閉じられた世界の片隅から(1)
「ここに知らない人が寝てるんだけど、これなーに?」
お前僕と話すときとばーちゃんやフィズと話すときで何でそんなに口調が違うんだよ、と問い詰めたい衝動に駆られたが、押さえた。一番幼く、年齢的に恐らく最後の養い子となるであろうスーに対して、ばーちゃんは砂糖多めのアイスクリームにこれまた特別甘ったるく作った生クリームをかけた挙句フルーツジャムをトッピングしたかのようにめろめろに甘い。僕の記憶が確かなら、同じぐらいの年頃でも、僕らにはもっと厳しかったような気がしてならないのだけれど。両親も知れない僕らと違い、妹はその出産の瞬間に、ばーちゃんが立ち会っている。身体の弱かった妹の母親は、この診療所でスーを産み落とし、彼女が好きだったという花の名前を付け、そのまま亡くなったという。生まれたその日からばーちゃんに育てられてきたせいか、スーは生後およそ半年で拾われた姉や、三歳になるかならないかの頃に姉に助けられた僕よりも、ばーちゃんに甘えるのが上手いのだ。
そして、何故だかわからないが、やたらと僕は目の仇にされている、と言おうか、あるいは馬鹿にされていると言えようか。明らかに僕とばーちゃんたちで接し方が違う。やはりばーちゃんがご飯を作ってくれた人であり、姉がおむつを換えてくれた人であり、小さかった僕は姉たちが取られたようであまり面白くなく、ついちょっかいを出して泣かせては叱られていたせいだろうか。きょうだいの真ん中ってつくづく微妙な立ち位置だとは思う。
「あー、それはさっき」
言いかけると、スーは小馬鹿にしきった口調で、遮った。
「あんたには聞いてないわよ」
「ぐっ……」
可愛くない。そんなこととうに知っている。将来こんなことになるとわかってたら、七歳ぐらいの僕はもう少しスーに優しくしていてあげたのだろうか。無理だろうな、七歳児だし。あの頃については正直スーのことよりも、スーを泣かせてばーちゃんや姉に怒られていることのほうがより鮮明に思い出せる。僕がこの家に来たとき、姉は六歳か七歳で、スーが此処に来たときの僕と変わらないが、大分様子は違った。僕はほとんど覚えていないのだが、僕を拾って帰ってきた姉は、自分が絶対面倒を見るからこの子を家に置いてあげてと、今思うと犬か猫でも拾ってきたかのような調子で宣言し、しかし実際嬉々として世話を焼いてくれていたのだという。しかしほとんどは貰い手を捜すことになるとはいえ、頻繁に動物を拾ってくる姉の姿を見ていると、僕も犬猫と大差ないのではないかと思うこともないわけではない。
「そうだよばーちゃん、こっち、これ本題! こいつ強盗!」
「未遂だけどね」
この永遠にも続きそうなお説教をやめてもらえるチャンスに気づき、姉が慌てて答える。むしろ姉にやられた被害のほうが大きかった気さえするこの気の毒な男が凶悪犯になってしまわないように僕も補足する。
「強盗未遂? あんたたちが捕まえたのかい」
ばーちゃんの表情から少しだけ険しさが消える。ほっとした様子で姉は続けた。
「うん。お店の外で待ってもらってる間に、サザが襲われて」
「情けなっ」
右から来たスーの呟きを、僕は左へ受け流した。たまに受け流しに失敗してやや傷つくこともある。
「で、これを連れて来たから荷物が持ち切れなくなって、その……」
姉はごにょごにょと口ごもった。感覚麻痺の多用の件は、怒られる可能性が高いため、ばればれとは言え、あまり言いたくはないらしい。いつも自信満々に振舞い、大体のことを実力行使で解決しがちな姉が唯一小さくなる相手が、純粋な力だけならどう考えても姉には勝てないはずのばーちゃんなのだ。年の功なのか、それとも元来こういう性格だったのか、当然ながら僕らは知らない。
「あー、まぁ、そういうことならしょうがない……がね」
目に見えて姉の緊張が解けたのもつかの間、直ぐに直立不動の姿勢に戻る。
「そもそも自分で持てないぐらいの買い物をするんじゃないって何度言ったらわかるんだいこの買い物中毒娘! 無駄遣いはいけないとおまえが三つぐらいの頃からずっと言ってるだろう!」
「無駄遣いじゃないもん、仕事と研究に必要なものだよっ」
「無駄じゃないというならあんたらの家を改めさせな!」
「それは困る!」
「なにが困るんだい無駄買いしてないんだったら自分の部屋だけで用が足りるだろ!」
「……見てきたように言うなぁ」
僕が思わず口にした言葉は、幸いなんと言い返そうか考えるのに必死な姉には聴こえていないようだった。どんどんヒートアップしていく姉とばーちゃんを横目に、僕はとばっちりを避けるため、数歩後ずさりする。部屋の出口付近まで避難したところで、ふと足元を見やると、先ほどの男が半ばあきれ果てた様子で、姉たちの親子喧嘩を見ていた。
「おい坊主、俺ぁポカやってパクられたことは何十回とあるがな」
「多分犯罪者向いてないんでやめたほうがいいと思いますよ。三回目に捕まったあたりで気づいてください」
今回も犯行から二十秒で御用だったことだし。そう思ったが、男は意に介した様子もない。あまり過去にこだわるタイプではないのだろう。
「あんなに動じねえのは坊主が最初だし、……ここまで放っとかれたのも今までになかったぞ。なんなんだあのキレーな嬢ちゃんとおっかねェバアさんは」
「うちの姉とばーちゃんです。……まああと十分もすればお互い疲れてやめると思うので、もう暫くそのまんまで待っていてください」
「……坊主、苦労してんな」
……数十回捕まっても気にしない人に、同情されたくない。そう思ったが、この争いを止められない僕は、それに反論するための言葉を持たなかった。
それでも僕は、苦労しているとは思わなかった。なぜなら、これ以外の日常を、僕は知らなかったからだ。非日常という言葉の僕にとっての本当の意味も。少なくとも、この頃は未だ。
サザ君は非日常の閾値が高すぎるよね、とは、かつて僕が姉の親友に言われた言葉である。そしてそれは多分かなりの部分で正しい。その真意を翻訳すると、例の強盗未遂の男の言っていたこととたいして変わらないのかもしれない。
昨日一日中降り続いた今年一番の大雪のために、街は雪に埋もれ、平屋建ての家や掘っ立て小屋の出入り口が埋もれてしまう被害が続出した。うちも玄関先が埋もれてしまい、今朝は二階の窓から飛び降りないことには家から出られない。ばーちゃんは街中で手の空いている人に自分の家だけでなく近隣の家の雪かきもするようにとラジオを通じて呼びかけている。特に出入り口が埋もれてしまった家の発掘は急務だ。
道路が通行可能にならないことにはどうせ患者さんもやってこない。僕らも診療所を午前休診にして、除雪作業を行うことに決めた。
作品名:閉じられた世界の片隅から(1) 作家名:なつきすい