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早春賦

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 俺が学校を辞めたのは、本当にその後すぐのことだ。
 しかし、学校を辞めて、それで俺とあいつらや進藤との縁が切れたかと言えばそうではなく、辻や栗田とは野球を抜きにしての付き合いならそれなりに続いていたし、学校辞めて一年たち、辻が顧問を通してオンボロ部室の壁の塗りなおしだのなんだのと、細々した仕事をやたらとウチの工務店に発注したりするようになってからは、いつの間にか野球部のマネージャーなんかになってた進藤と顔を合わせる機会も多くなった。
 進藤とは学校を辞めてから一年近く顔を合わせる機会がなかったが、久し振りに会ってもあまり印象が変わっていなかった。変わって髪が伸びたことと、あの頃ただ追いかけたり叱ったりするだけだった辻と、随分柔らかく話すようになっていたって事ぐらいか。いつだったか、工事の合間の休憩時間で部室に邪魔したとき、辻と俺に飲み物を出してくれたことがあったが、そのときあんまりにも進藤が自然に辻のことを呼んだり、笑いかけたりする事にはさすがに吃驚して、まぁ、何だかんだとうまくまとまりかけてはいるんだろうと思ったことを覚えている。そんなこと、本人に聞いたところで否定するに違いないので、確認したことなんざねえが。
 それでも進藤の笑顔の印象だとか、名前を呼ぶときの響きだとかは全然変わっていなかった。進藤が呼ぶ名前の響きを懐かしく思うのと同時に、自分のことを少し考えさせられたりして、それはそれで複雑なモンがあったが、まぁそんなことはどうでも良い。
 進藤が変わらなくても、俺は変わった。それはもうどうしようもないことで、忘れたり、変わったりしなけりゃ今までやっては来れなかった。
 それでも全部を忘れたわけではなくて、あいつらと追っかけていた夢だとか、そういうことはいつも、今でも心の片隅に引っかかっていたりする。
 なんとなく、けれど何度も頭で繰り返した旋律や、進藤の、あの歌声だとかも。
「また似合わねぇモン食ってやがるなこの脳みそガテン野郎が。砂糖臭ェのはあのバカ女だけで十分だってのに、テメーまで砂糖に汚染されたか、ああ嘆かわしい」
「棒読みでなに吐かしてやがる。大体俺が買ってきたわけじゃねぇ。進藤の差し入れだ」
「アー、言われなくてもそんぐらい解る。どうせ『ユージンくん、いつも御苦労さま〜』なんて気ぃきかしたつもりで買ってきたりしたンだろ。あのバカ女の考えそうなこった……つーか、人の目の前でいつまでもそんな砂糖臭ぇモンもそもそ食ってんじゃねえよ。はやく食うか捨てるかしろ。吐きそうだ」
「バカ女」と、辻は俺や栗田のことを呼ぶ例の調子で、進藤のことも呼んでいるらしかった。あいつがそんな接頭語をつけて人を呼ぶのはもう癖のようなものだが、進藤がそれを不満に思いながらも(というか思わないほうがどうかしているだろうが)了承していると言うことは、やはり上手くいってんのだろう。
 夏大会の予選が始まって、辻や栗田率いる野球部が一回戦を突破した翌日のことだ。窓にホームランが突っ込んで割れたとの連絡が入って、窓ガラスの入れ替え作業に勤しむ俺に、進藤が差し入れとして持ってきてくれたシュークリームをひとつもらって一人、休憩もかねて木陰に座って食っていると、作業の進行具合でも覗きに来たのか、ふらりとやってきた辻が眉間に皺を寄せてそう言うので、俺は食っていたシュークリームの最後の一片を口の中に放り込んで飲み込み、指についたクリームを舐め取りながら小さく笑った。
「これで文句ねえだろ……今、授業中なんじゃねえのか」
「あぁ?ンーなのサボリだサボリ。かったりぃ」
 音楽なんてやってられるか、とそれはそれは気分悪そうにぼやいた辻は、すたすた歩いてくるとどさりと俺の隣に腰を下ろし、膝の上に頬杖をついて顎を乗せ、いかにも退屈だと言わんばかりの大欠伸をした。
 学校に来てるのは部活の為だと公言しているような奴なので、通常の授業などはもう寝ろとでも言われているようなモンなのだろう。手持ち無沙汰にボキボキと両手の指を鳴らしながら、「誰か殺してぇヤツとかいねえのか、今ならヒマだからやってやるぞ」などと物騒なことを言うので、俺は作業着のズボンで手を拭きながら溜息をつく。
「大会中にアホ言ってンじゃねえ……次は二回戦か」
「そうだな」
「どうだ」
「さぁて、なぁ?1%が引っ繰り返ることだって、ないわけでもねぇだろ」
 俺が聞くと、辻は軽く肩をすくめた。
 勝てそうな試合でも、勝てるとは絶対に言わないのが辻だ。だがそうそう簡単に負けるようなヤツではないし、今はもう野球部もただの弱小チームではない。
 負けはしないだろう。肩をすくめたきり黙っている辻にそれ以上は聞かず、胡坐をかき直して俺も黙った。
 辻が隣でそうしているように、微かに土埃の舞うグラウンドのそのまた向こうに広がる、夏の匂いに満ちた青空を見る。

