政治・社会 憂さ ばなし 短編集
某評論家の嘆き
なじみの出版社に原稿を持ち込み、なんとか採用をお願いして帰宅するまで、2・3時間のことであった。
玄関には鍵が掛かっていた。
そういえば私が家を出るとき、鍵を持って行ってくださいよ、と妻はうるさく言っていた。
リビングに入って目をみはった。
他の部屋にも入ってみた。妻の部屋も娘の部屋も・・・ガランとしていた。そのままだったのは私の部屋だけである。それと古くて価値のないような家具類や食器類は残されていた。
キッチンの油ぎったテーブルの上に、1枚の用紙とメモが置かれていた。
私は携帯電話で預金口座を確認した。1か月分の生活費程度が残っているだけである。
☆ ☆ ☆
私は政治・経済の将来の見通しなどを論文にして、数社の月刊誌に常時掲載していた。テレビにも度々出演している。私の予見はよく当たる、先見性があると評判が良かったのである。
○○党による政治は安定し、経済も上向く。
平均株価は14,000円、1ドル100円前後で安定する
という、今年の見通しを立てて論じていた。
2月に入り、エジプトで始まった民主化運動はみるみる北アフリカ・中東を中心として広がり、中国にも飛び火して、北朝鮮においても小さなデモが生じている。欧米は自国の利を考えて右往左往しており、先行きが全く見えない状態が続いている。
それにより原油は高騰を続け、オーストラリアやニュージーランドの自然災害が追い打ちをかけ、BRICSの需要増加による食料品価格の上昇などで、安定に向かいかけていた経済が打撃を受け始めている。
株安・円高に拍車がかかった状態なのである。
日本においては実体のない政府に変わり官僚が頭角を現し、地方自治体は独自の自治を求め始め、これからの行く先が全くつかめない。領土問題が一挙に悪化したこともある。
短時日でコロコロ変化する情勢に私の思考が追いつかず、このところすっかり評判を落としてしまったのである。
家族の動向にも全く気付かなかった。
私の先見性がなくなったのか・・・いや、妻にこそ先見性があるといえるのかもしれない。
私に先が見通せるとすればただひとつ、明日からの自分の暮らし向きだろう。
近い将来、路上生活者になっている己の姿が浮かぶ。
2011.2.26
作品名:政治・社会 憂さ ばなし 短編集 作家名:健忘真実