妊婦アリス・スターズの話
2010年12月22日
少し話の内容は前後するのだが。
この日、今まで散々嘔吐に苦しめられていた日々が急に終了した。
(え、つわりってこんな急に終わってええん?)
とにもかくにも、つわりは終わった。炊けたご飯の匂いでも、パンの袋を開けたときの匂いでも、吐き気を催すことはなくなったのだ。気分よく2人分の弁当を作り、アリスはタント君に乗り込む。休んでばかりだったせいか、久々の出勤だ。
アリスの仕事場は山の上にある。標高で言えばおよそ750メートルだったはずだ。そこは下界――と言っていいかは分からないが――とは大違いの景色が広がっていた。
「おーおー、雪あるじゃん。」
ひとりぼやきながらタント君を走らせる。だいぶ前にスタッドレスタイヤに履き替えていたタント君は難なく雪道をかけていく。当然普段よりはスピードを落としてはいるが、家を早めに出たおかげでいつも通りの時間に会社に辿り着いた。
朝のラジオ体操の代わりに雪かきをするのだが、アリスは妊娠中のため免除された。朝礼を済ませた後に、11月29日にあった会社の健康診断の結果をヒースから受け取る。この時点で、ヘモグロビン値は11.3と軽度の貧血、となっていた。次の診察に持っていって相談するべきかな、と思いつつ、他に何も引っかかっていないことを確認して結果をかばんにしまった。
午前中の仕事をそれなりにこなし昼食をとった後、ヒースに呼び出された。
「しばらくは雪が溶けんから危ないけぇ、上がってこんでもいいよ。」
「え?」
確かに一度雪が積もったら3月に入るまではまず溶けないと、今まで5年間通って知ってはいたのだが。まさかつわりにおおかた決着が付いたその日にそんなことを言われるとは思ってもいなかった。
ヒースとソフィアによると、前回の検診でもらった母性健康管理指導事項連絡カードによる特別休暇と、アリスが5年半務めて溜まっていた有給休暇をうまく使って、雪が溶けるまでを何とかしようとのことらしい。確かに雪道の運転は神経を使うし、本来妊娠したら運転はなるべく避けたほうがいい。だからと言って他の社員に乗せて上がってもらうのも、何かあったときに責任が取れないだろう。
アリスはそれを了承し、最低でも2月末までの長い冬休みを得ることになった。
実はこの日は会社の忘年会で、社員も全員14時半には仕事を終えて出発する。アリスはこの忘年会も欠席することになり、しかも今日は昼の仕事が始まる前に退社することにまでなった。
「クロエ、早うに帰るけぇびっくりするじゃろうなー。」
せっかくなので、まだ雪のある路肩にタント君を停め、雪が一緒に映るように写真を撮ってから帰宅した。
作品名:妊婦アリス・スターズの話 作家名:アリス・スターズ