新月女郎
新月女郎――承
――売れ残りか
たった一人、張り見世に女郎が座っている。
高い見世には「総籬」と言って、客を待つ遊女の座敷の前を上から下まで覆う格子がある。これが中見世小見世になると半籬になり顔も良く見えるのだが、高い銭を取る見世は女郎の顔も出し惜しみするらしい。その大見世の総籬の向こう、座敷の奥をゆったりと女郎が陣取っていた。
格子越しではあるが凛とした眉にツンと高い鼻が見え、広々とした富士額が知性を感じさせる。唇は小さく、さらに紅を差した箇所は赤々染まって形のよさを際立てていた。険のある目元を彩る睫毛は白皙の頬に影が落ちるほど長く、その黒目がちな瞳がじっとこちらを見据えているところなど、身震いがするようだ。容姿だけではなく、高々と島田の髷を結い上げて櫛、かんざし、こうがいどれをとってもきらびやかで遠目にも高価なものと解る。花魁だろうか、とにかくこの大見世でも余程上の位の女郎だろうと思われた。それどころか徳太郎が今まで見てきた、どの全盛よりも美しい。蝋燭の灯りで染め上げられた、まるで一枚の錦絵だ。
そんな女が、大引け過ぎのこの時間に茶を引いている。そもそも大見世の花魁は人前に姿など見せない。茶屋でもって呼ぶのだから張り見世に出る必要などないし、精々花魁道中でもって愛想程度に庶民に顔を見せる程度である。
はてどうしたことだろうと思わず歩みを止めると、さっきまでそこにいた女が――居ない。まさか女寂しさに見間違えかとまた歩き出すと、今度はしっかりと総籬の向こうに女が座っている。夢でも見ているような心持でまた止まる。
一歩進むと女が消える。
また一歩あるくと女が現れる。
今度は総籬に顔をひっつけ、片目でもって格子の隙間を覗く。間違いなくそこにいる。また今度は一本隣の格子の隙間をのぞくと、見えない。格子一本ごとに現れたり消えたりする遊女に、目を白黒させながら徳太郎は考える。
「さては狐か化け猫か――」
吉原には四つ角にお稲荷があるからそういうことも有るかもしれない。そもそも徳太郎は日ごろからこの手のモノを良く見たり聞いたりしてしまう性質で、それの嫌さに今日も出てきたようなものなのだ。眉に唾をつけて、あとは係わり合いにならずにおきましょうと思いつつ、しかし視線は女に吸い付いたように離れないのは魔の力なのか、単なる男の因果か。良い女を見ると寿命が三年延びるというが、正体のわからない女は下手をするとその寿命が縮みかねない。徳太郎の逡巡する様子に気付いたのか、女は悪戯そうな笑みを浮かべるとツ、ツ、と膝でもって格子の側へと寄ってくる。動けない徳太郎をじっと上目に見遣ると、手元の煙管に煙草を吸いつけ、ツイ、とこちらに吸い口を寄越した。
希代の色男でもない徳太郎は、どんなに足繁く吉原に通っても女郎から愛想の吸い付け煙草を貰うことなど滅多に無い。その上相手は世にも稀な良い女とあれば、自然と手も伸びる。魅入られた、と言うのだろうが、この時の徳太郎にはそれすらわからないのだ。女郎の美貌にふらふらと、半紙を懐から出して煙管を受け取ろうとした刹那、
「お客さん!」
乱暴な声がして徳太郎は肩をつかまれ、籬から引き剥がされた。