息衝くオトコ
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午前中いっぱい身体を緩めっぱなしだった吉田の頭の中には、薄く靄(もや)がかかっていた。此島は一度家に帰り、律儀にも仏壇に手を合わせ、畑に寄ってから戻ってきた。二日酔いとは無縁の体質を持つ此島は、すこぶる快調だ。
日吉神社の“踊り”に向かう途中、小さな公園を抜けることにした。公園の真ん中には大きな池があり、その外周を廻れるように遊歩道が敷いてある。池の西端に小さな島があって、日中は亀の甲羅干しスポットになっていた。
日が傾いてきたとはいえ、まだまだ暑い。
ふと、隣にいたはずの気配が消えた。なぜか吉田は、自分が道に迷い込んだのではないかとドキリとした。後ろを振り返り、安堵する。此島は、島の片隅に生い茂った草に埋まるようにして建てられた祠(ほこら)の前で佇んでいた。
「おい、何やってんだ?」
吉田の問いかけに、此島は無反応だ。此島は真剣な顔をして、祠の中を覗きこんでいる。来すぎた分だけ戻り隣に立つと、此島は祠から目を放さずに言った。
「これ、白蛇が祀ってあるんだって。昔、じーちゃんが言ってた」
「へえ」
「白蛇って、アルビノの蛇なだけだろう?」
何の前触れもなく、此島は至極もっとなことを言った。吉田は意表を突かれ、それに応えるのが少し遅れた。
「――――いや、わからんぞ。世の中には白蛇種っていうのがいるかもしれないだろう」
「幸一らしくないねー。そんなこと言うの」
「アルビノって珍しいから、祀られてるんだろう。蛇は元々、縁起が良いとか言われてるしな。希少価値だよ。希少価値」
「希少価値……ねぇ。――よし、行こう」
吉田は何かしらの返事を待っていたのだが、此島は先に立って歩いていってしまった。急がず慌てず、それを追う。
「信じないでおくよ」
考えた結論が今、出たようだ。此島は吉田を振り向きそう言うと、歯を見せて笑った。
また会話がおかしな方に流れていく。吉田はズボンのポケットに手を突っ込み、タバコとライターを取り出した。火をつけ、煙を胸深く吸い込む。十分な間をとって吐き出しにかかったが、此島の言った意味はわからなかった。
「信じるとか、信じないとかの問題じゃないんじゃないか? この場合、現にこうやって祀ってあるし……」
「いや、これは信じないでおくよ」
「目で見た物しか信じないってことか?」
「アルビノは見たことあるよ。動物園とかにもいるし。でも、これは信じないでおくんだ」
あまりにもハッキリと断言されて、吉田はそれ以上質問するのをやめてしまった。
その後、日吉神社で見た此島の“踊り”は高校の時のままで、あまりの懐かしさに吉田は笑うこともつっ込むこともできずに見守っていた。あの『盆踊り』の時に、此島を遠巻きに見ていた観光客の視線が今の自分のものに重なって、吉田は自身に若干の嫌悪感を抱いたほどだ。
朝食時の疎外感がさわりと吉田の肌を撫で、提灯の明りが届かない暗闇に消えていった。故郷の空気は、いつまでも変わらないようではあるけれど、不変ではないのだ。変化が著しくないだけで、確実に動いていた。