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なつきすい
なつきすい
novelistID. 23066
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閉じられた世界の片隅から(1)

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 イスクさんは、姉の幼馴染で、僕も良く知っている。この間、姉が骨を折った時に思い出した、あの発言の主こそ彼女だ。姉の骨は既に完治したが、例年より春の気配の訪れは遠く、未だ雪は深い。
 イスクさんは姉と同い年で、そして同じく人間以外の血を引いていることを示す尖った耳を持っている、なんともおっとりほわほわした空気を持つ女の人だ。加えて元捨て子、という境遇までもが同じであるためか、小さな頃から親しかったようだ。イスクさんの育った家庭は繁華街にある薬屋で、頻繁にイスクさんの家に出入りするうち、姉は薬の調合に興味を持ったらしい。姉に薬の心得を伝授してくれたのはイスクさんの両親であり、彼らはフィズラク・シャズルを一人前の薬師にしたのは自分たちだというのを、酒に酔っては自慢そうに飲み友達に語るのだと、いつだったかイスクさんは苦笑いしながら言っていた。フィズラクは薬師じゃなくて、薬も含めてなんでもできるだけなんだけどねえ、とイスクさんは物凄くおっとりのんびりとした口調で話すのだ。
 イスクさん自身は、薬学よりも魔法工学に関心があり、その筋の研究室の研究員見習いをしている。魔法関係なら何にでも興味を持ち、そしてどの分野においても概ね抜きん出た才能を発揮する姉も半年ほど前まで月に数日聴講生として通っていたが、かけている時間の違いも熱意の差もあって、これだけはどうしてもイスクには勝てないし、勝つつもりもないのだと、姉は言う。先日、イスクさんはなにやら凄い技術を開発したらしく、そのお祝いなのかもしれない。一体何の技術なのかを一応姉に聞いてみたのだが、出てくる単語ひとつわからない有様で、とりあえず「凄いらしい」ということだけはわかった。多分それだけわかっていれば僕のようなド素人にとっては十分なのだろう。
 今日姉が出かけることは数日前から決まっていたことなので、既に診療所の玄関には「午後・フィズラク不在」の札が掛かっている。軽い怪我の処置や、一般的に魔法での治療を行わない内科的病気の診断と薬の処方であれば僕でも多少はできるので、休診にはしない。それでも、町に数件ある診療所で、うちが選ばれる理由の一番大きなものは姉の治癒魔法なので、こういう日は患者の数はどっと減る。今日来たのは熱を出した小さな子どもが3人と、いつもと同じ薬をもらいに来た近くの老人、たまたまうちの前で滑って転んで膝を擦りむいた男性がひとり。そして一番大きな事例はうちのすぐそばで突然産気づいてしまった女性で、これはばーちゃんに救援に入ってもらい、僕が補佐をする形で無事に生まれた。母子共に健康だったため、人力車を手配して自宅へ送っていった。女性の家では買い物に出たままいつまでも戻らない身重の女性を探して家中が大パニックになっており、女性のご両親は涙を流して娘の無事と孫の誕生を喜んだ。どうやらこの子どもの父親にあたる人には他に家庭があるようだったが、この街では珍しくないことだ。むしろ、両親がわかっていて、母から愛されて生まれ、屋根のある家で育つことができるであろうこの子はどちらかといえば幸運な部類に入る。赤ん坊の祖父母は小さいながらも畑を耕しており、貧しくとも食べ物には困っていない様子だった。今ではそれなりに当たり前になりつつあるこんな生まれ育ちが、ほんの数十年前まではこの街では極一握りだったのだと、養母は言う。
 この街は、ばーちゃんが幼い頃は「スラム」と呼ばれていたという。丘の上にある城、それを取り囲む城下町、そしてその北にある、浅く広い谷に広がるスラム。水はけも日当たりも悪く気温も低いこのあたりには、この国ができたころから徐々に、仕事を求めてやってきて、それでも城下町に住めなかった人々や、なんらかの事情で家や仕事、あるいは持っていたすべてを失った人、それまで住んでいた町を追われた犯罪者などが集まりだしていたらしい。また、望まれない子ども、不義の子なども、まるでゴミを捨てるかのようにこの街に捨てられてきた。位置的には城下町のすぐ近くにありながら、国の法も福祉もなにひとつ届かない。略奪や暴行、殺人が横行し、それを止めるための治安維持機構もない。本来国民を守るはずの軍人までもがそれらの暴虐の輪に加わり、それをガス抜きの場と考えた軍はそれを黙認していたそうで、今のこの街しか知らない僕にとっては想像もつかない、さながらそれは地獄であったという。
 当然医療などまっとうなものはほとんどなく、人々は必死に薬草などで病気や怪我を凌いでいたそうだ。栄養も十分ではなく、ばーちゃんは育ての父から、父の妹が栄養失調で命を落とした話を何度も何度も聴かされて育ったらしい。ばーちゃんもまた産みの親の顔を知らない子どもだった。ばーちゃんの育ての父は医師で、育ての母は元法律家であったが、ある裁判で王族の身内に不利益となる判決を出してしまい、それが元で地位を失い、スラムへと逃げてきたのだという。スラムの医師として絶望的な現実を目の当たりにし続けてきたばーちゃんの育ての父と、恵まれた環境からいきなりどん底へと放り出された育ての母は、なんとかこの場所を変えられないだろうかと考えた。
 ばーちゃんの父は自分に出来ることをした。即ち目の前の患者をひとりひとり救い続け、確実に信頼を得ていった。そして、彼を信じる仲間たちを組織して、残虐行為の取り締まり組織を作り上げたのは、その妻だった。それまで誰一人やろうと思わなかったことをたったふたりから始め、そしてその活動は徐々に拡大していった。彼らによって救われた人の中から、少しずつ、彼らに協力する人が出てきたのだ。なにをしてもどうせ変わらないと思っていた人たちの心が、自分たちが実際に救われたことで、誰かの運命を変えられるかもしれないと思うようになったのだと、両親はばーちゃんに語ったそうだ。
 それから数十年、スラムの治安は当時から比べると見違えるように改善し、組織は「そんなものがなくとも皆がお互いに助け合う」という宣言を持って解散した。母から法律の理念を仕込まれたばーちゃんは、捕らえられた犯人らの処遇を決めるという立場にあり、厳しくも犯人の更生を促すような名裁きで知られる。先日の強盗未遂の男も、現在ではばーちゃんの知り合いの営む店で、下働きとして勤め始めている。現在では法のようなものも出来上がりつつあり、ばーちゃんが判断する必要はないのだが、やはりそれは長年培った信頼と人徳によるものなのだろう。現在でも、街でなんらかの問題が起こると、ばーちゃんの元へ持ち込まれることが多い。