがないだけなのに、さっきよりもやたらと軽く感じた。こんなに華奢だったっけ。左手からシャツ越しにすぐに背骨が触れる。右手に、足の骨の形がそのまま伝わるようだ。この間うっかり凍った路面で足を滑らせ、足を捻った姉を家まで負ぶってきたことがあったけれど、そのときは分厚く重いコートやら、さらにその上に羽織っていたマントやら、ポケットの中のあれやらこれやらで、軽いとはとてもとても思えなかった。骨折の件といい、今冬は特に姉の不注意が目立つ気がふとした。階段を昇り、姉の部屋のドアを開ける。数日前に寝坊した姉を起こしに行ったときよりも、物が増えている。姉の部屋の荷物の大半を占める魔法関係のものは僕はからっきしなので、極力触らないように気をつけながら、姉をベッドに運んだ。大きな帽子が枕で潰れてくしゃりとなる。
「着替えてて。飲み物作ってくるよ」
「……ん、ありがと」
「他に何かいる?」
「おしぼり……」
「ん、待ってて」
 階段を早足で下って台所へ。水とたっぷりの砂糖と少々の塩を適当に混ぜて、果物のエッセンスで香りをつける。あまり冷え過ぎていると吐き気を誘発してしまうから、それを入れたポットを少しストーブの上に置いておく。その間に、タオルを3枚、水に濡らしてから軽く絞った。ポットとおしぼりとコップをひとつお盆に載せて、もう一度姉の部屋に向かう。
「フィズ、入っていい?」
「ん」
 返事を確認し、ドアを開ける。既に寝巻きに着替えた姉は、寝るときでも帽子にはこだわりがあるらしく、ナイトキャップの位置を整えているところだった。
 テーブルの辛うじて物の置かれていない場所を探し、お盆を置く。ポットの中身をコップに注ぎ、手渡すと、姉は上半身を起こしゆっくりと、こくこくと音を立てて飲み干した。
「ありがと。あー、みっともな……」
 先ほどよりは酔いが醒めてきたのか、それなりにしっかりとした口調で呟いて、姉は頭を抱えてベッドに倒れこんだ。
「イスクさんと飲んできたんだっけ?」
「あー、イスクと一緒だったのは晩御飯まで。飲んでたのはひとり」
 なんでまた、と思ったが、聞かなかった。そのまま暫く、外の雪と風と、ストーブの熱で膨張した金属が軋む高い音だけが聞こえる。がたり、と窓枠が揺れた。上半身を起こして、姉がおしぼりに手を伸ばすがあと一歩届かない。手に取って渡すと、顔と首筋を軽く拭き、そして何故か突然寝巻きを脱ぎ始めた。
「はい!?」
 慌てて目を逸らす。どうやら気配からして、身体を拭いているようだ。いくら弟とはいえ、それなりに年頃の男がいる状況で女性のする行動ではないだろう。気にしなさすぎだ。それとも、酔っ払ってるせいだろうか。
「どしたの、サザ?」
「どうしたもこうしたも……フィズ、酔ってる?」
「頭は大丈夫だけどまだ胃は気持ち悪い〜。だから今日はお風呂やめたんだよ。お酒飲んでからお風呂入っちゃ駄目ってよく言うじゃない」
 良かった、ここが飲み屋さんでなくて。心底そう思った。なんでこんなに清明な発言をしてる割に全力で酔っ払いなんだ。酔っ払いは自分が酔っ払っていることを決して認めない。ボケた人も自分がボケていることを絶対に認めないのに通じるものがあるのかもしれない。
「サザ、おしぼり新しいの取ってー」
「自分で取りなよ」
「手ぇ届かないんだもん」
「立てば?」
「やだ」
 駄々っ子のような応答。心なしか言葉遣いもいつもより幼い気がする。
「しょうがないなぁ」
 僕はなんとか姉のほうを見ないように見ないようにと務めながら、おしぼりを渡し、使い終えたものを受け取る。
「ん、ありがとー」