覚めない夢
こうして今や入学して二ヵ月が過ぎようとしていたが、狙ったとおりの関係性が構築されつつある事に私は十分に満足していた。
ただの顔見知り。
これくらいの距離感覚が痛みを伴う事もなく気楽でちょうど良かった。
ただ、問題があるとすればそれは時間が余りすぎるという事だ。
友達づきあいが全くないからその分自ずと暇な時間が増えるわけだが、受験がなくなった今となってはこれといって勉強をする理由がない。かといって、バイトをしようという気にもなれなかった。
欲しいと思う物などない。
ただこの世に存在して呼吸をするだけでも疲れるのに、目的もなく愛想を切り売りするつもりはさらさらなかった。
読書は大好きだが、するにしても限度があった。あまりにぶっ続けだと目が疲れるし、さすがに飽きがくる。
「困った……」
他にやりたいと思えることがない。
そのすべてを寝て過ごそうとしても、物理的な限界が私の前を阻んだ。
そんなわけで暇を持てあましていた私は、PCを手に入れたのも相まってネットの世界へと足を踏み入れたのだった。そして、感動した。
面と向かって生身で触れ合わなくても、たくさんの人間と会話をすることができる。間合いの概念の違いからくる不快感も伴わない。
――何という快適な世界だろうか!
ネットの人間関係は私にとっての理想だった。 これなら距離が近すぎて気持ち悪いと感じることもないし、親しくなった相手に対して罪悪感を覚えることもない。
その事実は凪いでいた私の内心に興奮の嵐をもたらした。
それどころかあまりに嬉しすぎたせいで、勢い余ってボランティア活動なるものまで始めてしまった始末である。
ネット上に限るとはいえ、社会活動をしているということには変わりがないわけで――。
「柄じゃねーwww」
世間と隔絶された私が、いきなりボランティア活動である。ミスマッチが可笑しくて私は喉の奥で笑った。
物理的には出歩いているが精神的には完全ヒッキーであったこの私が、なぜボランティアなどという社会的活動をするようになったのかというと――。
ただの成り行きだった。断ったが、押し切られてなんとなく流されただけという話である。
ちなみに、きっかけは某ソーシャル掲示板でとある人物と『生命』について議論を交わしたことだった。
T。彼女は熱心な運動家で自殺を止める事に人生をかけている人だった。自殺の多い日本に心を痛め、自らボランティア団体を立ち上げてその防止に尽力していた。
そんな彼女の持論は耳になじんだお決まりのフレーズの連続だった。曰く『命は地球より重い』。
対する私は惰性で生きているような人間だったから、熱い理念や感情論などは全く持ち合わせていなかった。
感情論で語ろうとする彼女と、論理で語る私の立場はまるで正反対。
熱くなるわけでもなく、私はただ淡々とTの意見を端から論破していった。
――だって、どう考えたってもおかしいじゃないか。
人一人が地球より重たいなんてこと、ありえるはずがない。物理的にも、実質的にも。
格差のない世界はない。世界のすべてが偶然という名の恣意で成り立っている以上、不平等なのは当たり前のことである。
世界は我々よりもはるかに大きく、ちっぽけな存在はそれに翻弄されながらも地べたをはいずるようにして生きて行くしかないのだ。
天災は人の命を一瞬で跡形もなく奪い去るし、たとえ誰か一人が欠けたとしても地球は変わらず回り続ける。
誰かにできる仕事は他の誰かがやったとしても別に問題はないし、労働力はいくらだって替えがきく。その人がいなければならないという理由はどこにもない。
宇宙からこの惑星を眺めた時、いくら目を凝らしても人一人の姿は見えない。
そして人間はいつか必ず死んでいく。
死後少しの間は私たちの存在は回顧されるけれども、時が流れ残された遺族や親しい友人が全て死に絶えれば、存在していたという事実すらも世界から完全に忘れ去られてしまうのだ。
先祖の墓を見ると知らない名前がたくさん彫ってあるが、それがどんな人物だったのか、はたまた本当に実在していたのかなんて知りようがない。
私は彼女に問うた。
『あなたは先祖の名前を何代さかのぼれるか』と――。
他の皆がどうなのかは知らないが、私は存命の人間の名前しか覚えていない。
つまり私たちは、必ず忘れ去られてしまうのだ。
その忘却の果てにあるのは虚無――誰からも思い出されることはなく、あたかも存在しなかったものとして扱われるようになるだけ――。
虚無となる、ただそれだけのために人間は生きている。
命がある限りどうせ死ぬのだから、死んではならないという根拠自体どこにもない。
それでも自殺を止める目的があるとすれば、それは自殺が限りある地球資源の無駄遣いに当たるからだろう。
あの時私の語った言葉は、大体そんな感じだったと思う。はっきりと覚えていないが、こんな事実ををただ淡々と論じ続けた覚えがある。
別に彼女に対して悪意があったわけではないし、喧嘩を売り買いしていたわけでもない。
ただ、思っていることを素直に述べてみただけだった。
今思えば、我ながら身もふたもない理論である。しかしまともな感情すら失っていた当時の私は――いや、今でもそういう傾向は若干見受けられるのだが――怒るでも絶望するでもなく、世界とはそういうものであると疑いなく信じていた。
真っ向から異なる見解。
相手が勝手に熱くなって逆上して決別、そういうオチになると思われた議論だったが、それがどうしたものか彼女のお眼鏡にかなったらしい。
こうして私は、栄えあるメール相談員のお役目を与えられてしまったのだった。それも、死にたいと本気でメールしてくるような人間相手の。
しかし、私はカウンセラーでも何でもないただの人間で、何のトレーニングも受けてはいない。
やったことと言えばただ、適正診断と称して過去の相談メールを何通か渡され、自分が望ましいと思う返答を書くというテストを受けたくらいである。
そして、及第点をもらった。
何とも杜撰な人員の集め方である。
周囲に流されやすい私だが、専門家でもない人間がそんな事をやすやすと引き受けていいのかと心配になった。
それは確かにそうで、全く顔を合せた事のない相手にそういうデリケートな仕事を任せるなんて、ボランティア集団にしても豪快すぎる采配である。
振り返ってみると、信じられないくらいに無茶苦茶な話であった。
自分の事にも責任が取れないくらいなのに、他人の責任までともに背負うような気概はない。私はただ呼吸をしてそこに『在る』だけの人間である。
自分がどうなろうが知ったことではないし、それは翻って『他人がどうなろうが知ったことではない』という事実を意味していた。
だが、自分が放った一言が原因で死なれたりしたらさすがの私も寝覚めが悪い。
なので引き受ける際はそれなりに躊躇した。
しかし、私なんかが引き受けて本当に大丈夫なのかと確認したら、ものすごい勢いで太鼓判を押されたのだった。というよりも、ただ単に熱心な勧誘を断るのが面倒で、何となく折れてしまっただけの話である。