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なつきすい
なつきすい
novelistID. 23066
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閉じられた世界の片隅から(1)

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「フィズラクが契約した魔人は、例の創世の生き残りの、ファルエラ。この人が、未だに生きてる理由は、契約者の寿命を糧にしているからと言われているわ。契約できなくても、召喚して、彼女の気に食わなかったらその場で生命力を毟り取られることもあるらしいの。だからこそ、召喚自体は創世の魔人のわりに儀式も簡単で、誰の召喚にも応じる」
「………」
「もしやるなら、技術的なサポートは惜しまない。それこそ、最後にサザ君が呪文のカンペを読むだけでいいような状態にはできる。何しろ誰の召喚にでも応じるような相手だから、そこは大丈夫だと思うわ。でもね、一度奪った寿命を返してくださいって言うんだから、契約違反もいいとこ、とんでもないことを言っているのは間違いなくこちらよ。サザ君はちゃんと生きているし、向こうには何の非もないんだから。相応の代償はいるだろうし、気に入られなかったら直ぐに殺されるかもしれない。どっちに転んでも、無事には帰れないかもしれない。……サザ君、あなたは、フィズラクのために、命を捨てる覚悟はあって?」
 命を捨てる。つまり、そういうこと。生きて帰れない可能性。自分以外の誰かのために。
「そうじゃないなら、カンペとかはあげない。でも、それでも全然いいの。わたしはそうしないって決めたし、サザ君がどんな選択をしたって、わたしやフィズがそれに不満を持つことは、絶対にないから」
 イスクさんの言葉が、耳に届く。
 それでも、答えは、決まっている。
「あります。今の僕は、フィズが作ってくれたんです。フィズがいなくなって、フィズを忘れてしまったら、僕は僕じゃなくなる。それなら少しでも、可能性に賭けたい」
 僕が何もしなければ、確実に待つのは永遠の別離と忘却。
 それなら、少しでも可能性があるほうを、僕は選ぶ。
 自分で何かしなければ、僕は、大切なものを、永遠になくしてしまうのだ。
「後悔は?」
「絶対、しません。でも、やらなければ後悔します」
「そう」
 ややあって、イスクさんは後ろの引き出しから、紙切れとなにかの道具を取り出した。
「これで、ファルエラを喚べるわ。召喚の儀式を、魔法鉱石に刻んだものなの」
 それは、複雑な回路の組まれた台に、鉱石と、力をかけるための針が取り付けられた道具。
「ここを押しながらこのカンペの呪文を唱えれば、それで召喚の儀式の代用になるわ。もし万一それで喚べなかったとしても、来てくれれば直ぐに、本式の儀式も始められるように用意してある。どうしても難しかったら、途中まで手伝うよ」
「ありがとうございます」
 本当に、心から感謝する。
 イスクさんが、姉の友達でよかった。僕はあまりに無知で、このままでは何が起きているのかもわからないまま、姉のことを忘れて。
「お礼なんか言わないでよ。わたしは、技術的にはここまで簡単にできても、自分の命を賭ける気なんてなくて、サザ君に任せた卑怯者なんだから。自分の命は惜しいのに、フィズラクには助かって欲しくて、そのために、サザ君にこんな選択を迫っている……」
 わたしにはできない、サザ君にはできるかもしれないというのは、そういうことなのと、イスクさんは、自虐めいた調子で呟く。そんなことない。いくら親友でも、他人のために自分の命を捨てる人なんて、そういない。それに、そんなこと姉だって望んではいないだろうから。
「多分僕も、フィズに似てバカなんですよ。自分が命と引き換えに助けられても嬉しくないって身をもって知ってるはずなのに、もしかしたら同じ状況を、フィズに強いることになるかもしれないんですから。だからせめてイスクさんだけは、変わらず聡明でいてください」
「サザ君」
「大丈夫です。なんとかして、フィズを助けてきますから。フィズが助かったら、仲直りしてあげてください」
 僕はそう言って、イスクさんからもらった道具とメモを持って、城下町を北へ、僕らの住む街の外れへの道を急いだ。早く、儀式を行わなくては。イスクさんと離れてしまった以上、ぼやぼやしているとすべてを忘れてしまう。かといって、あまり一般的に良いものとされていない魔人召喚を人目のあるところでやるわけにはいかない。それから、ここまで何から何までしてもらってから言うのも今更だけれど、命が関わるような場に、イスクさんを巻き込むわけにいかなかった。イスクさんは、姉のために死ぬことは出来ないのだと、はっきりわかっているのだから。
 別れ際、イスクさんはぽつりと呟いた。「どうして、サザ君はそこまでできるの?」と。
 その問いに、いろいろな感情が浮かんで、混じって、うまく答えられない。理由は多分、ひとつではない。それでも、ひとつ明確なのは、僕が姉のいない世界を、姉のことを覚えていない自分を、想像できないから。
 小さな子どもみたいかもしれない。大人になれば、変わるかもしれない。僕の世界も広がって、やがては離れていくのかもしれない。たとえそうなったとしても、小さなころからの思い出は消えない。繋がりは消えない。その選択肢を選ばないかもしれない。
 ひとりだけ生きるより、フィズに生きていて欲しい。初めから、諦めたくない。
 夜の闇が濃くなってきて、あたりから光が消えていく。姉の右目と似た色の今日の太陽は、とっくに沈んでしまった。気温が下がり、少し解けていた雪が凍り、しゃりしゃりという足音を立てる。イスクさんに上着と靴は貸してもらったけれど、それでもまだ寒かった。さっき裸足で走ったせいか、両足はとうに酷い霜焼けで、きちんと治療しないと凍傷になるかもしれない。でも、それは全部後回しで構わない。
 人も住んでいない、町外れ。立ち入り禁止の立て札を無視し、僕は走った。崖で光が遮られる、暗い場所。
 そこで僕は、イスクさんからもらった召喚器具のスイッチを押した。回路にセットされた鉱石が輝き始める。内容も理解しないまま、紙に書かれた呪文を読み上げる。
 呪文の構造も意味も仕組みもわからない。それでも、この呪文を唱える意味は知っている。怖くないといったら嘘になる。それでも、姉をこのまま永遠に失うことと、僕がそのことすら忘れてしまうことのほうが、ずっと、怖かった。
 長い呪文。意味もわからない。魔法書の丸写しのカンペをダダ読みしているだけ。それでも、あたりの空気が変わったような気がしたのは、魔人の気配か、それとも僕の緊張感がそう思わせてるだけなのか。
 詠唱とすら言えない、呪文の朗読が最後の一字に達した。何も起こらない。間違えたのか。そう思ってもう一度カンペに目をやろうとしたとき。
 回路にはめられた鉱石が一際強い光を放ち、次の瞬間粉々に砕け散った。あまりの眩しさに目が眩む。あたりに夜の闇が戻るまで数秒。
 目の前に立っていたのは、普通の人間とほぼ変わらない容貌を持った、妙齢の女性だった。
「あなたが―」
 世界を創り上げた創世の魔人とは、この姿だけではとても思えない。尖った両耳、昔話で聞いたのと同じ、紫水晶のような双眸は、間違いなく人間ではない、純血の魔人であることを表してはいても、純血の人間以外の人が身近にいたせいか、特に驚きはない。ああ、やはり僕の非日常の閾値は、極めて高いのかもしれない。