山を翔けた青春
スランプと、心に迷いを持っていた山下は年末年始を利用して、笹木とネパールトレッキングに参加した。
大きな自然の中のちっぽけな自分自身を感じ、山の美しさにますます魅せられ、そしてそこでの出会いが、山下に新たな目標を持たせることになった。
同人ユングフラウという、女性だけを構成員とした山岳会がある。そこで進められている、ネパール・チャンラ峰遠征計画。笹木と山下はそれに加わることができるようになったのである。
一方、岡田は会の活動状況に物足りなさを感じていた。
岡田は山下に誘われて、大阪府山岳連盟主催の冬山講習会の上級コースに参加した。2月の宝剣岳である。同じクラスには男性2人が一緒だった。
ケーブルを降りたところの千畳敷で、1日目は、雪のブロックを切り出して雪洞作り。そのあとラッセルや簡単な登攀と懸垂下降の講習を受けた。雪洞の中で食事を作って、ホクホクの夜を過ごした。
2日目は吹雪であった。宝剣岳を往復し、ピッケルとアイスハンマーを使って雪壁登攀をした。
目から出る蒸気が凍って、まつ毛と眉毛は白くなり、呼気は鼻水を誘い、鼻の下に白いつららを作る。空気を吸うとつららは共に鼻の中に入って砕け、チクチクしたかと思うと融けて流れ出し、すぐに固まる。
登攀の順番を待つのは辛かった。
その夜は3人と2人に分かれて、ツェルトを張っただけのビバークであった。ザックを空にして足を突っ込み、膝を抱えて夜をやり過ごすのだ。
「何か飲もうや」
コッフェルに雪をすくって、ガスバーナーで温めて湯にした。
火を消すと同時に寒さが襲う。
食べてうとうと、飲んでうとうと、暖をとろうとローソクを点けてうとうと・・・ツェルトを焦がしてはうとうと。
氷点下摂氏32度。講師は冬用シュラフを持参していた。
帰りのバスの中では4人とも爆睡し、大阪まで目覚めることはなかった。
そして3月、講習会で自信をつけた岡田は山下と、初めてふたりだけでパーティーを組んだ。
八ヶ岳の阿弥陀岳北西稜。岩と雪がミックスしたルートだが、気温上昇で胸まではまり込む雪に閉口して断念。
翌日は雨まじりの吹雪となった。テントを残して、硫黄岳から横岳への縦走に出た。
その頃、昨日の行程で行っていれば今日の下山ルートとなっていた文三郎新道では雪崩が起こり、兵庫のパーティー11人が死亡した。
シートに包まれて次々とそりで運ばれてくる姿に、息をひそめて立ち尽くしていた。