evergreen/エバーグリーン
その言葉が思った以上に強い調子になってしまって、自分で驚いた。目線を上げると、彼のぽかんとした表情が次第に憮然としたものになっていくのが見て取れた。しまったと思ったけどどうフォローしていいかわからなくて、結局また黙り込む。彼はしばらく私をじっと見ていたけど、さっきと同じように何も言うことなく、顔の向きを前に戻して再び歩きだす。
握られた手の感触を、居心地悪く感じた。
彼が親切心からいろいろ考えて、気遣って言ってくれているのはすごくよくわかっている。……なのに気を回されすぎると時折、嫌な感情が頭をもたげる。ひどく苛立って、放っておいてほしくなって、なのに放っておいてくれないことを腹立たしいとさえ思ってしまう。
せっかくの気遣いをそんなふうに感じる自分は、なんて卑屈な人間なんだろう。ただでさえ拭えない自己嫌悪を、自分でどんどん大きくしてしまっている。堂々めぐりだ。
お祭りに行こうと彼が誘ってくれた時でさえ、素直に返事ができなかった。本当は嬉しかったのに口に出せず、ためらっているうちに自分からは行きたいと言い出せなくなっていて、何度も彼に言わせてからようやく返事をしたという有様だった。
どうしてこれほどまで、言うべきことも伝えたいこともちゃんと言葉にできないのか。――理由は、心の底ではもうわかっている。けれどそこには触れたくなかった。意識してしまったら二度と、後戻りはできないから。
どのぐらい歩いたのか、気づくと足が少し痛かった。履き慣れない草履はきつくて、鼻緒が素足に擦れて食い込む。一度気づいた痛みは歩くごとに大きくなっていくように感じて、ちょっとだけ足を止めたいなと思って顔を上げた瞬間に、彼が立ち止まった。あまりに唐突だったので動きを予測できなくて、足をうまく止められずに少しよろめいた。
普段ならすぐに気づいて何か言いそうな彼が、前を見たまま無言でいるので私も同じ方向に顔を振り向ける。とたんに、どこかに隠れたいと思った。こちらを見ている人たちが知った顔だったから。
「なんだ、帰ってきてたのかよ。いつ?」
「水くせえなあおまえ、知らなかったぞ」
同じ高校で同学年で、しかも彼と同じサッカー部だった、と思う。二人のうち一人は、確か3年の時に私と同じクラスでもあった。だから、気づかれないようそろそろと、彼を盾にして半分がた隠れてしまう。
「今いるんだったらさ、明後日来れんじゃないの。部の奴らで飲みに行くんだけど」
「ああそうそう、なんか浅野の彼女がさあ、友達とか知り合い連れてくるっつーから頭数ちょっと足んないしなあ。来ねえ?」
どうやら合コンの話らしかった。反射的に感じた不安と緊張が伝わったのか、ほぼ同時に手を握る力が少し強まった。
「悪い、そういう気ないから、今は」
言いながら、斜めに振り向けた顔を私に向け、手を握り直してくる。思いもしない真剣なまなざしに、かすかに肩が震えた。
ほぼ同じタイミングで、正面の二人は私に気づいたらしかった。しばらくの沈黙の後、「……誰?」とどちらかがあっけに取られたように口にするのが聞こえた。
「倉田と別れたんじゃなかったのか」
「バカ、全然違うだろ、よく見ろよ」
その声に目を向けると、なぜか二人とも、不思議なものを見るようにこちらを凝視している。自分が普段の私服ではないのを思い出し、居心地悪さがよみがえってくる。
「誰だよその子。どこで見つけてきたんだ」
「もてる奴はいいよなぁ。紹介ぐらいしろよ」
二人の、いろんな感情の中でもとりわけ好奇心の強そうな質問に、彼は再び正面を向いた。……視線が外れる一瞬、得意げに笑ったかのように見えた。
「何言ってんだ、おまえらも知ってるだろ。ソフト部の槇原」
彼がそう言った途端、二人はさっきよりももっと不思議な表情になった。というよりは、表情が抜け落ちたようにぽかんとした。
それだけにこちらを見つめる目には遠慮がなくて、私の居心地悪さは最大レベルに達した。限界だと思った。
つないだ手を力を込めて引いた私を、彼が見下ろす気配がした。けれどどんな表情でいたかは知らない。誰とも、彼とさえ視線を合わせるのが嫌で、うつむきっぱなしだったから。
しばらくして、彼が三たび前を向くのがわかった。間をはかるような沈黙の後。
「……まあ、そういうことだから、今はちょっと。後で電話するから」
言いながら彼は、回れ右をして逆方向、来た道を戻る方向に向いた。私も当然、彼の動きに従って同じように向きを変える。
同時に走った足の痛みに、思わず顔をしかめた。声に出さなかったから彼は気づかず、私の手を引いてどんどん前へ進んでいく。我慢していたけどついに耐えられなくなって、
「……待っ……」
呼び止めようとした瞬間、引っぱられる勢いに足がついていかず、前へ倒れかける。そのまま上半身が彼の背中に思い切りぶつかって、やっと止まれた。当然ながら彼が立ち止まったからだ。
「なに、槇原……え、足?」
体勢を直そうと慌てて、よけいに足に力をかけてしまった私の表情を見て気づいたらしい。離れようとする私の腕を彼がつかみ、ぐいと後ろ向きに引き寄せる。
「どっか座るとこ探そう、ちょっと我慢して歩いて」
そう言いながら彼は、背中から私を支えるように体をくっつけ、ゆっくり歩き始めた。……密着して伝わる温度に、息が止まるような心地がする。
離してほしいけどそうは言えなくて、かろうじて呼吸しながら足の痛みがひどくならないようすり足で、彼に背中を押されるままに前へ進んでいく。どれだけ時間をかけて歩いたのか、屋台の通りと人波を抜けた頃には立っているのもやっとな感覚で、神社の一角にある休憩用のベンチにたどり着いた時には心底ほっとした。
「座ってて、なんか買ってくるから」
言うが早いか、彼が屋台の方へと走り戻っていくのを見ながら、私はようやく深く息をつく。一人になって緊張がやっと解けた――のもあるけど、大部分は自分への情けなさ、ふがいなさのせいだ。
どうしてこんなふうに、いつまで経ってもこんなにも、ぎこちなくしか接することができないんだろう。いくら彼が我慢強いとしても、いいかげん嫌になっているに違いない。
それで当然だと思うのに、そう思われているだろうと考えるだけでつらくなる。素直に感情を表せない、伝えられない自分が本当に情けなくて、もう何ヶ月も自己嫌悪ばかり繰り返している。……彼の優しさを嬉しく思いながら、ストレートに受け取ることができない。彼の本心がいまだにつかめない。
いや、正確にはちょっと違う。
優しくされる資格が私にあるとはどうしても思えないのだ。
だって、どうして私なんだろう。こんな私と付き合っていて楽しいはずがないのに、彼は一度も、別れたい素振りを見せたことがなかった。私の打ち解けきらない言動に戸惑いの表情や困ったような沈黙は表しても、今日までずっと、文句を言うこともなく我慢強い態度を貫いている。
作品名:evergreen/エバーグリーン 作家名:まつやちかこ