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まつやちかこ
まつやちかこ
novelistID. 11072
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evergreen/エバーグリーン

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 いきなり後ろからかけられた声に、反射的に横へ飛びのいた。……しかし今立っていたのはフロアの中央に近い位置で、どこの出入口をふさぐ格好にもなってはいなかったはずである。
 声の主を振り向くと、知った顔だった――かつ、今この時にあまり顔を合わせたくない相手でもあった。彼女の親友とも言えるであろう、小高七恵だから。
 平均的身長の彼女とさほど変わらない背丈だから、差は20センチ前後。その位置からこちらを見上げる目は、心なしか険しい。タイミング的に、今の一連をおそらく見られていたのだろう。
 直後、その推測を裏付けるように七恵はため息をついた。
 「いいかげんなんとかした方がいいんじゃないの、あんたたち」
 「……」
 「言いたいことっていうか、言わなきゃいけないことはさっさと言えば。でないとどうにもなんないでしょ」
 呆れたような口調は、聞きようによっては怒っているようにも聞こえる。彼女が友人にどんなふうに話しているのかわからないが、この様子からすると経過はそれなりに、いや結構知られていそうだと思った。
 こちらの反応を待たずに、脇をすり抜けて七恵も彼女と同じ教室に向かう。それを見送り、1限目開始の本鈴が鳴り終わってようやく、足を階段の方向へ向けることができた。

 彼女に、いまだに好きだと言えていない、その理由。ただ単に怖いからだと打ち明けたらなんと言われるだろうか……1年近くも何をしてきたのかと呆れられるに違いない。誰よりも、自分自身が一番そう思う。
 言わなければ、とはもちろん何度となく考えた。なのにいつの間にか、言わなくてもわかっているはずだと決めつけていた。これだけの期間一緒にいるのだから当然わかるだろうと――それならば言わずにすむから、そうだと思い込もうとしていた。
 単純に言いづらい感情も一因にある。言おう言おうと思いながらタイミングをつかめないでいるうちに、今さら言うのは逆に変だ、といった思いが少なからず湧いてきてしまった。ある意味で非常に怠惰な、なりゆきまかせな思い――言ってしまったら修正がきかなくなるからこその、逃げ。
 付き合っているくせにそれこそ今さら、なのだが、その部分を不確定なままに置いておくことが、不安であると同時にある種の安心でもあった。お互いの気持ちをあえて確認せずに、友達ではない関係を維持する。不自然で不安定きわまりない状態なのに、都合よく忘れて甘んじていた。彼女がそれを壊そうとしないのをいいことに。
 ……だが、いつだって壊れてしまいかねないのだ。他ならぬ自分によって。
「言ってしまったら」ではなく、言わなくてもそろそろ限界なのだと、あの日以降つくづく感じている。彼女の全部を自分のものにしたい、という思いは今や、冗談抜きで抑えがたくなっている。ほんの少しのきっかけでも火が点いて、爆発してしまいかねない。
 彼女がほしかった。何一つ誰にも渡したくないし触れさせたくない、自分だけのものにしていたい。
 それでもまだ、最後の一歩を踏み出すのが怖い。

 「来週の金曜、5限の後に予定ある?」
 その話をしたのは当日の10日ほど前。手配はそれより半月以上も前にしていたのだが、なかなか切り出せなかった。お互いに意識しているのも気づいてはいたけれど、否、気づいていたからこそ口に出せなかった今年の。
 『………………別に、何もないけど』
 案の定、電話の向こうの彼女は、長すぎるぐらいに間を置いてから答えを返す。今学期の金曜日はバイトを入れていないのも、所属する文学研究サークルの活動が火曜と木曜なのも知っているから、そう答えるだろうと予想はしていた。
 静かに息を吸い込んで、先を続ける。なるべくさりげない口調を心がけながら。
 「なら夕飯食いに行こう。フレンチでよかったらだけど、そこ誕生日に行くと割引になるって聞いたから」
 誕生日、という単語を出した瞬間に彼女がかすかに息を吸い込んだのが聞こえた。再びの、今度は短い沈黙。
 『いくらするの、そこ』
 少し硬い声での、その質問も予想の範囲内だった。彼女なら気にするだろうと思った。
 「いいって。ハタチの誕生日なんだからちょっとぐらい高いとこでも全然」
 『……ちょっとじゃなくて、だいぶかかるんでしょう。そんな無理しないでいい』
 「無理してない、大丈夫。ちゃんと予算は用意してあるから」
 彼女の言葉をさえぎり、早口でまくしたてる。最近気づいたことだが、彼女は時折、妙に勘が鋭くなる。
 選んだ店は確かに、学生がディナーで行くには少々どころでなく高い。だからここ2ヶ月の間に単発のバイトを追加でいくつかこなし、足りない分は食費とささやかな貯金から補った。スケジュールや生活費の面ではしばらく楽ではなかったけれど、どうしてもできる限り奮発した形で祝いたかった。二人の、記念すべき20歳の誕生日を。
 『だから一緒に行こう。――それとも、堅苦しそうだから行きたくない?』
 「そういうわけじゃないけど、でも私そこまで、そんなこと――――」
 今度は彼女の方が、言いかけたことを唐突に止めた。どう続くはずだったのか、彼女の口調から直感でわかった。――そんなことしてもらう理由がない。
 「……あのさ、槇原」
 『――――』
 「もし行くのが嫌なら、正直に言ってくれていいよ。でも違うんだったら、金のことはほんとに気にしないでいい。俺がそうしたいんだからそうさせて」
 彼女の反応は3度目の沈黙で示される。耳を澄ましても息遣いすら聞こえないから、今どんな表情をして何を考えているのか想像するのが難しい。自分自身がまた、抑えている不安に負けそうになっているからでもあるのだが。
 「もう一回聞くけど、行く? ……じゃなくて、行ってくれる?」
 『………………わかった、行く』
 彼女が答えた瞬間、詰めていた息を大きく吐き出す。声が震えないように気をつけながら、
 「じゃ、とりあえず5限終わったら正門前ってことでいいかな。……前の日にはまた連絡するから」
 と伝え、彼女が『うん』と小さく返すのを聞いてから、通話を終えた。よかった、と深呼吸しつつ思ったがすぐさま、素直にそうも思えない気分に取って代わった。
 彼女の先ほどの答えははっきりした声ではあったけれど、感情を抑えに抑えているのがよくわかる声でもあった。これまでに数え切れないほど感じてきたぎこちなさとは何か、どこかが違う気がする。
 ーー今回の自分の誘いを、彼女はどんなふうに受け取ったのだろう。
 ひどく迷っていた様子だったのは、ただ単に「高そうな店だから申し訳ない」という理由だけではないのかもしれない。はっきりわかる何かがあったわけではないが、そんなふうに感じる。
 ……たぶんそろそろ、本当に限界が近いのだろうと思う。自分だけでなく、彼女も。
 言うべきこと、言わなければならないことを避けたままで、いつまでもいられるはずがない。小高七恵の言葉を借りれば「どうにもなんない」のである。むしろ、1年以上も続いてきたこの状態が奇跡的なのだ。