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まつやちかこ
まつやちかこ
novelistID. 11072
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evergreen/エバーグリーン

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 「んじゃ行こうか」と言いつつ、食器とトレイを二人分まとめて持ち上げる。彼女が慌てて追いかけてくる気配があったが、下膳口に運ぶまで振り返らなかった。
 「自分で片づけるのに」
 追いつかれればそう言われるのがわかりきっていた。案の定申し訳なさそうな顔をする彼女に、いいから、と気楽に言いかけた時。
 「あれっ、名木沢じゃん」
 かけられた声に振り返ると、所属する経済学部の同期生だ。学籍番号が近く、模擬ゼミとも言える演習授業で一緒のクラスである。さらに言えば高校も同じだった。
 「昼飯食ってたのか、大丈夫か?」
 「……あぁ、まあ」
 会話の意味がつかめない彼女が、こちらを見上げて首をかしげている。まずいな、と思った直後、相手が全く悪気のない口調で続けた。
 「2限来ないから心配したよ、サボるなんて名木沢らしくないし」
 彼女がぎょっとした表情で、自分と相手を交互に見る。先ほど、二人で話をしていた2時限目、休講だと彼女には説明したのだ。寝坊して15分ほど遅刻はしたが出るつもりで急いでいた時、疲れた様子の彼女に出くわして、その後は講義に行く気をなくしたのであった。
 「寝坊したから。後でノート借りる。槇原、行こう」
 「って、槇原? えっ?」
 おい、と呼び止める声もそれに気づいた彼女の呼びかけも聞こえていたけど、耳に入らないふりで足を進め、学食を出る。
 自分に引きずられるように歩く彼女が、つかまれた手を何度も引き、懸命に訴えた。
 「名木沢くん、ねえ、いいの友達。ていうかサボったなんて聞いてな――」
 そこで言葉を止めたのは、自分が唐突に足を止めて振り向いたからだろう。
 「いい、気にしないで」
 「…………、けど私のせいなんでしょ。そんなことする必要なかったのに」
 「いいんだって。そうしたかったんだから」
 言ってから「あ」と思ったが、目はそらさなかった。彼女は目を大きく見開き、次いで徐々に、顔に朱をのぼらせる。見ているうちに自分の顔も赤くなってきたのがわかったから、進行方向へ体ごと向き直る。
 「遅くなっちゃったよな、急ごう」
 と言いつつも、お世辞にも早足とは言えない速度で歩く。手を引かれた格好では文句も言いづらいのか、彼女は黙って同じ速度でついてくる。
 ――お互いに、緊張の取れない手のひら。きっと今後、まだ当分、こんな状態が続くのだろう。
 だけど、離したくないと思う。たとえどれだけ緊張しようと疲れようと。……彼女がどう思っていたとしても、彼女に拒絶されない限り絶対に自分からは離さないと、この時心に決めた。


     ◇


 「ゆみ、名木沢と付き合ってるって本当?」
 聞かれると思って身構えてはいたけど、いざ実際に聞かれると一瞬、やはり硬直する。
 「……誰に聞いたの、なーちゃん」
 「水田さんとあっちゃんと野村。ちなみに昨日一日だけでね」
 かつての同級生や共通の知り合いの名前を挙げて、あらためて、といったふうに向かいに座る友人は私をじっと見つめる。
 大学図書館、演習発表の資料作成が一段落ついた時に切り出された話題。
 なーちゃん――小高七恵との付き合いは中学時代にさかのぼる。2年の時に同じクラスで、体育や家庭科の授業で一緒のグループになる機会が多かったのがきっかけだった。
 「あっちゃんなんか、めちゃめちゃびっくりしてたよ。ま、皆だいたいそうだったけど」
 うんうんと、実感を込めたうなずきをまじえてなーちゃんは言う。当事者のくせにと言われてしまいそうだけど、それは私も全く同感だった。
 一昨日、学食で彼の友達に出くわした時から、すぐに話が広まってしまうことは覚悟していた。個人的には知らないものの顔には見覚えのある、同じ高校卒の男子だったから。向こうはどうやら私のことを知っていたみたいで、彼が私を連れてその場を離れる直前、私を見てひどく驚いていた。
 「倉田さんとうまくいってないって話はわたしも聞いてたけどさ、別れたとは誰も知らなかったし。それでいつの間にか、だもんね」
 倉田さんというのが、彼が高校から付き合っていた元彼女だ。私がマネージャーとして所属していたソフトボール部の、私たちの代の主将だった。スポーツ推薦でソフトボールチームのある女子大に行って以降、顔を合わせたことはない。
 「そんな噂あったの? その、倉田さんと」
 「うちの高校からこっちとあっちに行ってる人、けっこういるからね。名木沢はどうか知らないけど、倉田さんはちょこちょこ愚痴ってたらしいから」
 「……そうなんだ」
 「なに他人事みたいに言ってんの。そういう友美こそ、なんか聞いてなかったわけ」
 「私は、別に何も……噂だって知らなかったし」
 「相変わらずそういうのには疎いんだねえ。まあそれはいいけど、いつから付き合ってんの。向こうから言ってきたの?」
 どう説明したらいいのか、正直悩む。他の友達や知り合いに聞かれなかったわけじゃないけど、まともな答えは返せていない。
 中学と高校で彼とも1度ずつ同級で、だから彼と私とのこれまでの関係をよく知っているなーちゃんに対してはなおさら、どう言えばいいのかと思ってしまう。
 「――『付き合う?』って一昨日の2限の時に言われて、それから」
 「…………で、友美はなんて答えたわけ」
 「いいよ、って」
 その直前と同じように、私の言葉がまだ続くものと思ってか、なーちゃんは待つような沈黙を置いた。けれど私がまた、それ以上何も言わないので、探るような目の色をさらに強めて、こう聞いてきた。
 「どうしてOKする気になったの。名木沢のこと、好きになってた?」
 少し迷ったものの、首を横に振る。彼を、いい人だとは思っていたけど、その時まで知り合い、友達以上に考えたことはなかった。
 私の反応を見て、なーちゃんはほんの少し眉を寄せる。しばらくの無言の後、「ねえ」と言った声には心配そうな、複雑そうな感情が混ざっていた。
 「それじゃまた、前と同じにならない?」
 「…………」
 返す言葉を出せない。何について言われているかは、もちろんわかっている。3日前に別れた元彼氏のことだ――高1の時に同じクラスだった、大村くん。
 告白は向こうからで、1年の終わり頃のこと。二人とも運動部の幹部会に出る立場で、顔を合わせる機会は他の同級生よりも多かったものの、それまで個人的に話した覚えはほとんどない。
 そんな、親しいと言える間柄ではなかった人からの告白は、私にとってはただただ突然に感じられて、聞いた瞬間はとても驚いた。
 正直、特別に意識したことはなかったのだけど、相手が真剣なのはとてもよくわかったし、好きだと言われて悪い気がしなかったのも確かだった。……だから、付き合うことを承諾した。
 「大村とも同じような付き合い始めだったでしょ。で、2年付き合って、でも結局好きになれなかったって言ったよね」
 そう、私は結局、大村くんのことを、本気で好きにはなれなかったのだ。他の男子と比べれば好意を感じていたけど、分類するなら「近しい知り合い」でしかなくて、それ以上の気持ちではなかった。そういう意味では、彼に感じていた好意と同じぐらいのレベルだったと言える。