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まつやちかこ
まつやちかこ
novelistID. 11072
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evergreen/エバーグリーン

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 こんな日でも彼はやっぱり優しいーー優しすぎるぐらいに。たぶん最後の瞬間までそうなのだろう。
 その優しさを、かりそめでも1年以上ひとり占めしていられたのはこの上ない幸運だった。不安が離れることはなかったけど、時折は忘れてしまうほどに幸せを感じられた。殊に、さっきまでの時間は。
 レストランは思った通り値段も敷居もすごく高い雰囲気で、学生だとバレたらひょっとして門前払いされるんじゃないかと思ったけど、そこまでのことはなかった。関係ないのか、もしかしたら年齢確認済みだったのかもしれない。食前酒も彼が注文したワインも普通に出されたから。
 今までアルコールを強要されたことはないし、入学以降もサークルや友達同士での飲み会は少なかった。せいぜい数回、味見する程度にしか飲んだことがない。
 だから食事中も、20歳になったとはいえ控えめに、最初のうちはだいぶ加減して飲んでいた。対する彼はサークルが運動系だから機会も多いのか、そこそこ耐性があるようだった。水を飲むようにとまではいかなくてもワインのお代わりを何杯も注文したのである。
 おいしそうに飲む彼につられて、いつの間にか私も1杯目を空けていて、最終的に3杯まで飲んだ。危惧したほどアルコールが回る感覚はなくて、私の飲みように彼もいささか驚いていた。付け焼き刃でもテーブルマナーを勉強してきてよかった、と食事が終わる頃でも考えていられたぐらいだから、体質的には意外と強いのかもしれない。
 だけど気分はけっこう高揚して、途中からいつもより話し声が大きくなったり、ちょっとしたことで笑う反応が多くなったりもした。もちろん周りに気を遣いながらではあったけど、普段なら緊張の方が勝ってもっと萎縮していただろう。
 そういう、昂った気分のままレストランを出て、おなかはいっぱいだったけど何か物足りない気がしていて、駅までの道のりで目についた居酒屋に自然に足を向けていた。彼も異は唱えなかった。
 ……それから、どのぐらい飲んで話していたんだろう。アルコールの勢いがあったとはいえ、今までにない調子でよくしゃべった。そして、話すスピードと同じぐらいに飲み続けていたーー沈黙ができないように、どちらもが黙り込んで特定の話題を出すしかない雰囲気にならないように。往生際が悪いと言われても、少しでも楽しい時間を長くつないでいたかったから。
 不思議なことに、彼も進んでそうしていたふしがある。話が途切れそうだった何度かの合間、お互いが同時に別の話題を出して譲り合ったというパターンが一度や二度じゃなかったから。
 肝心の話は当然、彼から言い出すものと思っていた。わざわざ尋ねたくはなかったから私の方はその話を避けていたけど、彼が避ける理由なんかあるんだろうか。それも優しさゆえになのか。
 覚悟はしてきたんだからいつでも言ってくれていいのに、その方が楽なのに――そう思いながらも、なるべく後になってから切り出してほしいという気持ちもあった。今この時でさえも。もう、後は駅まで行って別れるしかない段階なのに。
 速く歩きたくない、でも急がないと電車がなくなってしまう。おそらくもうすぐ、あと10分か15分ぐらいで終電のはずだった。
 駅の明かりが見えてきた時、今度こそいよいよだと思う。最後まで見苦しくなりたくないと決心していたくせに、どこまでも潔くない。だけどもう、本当にここまでだ。せめて彼の前では泣かないでいよう。この上、彼を困らせたくはないから。
 「……ないな電車」
 「え?」
 「終電、ちょっと前に出ちゃってる」
 彼が指差している時刻表と時計を慌てて見ると、自宅の最寄り駅を通る路線は確かに、最後の普通電車発車が3分前だった。時間を間違えて覚えていたらしい。
「……どうしよう」と思わずつぶやいたものの、こうなってはタクシーを捕まえるしかなかった。この駅にはロータリーがないからタクシーが止まる場所もない。大通りに出れば走っていなくもないだろうけど、どっちにどのくらい行けばいいのか……
 「俺の家来る?」
 迷っている時にかけられたその言葉の意味がわからなかった。繰り返し問われて、聞き間違いではないと認識してからは頭の中がぐるぐるした。
 「い、いいよ。タクシー探す」
 「料金もったいないじゃん。明日土曜だし、1駅分ぐらいは歩くけど、それでもよかったら」
 彼の、無表情にも見える顔、けれどそこだけはやけに強いまなざしの意味を、どう捉えればいいというのか。別れを告げるはずの相手に対して、なんでそんなことを言うのだろう。
 この状況で家に行って、ただ泊めてもらうだけで終わるのかどうか、わからない。そうでない可能性の方が強いのかもしれない。ーー彼は、もしかしたら今まで思っていたような人ではないのかもしれない。
 その事実を知るのは怖い。別れたいと正直に言われることの、何倍も。今すぐに走って逃げたい衝動が足先まで駆け抜ける。なのに足は動かない。
 いつの間にか握られていた手が熱すぎて、その熱が私の全身も心も、痺れさせてしまっていた。
 「来る?」
 静かな、だが有無を言わせない何かを含んだ声での3回目の問いに、気づくとうなずいていた。それでいいのか、と問いかける声が自分の中で聞こえたけど、いいから、と隅に押しやる。
 知りたい。……いや、知らなきゃいけないんだ。彼の本音を。聞きたいくせに聞くことをずっと避けてきた彼の気持ちを、今度こそ。


     ◇


 『ーーんだけど。……もしもし、聞いてる?』
 「え。あ、ごめん」
 問いかけに、はっと我に返る。話題と関係ない、しかも何年も前のことをなぜだか思い出していた。
 「それで、明日何時に着くの」
 『もう、やっぱり聞いてない。11時ぐらいだよ、引っ越し屋さん来るの9時だから。だからお昼ごはんどうしようか悩んでるんだけどって言ったのに』
 呆れたように彼女に言われ、反射的に赤面する。電話で表情がわからないのを有難く思った。
 『どうする、簡単なのでよければ作るけど』
 「いやいいよ、明日は外で食べれば。夜も出前か外にしとこう」
 『えっ、いいのそんなので』
 「ん、荷物運ぶのとか荷解きとかでどうせ疲れるしさ。極力他のことはサボろう」
 短い沈黙。おそらく、いやほぼ確実に、2食とも外食だともったいないなと考えているに違いない。
 けれどここしばらく、自身の荷作りやら手続きやらで彼女は忙しい身だった。その上で週末の半分はこちらに来て、部屋の片づけを手伝っていたのだ。そして間違いなく、家事の大半は引き受けるようになるのだから、たまには楽をさせてやりたかった。
 どうやら彼女も、明日ぐらいサボってもいいかという結論に達したらしい。『うん、そうしようか』と応じた後、なぜかまた少し黙った。そして、
 『……明日から、よろしくね』
 かすかにこわばった、はにかんだ声が聞こえる。先ほどとは違う理由ながら、またもや顔に血が上るのを感じた。今度は顔だけにとどまらず全身に。
 「こちらこそ。これからもよろしく、友美」
 『うん。じゃあ、おやすみ』