ダヴィンチコード イン ジャパン
木村は、「ターキー。」と答えた。そして、「部屋に来るときドアを1回ノックした後、少し
間をあけ3回ノックしてください。」と頼んだ。ルームサービス係りは何か変に思ったようだが、
「分かりました。」と返事をした。
それから木村はホテルの中のトラベルエージェンシーに電話をかける。
そして、「大至急ロシアのサンクトペトロブルグに行きたい。飛行機を調べてください。ホ
テルも予約して欲しい。五つ星をお願いいたします。私は日本人です。ビザがありません。ビ
ザのことも調べてください。」と言って電話を切った。
しばらくすると、ドアをノックする音が聞こえる。1回ノックした後、間をあけて3回ノッ
クした。木村は、「間違えない、ルームサービスだ。」とつぶやきながらドアを開けた。
木村はルームサービス係りにチップを多めに渡し、「何か部屋の周りでおかしいことがあった
ら教えて欲しい。」と言ってドアを閉めた。
冷蔵庫のビールを飲みながらサンドイッチを食べていると、
電話が鳴る。
電話を取るとトラベルエージェンシーからであった。
係りの女性が、「飛行機は明日朝9:
30
発アエロフフート航空・ロンドン・モスクワ経由サ
ンクトペトロブルグ行きが取れました。ビザはモスクワのシェレメチボ空港にて300ドルで
即日発行してくれるそうです。ホテルはアストリアホテルが取れました。予約は何日間にしま
すか。」と聞いた。
木村が、「飛行機はそれで結構です。ホテルの予約は3日間お願いいたします。」と答えると、
「お支払いはクレジットカードでよろしいですか。」と聞いた。
木村が、「結構です。」と答えると、
係りの女性はクレジットカード番号を聞いてきた。
木村が番号を答えると、「5時までに1階のオフィスに来てください。Eチケットの番号を
お渡しします。バスは明日朝7時に出発します。」と言って電話を切った。
木村は、さっき老人から受け取ったモナリザトランプを取り出して眺めてみた。
そして、日本から持ってきたものを比べた。
どう見ても同じである。
いくら世界規模のピザチェーンだとはいえ、世界中で同じものを使っているとは思えない。
不思議である。
このモナリザを眺めても、やはり頭の右上に下北半島が見える。
木村はグラブの6の意味の、「新しい出会い」とは何なのだろうかと、
期待と不安を持ってモナリザを眺めていた。
それからトラベルエージェンシーにEチケットを受け取りに行くと、
またロビーにあの黒服がいる。
目を合わせないよう脇を通ってトラベルエージェンシーのオフィスに行った。
Eチケットを受け取り部屋に戻る。
部屋でシャワーを浴び、テレビを見て時間をつぶす。
夕食もルームサービスで簡単に済ませ、その日は早めに休んだ。
9月3日 午前6時
木村は起き上がり、荷物をまとめ始める。スーツケースの中に荷物を全部押し込み鍵をかけ
る。電話でチャックアウトを頼み、自分でスーツケースを引きずって1階に向かった。
1階のフロントでチェックアウトを済ませ、バスを待った。
あたりを見回すと黒服はいないようである。木村は少し安心する。しばらくするとバスが来
た。ホテルの係りがスーツケースをバスに乗せてくれた。
木村はバスに乗り込み、また30ドルほどを支払って、「ベングリオン。」と言うと、運転手は
うなずいた。今度は乗客がかなりいっぱい乗っていた。
すぐにバスは出発し、ベングリオン空港に向かう。1時間ほどすると空港に到着した。木村
はバスを降り、急いで出発ロビーに向かう。
出発ロビーに着くと、また黒服がいる。
木村は、「やばい。」と囁きながら先を急いだ。黒服はこちらの様子を伺っているだけで、襲っ
てくる感じはなかった。
木村は前だけを見ながら、搭乗者口からセキュリティー・出国カウンターを通過し、飛行機
に乗り込んだ。
定刻の午前9時
30
分、木村の乗ったアエロフロート924便はロンドンに向けてベングリオ
ン空港を離陸した。
第三章 ロシアへの旅
ナターシャとの出会い・ラーメンマーク(雷文)の発見
9月3日 ロンドン時間午後1時
木村の乗ったアエロフロート924便はロンドンヒースロー空港に到着した。トランジット
の時間は2時間である。
木村はおそるおそる待合室に向かった。あたりを見廻すとまた黒服がいる。
「やばい。」と言いながら、警察官のすぐ前に陣取り、警察官が動くと一緒に付いて行った。
ここでも、黒服はこちらの様子を伺っているだけで、すぐに襲ってくる様子はなかった。2時
間後木村の飛行機は給油を終え、モスクワシェレメチボ国際空港に向けて出発する。
もう黒服はいないようであった。
9月3日 モスクワ時間午後6時
飛行機はモスクワシェレメチボ国際空港に到着した。それからビザを取るためサンクスペト
ロブルグ行きのチケットとアストリアホテルの予約カードを持って入管のカウンターに行っ
た。
カウンターにはだれもいない。別の人に入管のことを尋ねると、「今、担当者はいない。そ
のうち戻るから待っていてくれ。」と言われた。
木村はカウンターの前で待つ。1時間ほど待ってもだれもこない。
木村は、「やはりロシアは変わっていないな。」とつぶやきながら待った。8時半頃になって、
若く細身でちょっと美人の担当者がやって来た。そして木村の書類を受け取って、アストリア
ホテルを予約している3日間プラス1日のビザを発行してくれた。そして、「300ドルです。
サンクトペトロブルグ行きの飛行機は今日出ません。明日の朝5時に出発します。」と坦々と
述べた。
木村が、「スーツケースを受け取りたいのですが。」と言うと、
担当者は、「それは無理です。もう飛行機に積まれている筈です。」と言った。
木村は文句を言いたかったが抑えて、「ホテルはありますか。」と尋ねた。
担当者は、「税関を出た先にホテルの予約センターがある。」と教えてくれた。
木村はしょうがなく、税関を出てホテルの予約センターを探す。ゲートを出ると何人もがタ
クシーは必要かと聞いてきた。木村はそのたびに断って、やっとホテルの予約センターにたど
り着いた。
幸運にも目の前のホテルノボテルが取れた。
木村はそのホテルに泊まり、朝4時に起き、空港に向かった。
空港に着くと、すぐに飛行機は出発した。
9月4日 午前6時30分
木村の乗った飛行機はサンクスペトロフルグ・プルコヴォ空港に着いた。アストリアホテル
を予約してあったのでタクシーで向う。
木村はサンクトペトロブルグを訪れるのは、始めてだった。中年のタクシーの運転手が英語
で町の説明を始める。まず、「この町はピョートル一世によって1,703年に創られた。人
口は500万人等々、」そして最後に、「プーチン前大統領はこの町の出身である。」と自慢げ
作品名:ダヴィンチコード イン ジャパン 作家名:HIRO サイトー