閉じられた世界の片隅から(1)
買い溜めしておいた本もあらかた読んでしまったようで、現在はイスクさんに姉が好きそうな本の調達を頼んでいるところである。イスクさんは先刻、姉が寝込んでいるという噂を聞きつけて見舞いに来てくれた。熱が三日も続いていると知って、万一長引いたときのことを考えて、実家の薬屋から何種類かうちの診療所で良く処方する薬を差し入れしてくれた。うちの家族で薬の調合ができるのは姉だけなので、これは助かる。あと数日姉が寝込んでしまった場合、診療所の薬の備蓄が切れてしまうところだった。まあ切れてしまったら切れてしまったで元々イスクさんのご両親にお願いして調薬してもらうつもりではいたのだけれど、心遣いがありがたかった。当の姉は、今の体調でも薬の調合くらいはできる、どうせ暇なんだからそれぐらいさせて欲しいと言ったけれども、「だめよ。いくらフィズラクが元気だと自分では思ってても、もし万が一失敗したら迷惑がかかるのは患者さんなんだから、体調が万全じゃないなら休んでなさい」と、いつものほんわりとした口調ながら、びしりと姉に釘を刺した。
「何か面白い話とか知らない?」
姉は退屈そうに、僕の顔を見上げる。面白い話と言われても、残念ながら僕の知る面白い話は、姉から聞いたものか、姉と一緒に体験した出来事にまつわることばかりだ。
「面白い話、なぁ………」
暫く思案したものの、僕の知識の中で姉の知らない話がそうそう浮かんでは来ない。いっそのこと、創作してしまおうかとも考えたが、残念ながらネタは出てきそうもなかった。
「あー、じゃあ、なんか記録鉱石で面白そうなやつ探して買ってきてよ」
「ダメだって。僕がいない間にもし具合が悪くなったらどうするのさ」
「イスクが帰ってきてからでいいから! もう三日も寝てばっかりで、さすがに飽きたよ」
姉にしては破格のレベルの我慢を強いられている。それは、僕にも良くわかる。普段の姉は、この歳になってもなお、小さな子どものように、働きアリのように、少しもじっとしていることなくあれやこれやと活動している。退屈など感じる暇がないほどに、次から次へと興味関心の赴くままに行動する。姉が医師、薬師、魔法使い、植物学者など様々な顔を持つのは、ひとえにその好奇心によるものだ。今大人しくしているのは、多分僕らに心配をかけないためだろう。偉ぶることこそないものの誇り高い姉は、相手に心配をかけたりすることをとても嫌うから。その割りにしばしば不注意でケガをしたり、厄介な事態に巻き込まれたり、厄介な事態を引き起こしてみたりしているけれども。
「じゃあ、イスクさんが戻ってきたら、買いに行くよ。どんなのがいい?」
「ありがと。じゃあこの間聞いたアレの続刊を」
「…………僕が聞きたくて買ったと思われたくないから、嫌だ」
「えー」
それにしても姉は有名人なのに、よく平気でああいうようなのを買えるものだとも思ったが、別にああいうジャンルに限らず、音楽や話芸、果ては昔話の朗読に至るまで幅広い内容を取り揃えているので、コレクション目的、あるいは、記録鉱石自体をなにかの研究に使うものと思われているのかもしれない。ばーちゃんに没収されたものを奪還してくれば、店のひとつやふたつは開けそうだ。
あれでもない、これでもないと考えているうちに、住宅部分の玄関の開く音が聞こえた。階段を昇るのは妙に重い足音で、なんとなく状況に想像がついた僕は、迎えに出ることにした。
「…ごめんなさいイスクさん、僕が行くべきでした」
案の定階段の途中の踊り場では、十数冊もの本を抱えたイスクさんが一休みしているところだった。僕の姿を見つけて、イスクさんは疲れた顔でにこりと笑う。
「サザ君ただいまー。いいのよ、多分フィズラクの本の趣味一番わかるのわたしだから。フィズラクが暇してるだろうな、って思ったら、ついあれもこれも買っちゃった」
「ありがとうございます。…僕がついていければよかったんですけど」
「大丈夫よ、全然平気。家の前までは台車に乗っけてきたしね。…でもこういうときは魔法が使えたら便利なのにな、って思うわね」
イスクさんはそう言って苦笑する。彼女は小さい頃から魔法実践が苦手で、しかし姉の影響か興味は強かったため、自分でもなにか魔法に関わりたいとして魔法工学の分野を選んだという。姉曰く魔法それそのものの才能だけならは僕のほうがまだましというほどに彼女は魔法を苦手としているらしいのだが、しかし僕の頭は魔法の仕組みや概念、構造を理解するにはとことん向いていないらしい。道具にしろ、機械にしろ、あるいは制度にしろ、システムを理解できないものになんとなく苦手意識を持ってしまう僕は、それがゆえに魔法に手を出したことは一度もない。
僕はイスクさんから本を受け取り、階段を昇る。荷物持ちは慣れているから平気だ。部屋では姉が待てを言い渡された餌箱の前の犬のような顔をして、僕らを待っていた。
「ありがとイスク!! もう暇で暇で暇で暇で!!」
「お肉もらったワンちゃんじゃないんだからあんまりがっついちゃダメよ。サザ君、フィズラクが元気になるまでは、一日最大二冊のペースで渡してあげてくれる?そしたら多分十日近くはもつはずだから」
「えー? 一日二冊なんてすぐ読み終わっちゃうよ」
不満そうに言うと、イスクさんはずい、と姉に一歩詰め寄って、がしり、と両の肩を掴んだ。
「病人が何を言っているの? 本当は一日一冊だけ読んであとは大人しく寝て早く良くなって欲しいと思ってるところを、それでもきっとフィズラクは退屈するだろうなと思って譲歩してあげてるのに。サザ君やおばあちゃんやスゥファちゃんにどれだけ心配掛けてるか理解していて? うちのお父さんとお母さんだって、フィズラクが熱出したって聞いて、お店ほっぽり出してでもお見舞いに来たいの我慢しているぐらいなのよ? わかるわよね?」
「……ごめんなさい」
有無を言わせないイスクさんの言葉に、姉は一言も返せずに黙り込んだ。普段おっとりとしているだけに、いや、いまでも口調だけはおっとりしているのだけれど、こういうときのイスクさんは妙に迫力がある。姉が逆立ちしても勝てないと感じているのは、多分ばーちゃんとイスクさんぐらいだろう。それは、このふたりが本気で姉のことを心配してくれているから。
「わかればいいのよ。……サザ君、本当にこの子が無茶しないようにお願いするね」
「人んとこ子どもみたいに」
「子ども扱いされたくないなら、もう少し大人っぽく振舞えばいいのよ、十九にもなって」
「イスク、今日はまた一段とキツいね……」
「だってちょっと言ったくらいじゃすぐ寝ないで本読んだり薬作ったり工作始めちゃったりするでしょう?」
「うっ……」
姉は思い切り気まずそうに、イスクさんから目を逸らそうとした。しかし肩を掴んでいたイスクさんの手はいつのまにか姉の顔を掴んでいて。
根負けした姉は、両手を挙げて降参の姿勢を示した。イスクさんの手が離れ、またいつも通りのほんわりとした笑顔に戻る。
「わかったわよ。無理しません。大人しく寝ます」
「うん、わかればいいのよ」
姉はぱたりと枕に頭を預けた。ふーっと、長い息を吐く。
作品名:閉じられた世界の片隅から(1) 作家名:なつきすい