覚めない夢
皐月1
皐月 ~渾身の右ストレート~
1
五月。
新生活の喧騒が幕を閉じ、キャンパス内も落ち着きを取り戻しつつあった。
私は、と言うと――入学初日から図書館の書庫棟に居ついてしまっていた。すでに常連の一人である。
そして、大学は思っていた以上に私にとって快適な空間だと知った。なぜなら、自分からわざわざ進んで交流して回らない限り、心地よい関係性――すなわち、ただの顔見知り程度のつきあい――が保てるからである。
顔を合わせたら話くらいはするけれど、必要以上に関わり合わない。そんな無関心な環境が楽で心地よかった。
近年、友達ができないことに思い悩んで中退したり、自殺するような大学生が多いと聞く。けれども私にはその感覚が理解できなかった。
――別に死ぬほどのことでもあるまいに。
目の前に広がっている現実に逆らって、嘆いたり怒ったり泣いたり悔しがったりする人間が、滑稽に見えた。
――馬鹿馬鹿しい。
このように語るととてつもない根暗、或いはただの偏屈人間だと思われるに違いない。
実際のところ、その当時の私は世界とはそういうものであると素で考えていたのだった。
しかし、こんな私とて昔からこうだったわけではない。
中学校には親友も呼べるような友達もいたし、明るく楽しくバカな事ばかりやって過ごしていた。ボケをかましてみんなを爆笑させたり、クラスの面白い人ランキングに名を連ねていた覚えがある。
もっともそれは全て演技でしかなかったのだが――。
私には、精神的な障害があった。 そんな大きな悩みを抱えていたのにも関わらず、私は馬鹿みたいに笑って過ごしていた。
自分は根明<ネアカ>だ。だから自分には何の悩みもない。そう自分に言い聞かせてきた。
しかし、ごまかしはいつか崩壊する。
虚飾の性格が空中分解したのは、高校に入ってすぐの事だった。
そして大学――。
成人した私は生き続けることに疲れきっていて、もはや愛想を振りまくような気力も意欲も残されてはいなかった。
かつての私の姿を知っている面々が今の私を見たならば、別人と思うかもしれない。
逆にその後の私を知っている面々に昔の私姿を語ったとしても嘘だと思うに違いない。
それくらい、私の人間関係のありかたは百八十度変化していた。
自ら進んで他者との関わりを絶ち、わざと眉間にしわを寄せて仏頂面を作った。みんなが私の声を忘れるくらい、必要最小限の会話しかしないように心掛けた。
そして私は、空気になった。
自分から周囲の人間を遠ざけるなんて、なんて傲慢な奴だと思われるかもしれない。
だが、そこまでするには私なりの事情というものがあった。
物心がついた頃から、私はある種の潔癖症に悩まされていた。――それも、かなり特殊で筋金入りの。
しかし潔癖症と言ってみたものの、私にはこの感覚を潔癖症と表現するべきなのかが未だによく分かっていない。なぜなら、私には殺菌も消毒も洗浄も必要ないから――。
吊革にだって触れるし、古本も洋式便所も全く問題ない。虫だって蜘蛛とゴキとムカデと蜂以外なら至って平気。バッタやカマキリを見せたら喜ぶ変わり者だ。
なのにたった一つだけ――。
たった一つだけ、どうしても気持ち悪くて触れる事のできないものがあった。
〝人 間〟
そう、私は同種族であるはずの人間に対してのみ、ある種の潔癖症的反応を示してしまうのである。
例えば通りすがりに肩が軽く触れただけで吐き気がする。
しかしそれは、別に相手のことを嫌悪しているからというわけではない。また、不潔だとかそんなふうに感じているからでもない。
この嘔吐感に相手の事が好きか嫌いかなんてことは全く関係なかった。
相手が人間であれば一律に気持ち悪いと感じてしまう。
私の感情とはまるで無関係に、身体だけが勝手に人間との接触に対して激しい嫌悪感を覚える。――まるで魂と肉体を常に引き裂かれているような、そんな感覚。
メンタル的な問題なのかとも思ったが、しかし、これといって思い当たるような原因<トラウマ>もない。――ただ、物心がついた時には既にそうだったというだけで。
この感覚は、コミュニケーションにおいてかなりの痛手である。
この世には、他者と分かり合えないことがあるのだという事を、私はよく知っていた。
〝気 持 ち 悪 い〟 それは、真実であるが絶対に口にしてはいけない言葉――。
少なくとも、この世間では。
幼いころの私はそのへんの事をよく分かってはいなかったが、「ちょっと気持ち悪いから私に触らないで」というその感情は、表現してはならないものであるという事は何となく理解していた。
日常的にそんなことを言っている奴を見かけたことがないからだ。
子供なりにもそうした嫌悪感を顔に出さないくらいの知恵と分別はあった。
私は、嫌悪で歪む表情を作り物の笑顔でごまかしてきた。だから一見すると普通の子供だった。少し大人しくて、常にニコニコしているどこにでもいるような普通の子供だった。
自分のこの感覚が、万人に共通するものではないという事を私は肌で感じていた。
そして、人と違うという事に耐え難い恐怖を覚えた。
両親は今時珍しく、しっかりとした躾ができるまともな人間だったが、それだけに規格外であるという事が原因で彼らに嫌われ、もしくは捨てられるのではないかという恐怖が付きまとっていた。
だからこそ、自分がマイノリティーであることを必死で隠し通してきた。
物理的に人と触れ合えば吐き気がする。それは私にとってはごくごく当たり前のことだった。
〝気 持 ち 悪 い〟
このたった六文字が私と他者との間で、全く別の意味を持っているのだ。
どうしようもない壁が、私の前に広がっていた。
周囲の人間の言動や書籍の陳述を観察する限り「吐き気がするからあまり私に近づかないでくれ。悪いがもう少し距離を開けてもらえないだろうか?」と言えば、普通の人間は傷つくのだという。
人に触れると吐き気がする――。
自分にとっては至極当たり前の事で傷つく人々の気持ちは、私のような人間にはおそらく一生理解することができないだろう。
しかし、物心が付いてくると、観察や書物を通じて周囲の感情の機微が知識的あるいは理論的に理解できるようになった。
気持ち悪いから触らないでと言われると人は傷つくらしい。
全く持って共感はできないが、他のみんなはそうなのだということだけは知識として知っている。
古典的ないじめで「うわー。○○菌に触っちゃったよ、気持ち悪いー」という表現が存在するように、それは相手に対して何らかの精神的ダメージを負わせるための反応であるらしい。
人間は弱い生き物である。
どれだけ強がった所で、心の奥底では常に自己を肯定してくれる存在を探している。
そんな人間たちにとって「気持ち悪い」と言われる事は、自己の存在を拒絶され否定されることに等しい。だから傷つくし腹が立つのだ。
残念ながら私には生来そう言った感覚が備わっていない。
自分が他人から見て異常だと言う事を強く実感したのは末の妹が生まれた時のことだ。