覚めない夢
小学校も終わりのころ、彼女はやってきた。
退院した母親が抱えていたのは、小さな彼女。
抱き上げた瞬間、自分という存在に心の底から絶望した。
小さな命を床の上に今すぐにでも放り出したくなるくらい、気持ち悪く感じてしまったのだ。
そう、それが私の言う人間の持つ、生来の感覚――。
苦しかった。
悲しかった。
夜を迎えるたびに、目覚めたら「普通」の人間になっていたらいいと幾度となく願った。
けれど、どれだけあがいてもこの奇妙な感覚を消し去る事はできなかった。
だからいつしか願うことをやめた。
願わなければ、夢から覚めた時のがっかりした気持ちも存在しなくなるからだ。諦めることで痛みも幾分か和らいだ。
そして嘘笑いを作ることを覚えた。
私は常に偽りを抱えて生きてきた。
どんなに気持ち悪く感じても、相手を傷つけないように顔には出さずに笑顔でごまかしてきたのである。常に明るくへらへら笑って平気そうな顔をしていたが、本当は常に不安でおかしな動悸と胸の締めつけが止まらなかった。
心臓が痛みゴトゴトと不協和音を発するせいで、夜もまともに眠れない常態にあった。
幸い赤ん坊のころに寝つきが悪かったのもあって、今も寝つきが悪いと思われているらしく家族にもこの異常に気付かれずに済んだ。
いつかこの演技を見透かされるかもしれない。思えば思うほど、不安が募った。
みんな仲良く、なんて評語を出して満足げに頷いているのは教師くらいのものだ。
子供にだって理解できる自明の理。
そう、異端は――。
〝排除される〟 私は一人で生きていけるほど強くはなかった。だから孤立をしないために、どんな事をしてでも『普通』で在らねばならなかった。
道徳の教科書は嘘をついてはいけないと言う。だが、そうしなければ、まともな人間とともに生きていくことはできないのだから。仕方なかったのだ。
しかし、いくら自分にそう言い聞かせたところで、自分の心を欺くことはできなかった。
嫌われたり傷つけたりしないためには、嘘をつく以外にどうしようもなかったのだが、それでも息が詰まるような罪悪感からは逃れられなかった。
誰かと親しくなればなるほど、『私にはここにいる資格がないのではないか』と良心の呵責にさいなまれた。
私が他人と異なる感覚を持っている事は知っている。
けれども、どれだけ言葉を尽くしたところで、この感覚は伝わらないし理解もされない。
幼いころ、仲の良かった友達に一度だけ勇気を出して本当のことを打ち明けたことがある。 そして痛い目を見た。
そう、この感覚は決して表に出してはならないのだ――。
その事実だけはよく分かっていた。
所詮人間は皆、他人同士。頭では理解できても、心が理解しない。
だって、彼らにはそういった感覚がないのだから。
――私だけが、おかしい。
――私だけが、みんなとは違う。
成長するにつれて、私はその重みをはっきりと認識するようになった。
この感覚がどんなにあがいても伝わらないということを理解した瞬間、まるで自分一人だけが瓶詰めにされて暗い宇宙の海に取り残されたような錯覚に陥った。
目の前が真っ暗になるような絶望。
叫んでも叫んでも、この心は通じない。
学校へ行けば友達がいて、家に帰れば家族がいて。
決して一人ではなかったはずなのに、私の心は常に孤独だった。
空白感をごまかすように騒がしく過ごしていたが、内心は常に一人ぼっちだった。
友達と騒いで笑いあっていても、まるで透明な壁に阻まれているような孤独感を覚えた。
どれだけ必死に手を伸ばしても、届かない隔たりがあった。
私はたくさんの人の中にいながら、小さなガラスの瓶の中でいつも一人ぼっちで過ごしていた。
漫画雑誌を読むようになって、さらにその思いは加速した。
少女漫画に表れてくる初期の恋愛表現。
手をつないだり抱きしめられたりしているのにも関わらず、どうしてヒロインの顔が曇ったり苦痛で歪んだりしないのか。
――理解が、できなかった。
ただ、紙の上に描かれた彼らが私とは全く異質の生物であるという事はよく分かった。
読んでいても面白いと感じる以前に、自分が異常であるという事を思い知らされ苦痛でしかない。
中学にあがる前の段階で耐えきれず読むのをやめた。
しかし、本を読んでいれば恋愛表現はごく自然な要素として嫌でも視界に入ってくる。だからこそ自分自身全く実体験がなくても、恋愛というものがだいたいどんなものなのか理解できた。そしてその内容にただただ戦慄した。
――私には到底無理だ。
大好きな人間に触れろというのか、こみあげる吐き気をこらえながら。そして適当にへらへらと笑ってごまかしながら好きな相手の事を一生騙し嘘をつき続けるのか。
――そんなの耐えられない!
今いる家族と友達だけでもう限界だった。
私は、これ以上大切な人を増やしたくなかった。
活字から判ずるに、恋愛の愛は家族愛より強くて激しいものだと思われた。家族以上に特別な存在など、私にとっては脅威以外の何物でもない。
相手の事を好きになればなるほど、罪悪感と苦しみが私の心を苛むだろう。
大人たちが望むように、明るく前向きな自分を演じ続ける陰で、私は常に苦悩を続けていた。
人と違う事、そして嘘をつき続けている自分。
明るいいい子を演じながら、私の内心は苦悩に削り落されてボロボロになっていった。
そして高校生になったその時、私は考えることを放棄したのだった。選んだ道は――逃避。
願っても無駄だというのなら、人と生きること自体をやめてしまえばいい。水と空気と食べ物がある限り、決して死にはしないのだから――。
その日から私は、他者との関係をすべて絶った。
誰かの隣にいながら『自分にはそんな資格がないのに』と嘆くぐらいだったら、本物の孤独に苦しむほうがまだマシだった。
本当は家族とも縁を切りたかったのだが、狭い家には個室の引きこもれるような場所<スペース>もなかったし、世話になっているのに私の勝手に巻き込むわけにはいかなかったから、家の中では今までどおりに適当に笑って過ごしていた。
こうして家族4人分の苦痛は残ったが、それでも人数を大幅に減らしたおかげでこれまで抱え込んできた重荷もぐんと軽くなった。
それからの私は、意図的に人との関わりを絶ち、必要最小限の会話しかしないようになった。
本当は何もせず、ただ空気のように漂っていたかった。
しかし生身の人間はただそこにあるだけでは退屈する。
やりたいことが一つもなくて、意欲がわかないから引きこもるわけにはいかなかった。ただ時間をつぶすために一日も休まず高校に通った。
そしてその一方で、教室では自らの存在を主張することをやめ、余計な声をあげずひたすら空気に化ける事に専念した。
授業中に当てられた時以外声を出すことをしなくなったので、声帯が退化したらしい。家族と会話するときに声が出にくくなって、非常に苦労した。 もちろん、大学に行ってもそうしたスタンスはほとんど変わらなかった。私的な付き合いには全く参加せず、サークルや飲み会をことごとく踏み倒してスルーした。