 と。

 音楽室からだろうか、懐かしい旋律が突然、俺たちが見上げていた空を過って落ちてきた。
 顔を上げる。追憶の隙間にぽつりと、本当に不意に飛び込んできた音と、声とを頭の中で反芻する。
 間違う筈はなかった。何度も頭で繰り返したあの歌声。


『早春賦』。


「――……オイ」
「……何だ」

 流れてきた旋律と歌声とに、何の罠だと思った。
 これは反則だろう、と別に何の勝負をしていたわけでもないながら思って、一瞬舐めただけの死ぬほどの懐かしさに俺が一つ呼吸を止めると、ぴく、と耳を揺らした辻が、俺の方を見向きもせずに俺を呼んだ。
 何がそんなに気になったんだか、平静を装って俺が聞き返すと、辻は暫くじっと空中を睨んだ後で、「面白くもねェ」と一言呟いて首を横に振る。
「やっぱヤメだヤメ。何でもねぇ」
「なんだ、気味悪ぃな。何か言いたいことがあったんじゃねえのか」
「ねえよ、ンなもん」
 辻がつっけんどんにそう返したとき、なんとなく引っかかることがあった。
 空を過る歌声を追う様に見上げる。拾った音で、辻が俺に何かを言いかけて、やめたようと思ったもの。
 そんなもの、考えなくても俺が思い当たることと言ったら一つしかなく、妙な誤解でもされたかと、そう聞いてみようかと思ったがやめた。
 それをなんで知ってるんだとか、そんな事を聞いたところで答える奴じゃねェ。こいつはそういう奴で、もしかしなくてもお前もあれを聞いてたんじゃねえのかとか、それで今同じものを思い出してたんじゃねえのかとか、そんな横槍も無意味だ。なんだかんだと上手くまとまりそうなものを、あえてぶち壊す趣味はねえ。
 解らない振りしてすむもんなら、そうしとくのが良いのだ。俺はすでに野球部も学校もやめた部外者で、過去をやり直したいとか、そんな青臭い思い出に執着するつもりもない。

 だが。

「――……時にあらずと、声もたてず……――」

 校舎の方から風にのってやってくる歌声を、懐かしい旋律をなんとはなしに頭で追っかけながら思う。
 上手くまとまって回っているものを、横から手を出してぶち壊す趣味はなかった。
 なかったが、それでも俺の中で早春賦を歌うのは、もうどうしようもなくまだ進藤の声だった。
 あの日、夕方の教室で聞いた、あの声だった。あの声でしかなかった。
作品名:早春賦 作家名:ミカナギ