妊婦アリス・スターズの話
2010年10月21日
もうこの病院に来るのも――少なくとも今のところは――最後になる。
19歳の時から実に5年半も通ってきた、見慣れた白い壁。昼に来るといつも満車になっているが、朝9時にはまだ車の少ない、少し段差のある駐車場。平日ここに来るときはいつも愛車のタント君だが、今日はデミ子――クロエの愛車――である。クロエも誕生日だからと休みを取っていたのだ。
一緒に病院に入り、アリスはいつものように診察券を入れる。少し待って血圧を測ってから、アリスだけが2階の待合室に上がった。
今日は診察室より先に内診室に通された。
卵巣より先に子宮を見る、ということが今までなかった彼女にとっては先に子宮が映し出されることにいまだに違和感を感じてしまう。胎嚢――あの黒い影は、前見たときより格段に大きくなっていた。
(……ん?)
そして、前回は見えなかった、2つの白い影。
正円の影と、ソラマメのような形をした影の2つ。それが、胎嚢の中に2つ並んで映っていた。
胎嚢と白い影が全部はっきりと見える状態で、矢印カーソルを表示させたマリア先生は、それぞれを指しながらアリスに説明した。
「これが前見えた胎嚢。これが卵黄嚢で、これが胎芽――つまり赤ちゃん。」
胎嚢、正円の影、ソラマメの影の順で指し示す。さらにマリア先生は、画面を一時停止しないまま胎嚢のあたりをアップで表示させた。それから胎芽――ソラマメの影のちょうどへこみの辺りに矢印を持っていく。よく見ると、その部分が――
(……動いとる……?)
「これが赤ちゃんの心臓。ちゃんと動いちょるね。自分のと違うじゃろ?」
自分の脈を取ってみろと言われ、アリスは左手の腹――面白いことに、アリスの手の腹には動脈がくっきり浮き上がっていて、そこから脈が取れるのだ――に右手の人差し指と中指を当てる。自分の脈の速さ、bpm換算でおよそ80くらいか。それよりも、画面に表示されたそれのほうが速く動いていた。
「アリスさんの脈と違うってことね。ちゃんと自分の力で動いてるよ。」
それから画面のアップを元に戻し、一時停止してから胎嚢と胎芽の大きさを測っていく。胎嚢は23.2mm、胎芽は6.4mm。胎嚢の大きさからは6週3日と表示されたが、基礎体温を尊重し、今日は6週5日、出産予定日は2011年6月11日に決定した。
診察室で、説明図の描かれたエコー写真を受け取る。
「お産どこでするか、決めた?」
そもそも、この市内でお産を出来る場所は3箇所しかない。ひとつは国立病院、ひとつは市立の病院、もうひとつは個人病院だ。市立の病院は、以前妹が居酒屋でアルバイトをしていた時に団体客として来たことがあるらしく、その時のマナーがすこぶる悪かったと聞かされているから絶対に行かないと決めていた。妹は2人の子供を両方国立病院で出産していて、そこにしてもよかったのだが。
「私はこの病院の雰囲気が好きですし……同じような個人医院にしようと思います。」
いわゆる患者に対してのケアが充実している――と、実際に行ったことはないが勝手に判断した――個人医院で出産することに決めた。
「じゃあ、スプリングウィメンズクリニックで紹介状書きますね。」
そう言ってマリア先生は、さくさくと紹介状を書き始めた。
作品名:妊婦アリス・スターズの話 作家名:アリス・スターズ