evergreen/エバーグリーン
10ヶ月という時間が経っても、互いの距離感を望むように縮められない。少なくとも自分はそう思っている。もっと近しく接したい願望は当然あるのだが、それを許さない無言の圧力を彼女からどうしても感じてしまう。人のせいにするのはどうかとも思うが、自分がさらに一歩を踏み込めない原因は間違いなくそこにあるので、払拭できない不安は常に自分の中に巣くっている。
彼女と一緒にいたいのに、一緒にいるのが苦しい時がある。そんなことがあるなんて予想もしなかったが、今は事実そうなのだ。
いまだに彼女の気持ちが見えなくて、時には離れているようにも感じて、苦しくなる。
もともと勢いで始まった付き合いだから、彼女の気持ちを確認したわけじゃなかった。
……いや、少なくともあの時点で彼女は、自分を友達以上に思っていなかっただろう。
わかっていて申し込んで、彼女が何も言わないのをいいことに10ヶ月も付き合いを続けている。拒否しないのは嫌じゃないから、誘いに応じるのはその意志があるからだと解釈して。
途中まではそれを、気のせいではないと思っていた。ぎこちないながらも少しずつ、言葉だけではなく心も通い合うようになってきたと信じていた。だが今は、どこまでが真実で、どこからが自分に都合のいい思いこみなのかわからなくなっている。
自分と一緒にいて、彼女は楽しいのだろうか。
楽しんでいると思える時はある。そういう時は付き合う前の頃に近い自然な態度だし、屈託のない笑顔やさりげない気遣いを見せてくれたりもする。――だが自分がほんの少し視線を外したり、別のことに気を取られる一瞬。視線を戻すと直後には消えるけど、歯を食いしばるように顎と頬に力の入った、辛さをこらえる表情。
目が合っても気まずそうな顔にはならないから、気づかれていないと思っているのか、あるいは当人も気づかないほど無意識の産物なのか。その点は不明だけれど、表情自体は本心の一端の現れに違いない。
彼女との付き合いは自分が勢いで、強引に始めたもの。それはわかっているから、どんな場合でも無理強いは――初めてキスした時を除けば――しないでいた。
彼女は自分に「付き合ってくれている」のだから、多くを求めてはいけない。ただ彼女の笑顔を、優しさを、全てを含めた存在を、自分だけのものと思える時間が少しでももらえるならそれでいい。
最初はそう思っていたし、それで満足できていたはずだ。なのにいつから、本当に全てを、何もかもを独占したくなってしまったのだろう。
どんな時でも彼女の意志に反することはしたくない。だから注意深く、慎重に付き合いを続けて、彼女が嫌がることはしないように努めてきた。
それなのに近頃、彼女の顔を見ていると、どうしようもなく手を伸ばしたくてたまらない気持ちになる。これまで、触れたくなった時には特に注意して、手をつなぐのさえ一言断ってからにしてきた。彼女が望まない時には必ず自分が引いた。
……そうやって抑え続けてきた感情が徐々に蓄積しているのかもしれない。ためこんだ分、増幅されてしまっている気もする。何かのきっかけで揺り動かされたら、完全にコントロールしきれる自信がないぐらいに。
彼女をいつでも、自分だけのものにしていたい。あまりにも身勝手な、都合のよすぎる望み。けれど本心だった。周りには隠せても自分には隠せない。抑えれば抑えるほど、気がゆるんだ隙を狙って、思ってもみない勢いで噴きあがる。
この先ずっと、このままで耐えていけるのだろうか――そんなことができるだろうか。
彼女への気持ちは、付き合う前とは比べものにならないほどに深まっているのに。
いまだにしょっちゅうぎこちなさを感じていても、それが時々ひどく苦しく思えても、ふとした瞬間の可愛らしい仕草に、柔らかい笑顔に惹きつけられる。抵抗の余地は一片もない。離れたくないと思う自分の心を思い知らされる。
今だって、彼女が現れるのをこんなにも、そわそわと動いてしまいそうな体をなだめながら待っている。家で待っていられなくて、約束の時間より30分も早く来てしまった自分は中学生みたいだと自嘲せざるを得ない。
ずいぶん迷っていたけれど、最後にはOKの返事をくれた彼女。しつこいぐらいに『行こう』と言ってしまったのが後から恥ずかしくなったが、やはり嬉しかった。今日の祭りをどう過ごせば彼女が楽しんでくれるか、そればかりを考えて時間をつぶした。
そして約束の5分前。増えてきた祭り客の向こうに一瞬見えた、見慣れないけど見覚えのあるような姿が目に留まる。人の波が切れて、おずおずとこちらに近づいてきた相手を確認し、目を見張った。
2メートルほどの距離を空けて足を止めたのは、彼女だった――浴衣を着て髪を結い上げ、いつも以上に可憐な雰囲気をまとって。
彼と目が合った瞬間、反射的に足が止まってしまう。……やっぱり、普通の服で来ればよかった。こちらに向けられた顔に広がる驚きが強すぎて、支えてきた気持ちが一気に崩れそうになる。
お祭りに行く、と家族に話したら、母親が突然この浴衣を出してきた。和裁の得意な祖母が、私と妹に仕立ててくれたのだそうだ。妹の美音が今年小学校に入ったから、そのお祝いのついでもあるのだと思うけど。
そうは思っても、紺色の布地に赤や水色の朝顔が浮かぶ柄は可愛くて、それでいて少し大人っぽい雰囲気もあって見ているとうっとりする。けれど、私に似合うとは思えなかった。私が着たらただ地味なだけで終わってしまいそうだ。
『いいよ普通の服で。歩きにくいもの』
『浴衣はそういうものよ。せっかくあるんだから着ていきなさい』
『……でも、浮きそうだし』
『何言ってるの、お祭りの時に着ないでいつ着るつもり? 一緒に行く子と浴衣着ない約束でもしてるの』
『そういうわけじゃないけど』
『なら着なさい。写真の一枚ぐらい送ってあげないと、おばあちゃんがっかりしちゃうでしょ』
そんなふうに諭されると、意地でも着ないとは言えなくなった。母は一人娘なので、祖母には私たち姉妹以外に孫はいない。だから小さい頃からすごく可愛がってくれている。その祖母をがっかりさせることは、なるべくしたくはない。
……そう決心しても、着付けてもらっている間も、似合っていないんじゃないかという思いは絶えず湧いてきた。やっぱりやめる、と言わずにいるのに必死だった。
『あっゆかた! おまつり行くのっ?』
髪を結ってもらっている時に、学校のプールと友達の家をハシゴしていた妹が帰ってきた。
『あら美音、早いじゃない。プールちゃんと泳げた?』
『ねえねえ、おまつり行くのおねえちゃん。みおもつれてってよう』
『だめよ、お姉ちゃんはお友達と行くんだから。美音がいたらお友達が困るでしょ』
『なんでよう。みおもゆかた着たいよ。ねえおねえちゃんおねがい、いいでしょ』
作品名:evergreen/エバーグリーン 作家名:まつやちかこ