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まつやちかこ
まつやちかこ
novelistID. 11072
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evergreen/エバーグリーン

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 彼女の不安の理由が、口さがない周りからの干渉のみではないとわかっていながら、彼女が何も言わない、何も聞かないのにかこつけて、蓋をしてきた問題。それは自分の責任から逃げ続けたことに他ならない。
 わかっていて目をそらし、時々思い出しながらもそのたび都合よく忘れていた。その結果、一番大事にしたいはずの彼女を傷つけてきたーーこれ以上の矛盾があるだろうか。
 今度こそ、ちゃんと伝えなければ。
 彼女の気持ちがどうであろうと関係ない。彼女からの拒否を怖がる権利は、今の自分にはこれっぽちもないのだ。
 拒否されて当然の現状を作ったのは自分自身だからこそ、せめて、本心は正直に伝えなければいけない。それが彼女への義務、自分にできる唯一の償いに違いないのだから。


 朝から、その時間が来るのが怖くてしかたなかった。時計を見ないでいようと思っても、いつもの習慣でつい目をやってしまい、そのたびに見なきゃよかったと後悔する。
 そんなことの繰り返しで一日を過ごして、正直、今日何があったのか、講義の内容も友達との会話もほとんど頭に残っていない。はっきり覚えているのは『なんか顔色悪いよ』となーちゃんに言われたのと、その後の短い会話ぐらいだ。
 ……実際、他の人に言われなかったのが不思議なぐらい(いやもしかしたら言われたのかもしれないけど)、ずっと貧血が治らない心地がしている。今日これからのことを考えると、周りの時計を全部壊したい衝動に駆られる。
 そんなことができるはずもないし、仮にしたとしても時間が進むのは止められない。長いのに短い、複雑な数時間は淡々と過ぎていって、ついに5限終了のチャイムが鳴った。
 その瞬間を、私は講義の教室ではなく、教室がある建物のお手洗いで迎えた。友達にノートを頼んで途中でこっそり抜けてきたのだ。着替えと、化粧直しのために。
 今日行くフレンチレストランを検索したら、想像以上に高そうな店だった。……正直、何度断ろうと思ったか知れない。彼が普段バイトでいくら稼いでいるのかは知らないけど、通常のディナー料金でも一般的な職種の半月分以上、あるいは1ヶ月分に近いのではないかと思った。
 20歳の誕生日だからと言ったって、どう考えてもぜいたくすぎる。そもそも、それほどのことをしてもらう理由なんかない。
 ……あるとするなら何か相当、特別な理由に違いない。そんなものはひとつしか思いつかなかった。

 きっと、彼は決心したんだ。私と別れることを。

 『………………。あのさ、他の可能性があるとは思わないの、全然』
 今日の約束と私の予想を打ち明けた時、なーちゃんはものすごく妙な表情をした。というよりも、どんな表情をするべきか決められない、決めようがないとでも言いたげな、渋い顔を。
 『他のって、そんなのあるわけないじゃない。むしろ今まで言われなかったのが不思議だよ。誰だっていいかげん嫌になるってば』
 絶対そうだと確信していても、口にすると勝手に涙が出そうになった。でも泣いたってしかたない。にじんでくる涙をまばたきで散らしつつ、わざと明るい口調で返したら、なーちゃんはしばらく黙りこくっていた。渋い顔を変えないまま、何か考えているように視線を落として。そして、
 『――ともかく、なに話すにしても思ってることは全部言いなよ。たぶん言わなさすぎでしょ、どっちも』
 本当はもっと言いたいことがあるみたいに、言葉尻がちょっと中途半端に聞こえたけど、内容自体はこれ以上ないほどもっともだった。
 『……うん、そうだね』
 他愛ない話はその気になればいくらでもできるのに、言うべき本音、伝えるべき本心だけは、お互いほとんど表したことがない。ひた隠しにしたまま、これだけの月日が過ぎてしまった。
 本当に、よく今まで続いてきたものだと思う。ひとえに彼が辛抱強く、友達でしかない私に気遣ってくれていたからだ。
 付き合い始めてからは緊張も不安も数知れず感じたけど……でも、楽しい時も嬉しい時も確かにあった。そのことだけでよしとしなければいけない。
 チャイムの余韻を最後まで聞ききって、ようやく個室から出る。着替えたし、カバンも替えたから荷物が多くなってしまった。お店の最寄り駅にコインロッカーがあればいいのだけど。
 最後にもう一度鏡を見て、メイクと髪型をチェックする。できる限りはどうにか整えた。派手にしたところで似合わないからいつもより色合いを少し明るくした程度だけど、幸い顔色が悪くは見えない。
 息を深く吸い込み、吐き出したら少しだけ気持ちが落ち着いた。覚悟を決めて腕時計を見る。
 ーー待ち合わせ時間まであと、10分とちょっと。
 講義が終わって扉の外がざわつき始めている。ほどなく入ってくるだろう他の学生と鉢合わせする前にと思い、荷物を持ち直し、足早にお手洗いから外へ出た。

 近づく私に気づいて視線を向けた瞬間、彼は目を見張った。その反応は予想していたから心構えもしていて、いつかのように怯んだりはせずに済んだ。
 といっても当然、それだけ今の自分がきれいに見えるとかうぬぼれているわけじゃない。普段と違う系統の服装だと毎回そうなるから、今回も同じだろうと思っただけだ。
 2着だけ持っているスーツのうち、お気に入りのサーモンピンクの方を選んだ。後ろでひとつにまとめる場合の多い髪を今日は下ろしてきて、さっきお手洗いで着替えた後に整えた。サイドを固めてピンで留め、耳を出すスタイル。
 入学式の時に同じスーツで似たような髪型をしていたけど、その日は行き会わなかったから彼は見ていない。ちなみにカバンも入学式で持っていたショルダーに替えた。
 自分自身が着慣れていない服で緊張ぎみで、しかも荷物がやたらと多いから、彼でなくともちょっと気になって目を向けるかもしれない。
 「……荷物多いな、持とうか」
 「うん、じゃあこっちだけお願い」
 申し出に素直にうなずき、さっきまで着ていた私服を入れた紙袋を渡した。手に提げている他の2つも引き受けようとしたので、少しのやりとりの後、普段の通学用カバンも任せる。教科書やノート類が4講義分入っているから軽くないはずなのに、自分のカバンと一緒に肩に掛けても、彼は特に重そうな様子を見せない。さすが男子というか、サークルのわりにはハードな練習をこなしているだけはある。
 その彼が今着ているのは、上は濃いグレーの無地のジャケットと白いワイシャツ、そしてジャケットと同系色のスラックス。一見簡素だし、カバンこそいつもの黒のトートバッグで変わりないのだけど、抑えた色調が全体の印象を引き締めていて、それでいながら背の高い彼の見映えを引き立ててもいる。私服でも充分に人目を引く彼の格好良さが、いつもより鋭さを増した感じだった。
 ……そんな彼が当たり前のように隣にいるのも、こうやってごく自然に手を取られて歩くのも、きっと今日まで。最後なら、今日ぐらいは素直な自分を出して、見せていたい。
 別れる瞬間まで、見苦しい真似はしたくない。

 居酒屋の外へ出ると、途端に風の冷たさが全身を直撃した。一気に熱が持っていかれて思わず身震いする。間を置かずに彼の手が私の背中に添えられ、歩みを促しつつコート越しに熱を伝えてくる。