夏色の麦わら帽子 -ノンフェイス予告-
誰かに見られている気配がして振り返ると、さきほどの女の子だった。手には何も持ってない。目が合うと、物欲しそうな眼差しをくれるではないか。ケイトは今日の分はもう終わりだと自分に言い聞かせ、少し微笑みを返して中へと入った。
貯金はもう、ある程度の金額に達している。それはロンも知っている。これ以上額が大きくなると、さすがに全額使わせてくれとは言い出し辛い。けれどもケイトは、彼らを思って貯めているお金なのだから、彼らのために使いたかった。
あの、眼差し。
どうすれば、彼らを笑顔に出来るのだろう?
「おかえり、ケイト」
キッチンで残飯を使った料理をしているロンが、顔を上げて出迎えてくれた。今は、ディナータイムが始まる前で、準備中である。簡単に掃除された狭いホールを横切り、ケイトはカウンターに荷物を置いた。
「ただいま。今日ね、アワビが凄く安かったの。あと房から実がたくさん落ちて、売り物にならないブドウをね、安くで譲ってもらった」
「さすがケイトだ、今日も良い買い物をしてるね」
袋から一つずつ取り出し、カウンターに広げていく。その間にロンは、残飯を混ぜたオムレツを皿に盛りつけていた。
「疲れただろう、暖かいうちに食べて」
焼けた卵のにおいを楽しみながら、ケイトは荷物の中から小さな花束を取り出す。カウンターの内側に置いてあった空き瓶の中からちょうど良い大きさのものを選び、水を満たして花を挿した。
「マイヤさんが、小さなカートを譲ってくれるって。買い物をするとき、ちょうどいいだろう? お腹も目立ってきたし、あまり重いものは持たないようにしないと」
「ああ、そうか、そうね」あまり考えたことがなかったので、ケイトは微笑んだ。ロンはいつも、この身体のことを気にかけてくれている。
カウンターの隅に花瓶を置いて、椅子に座った。
「ケイトは無頓着すぎるよ」
スープを用意したロンが隣に座る。その視線の先には、あの花がある。
ロンはいつも何も言わないが、本当は快く思ってないはずだ。それはなんとなく感じていたが、気づかない振りをした。
ケイトの身体が普通でない状態にあるから、好きにさせてくれているだろうということはわかった。ロンが黙認してくれていることに、ケイトは甘えているのだ。
暑い日が続いているとはいえ、暖かな食事は嬉しかった。刻まれた魚介が混ぜ入れられたオムレツはとても甘く、口の中を満たす。合間に飲む冷たいスープは少し辛めで、食欲をそそった。ついつい喋ることも忘れ、夢中になってスプーンとフォークを動かす。
空になった皿を前に、ケイトは布巾で口元を拭って水を飲んだ。
「ずいぶん早いね。お腹、すいてたの?」
ロンは、まだ半分ほど残っている。元から量が違うが、こんなに早く食べたのは久しぶりだ。
「そうみたい。美味しかったわ」
「まだ食べる?」
「もう、お腹いっぱい」
空いた食器を持って、シンクへと下ろす。洗いながら、彼らにも食べさせてやりたいと、そんな考えが浮かんでしまう。ロンは、彼らを笑顔にすることができるだろう。ここを訪れたお客たちもみんな、笑顔で帰る。
物欲しそうな眼差しではない、相手から上手く金品を騙し取って、得意げになっている目でもない、心の底からの笑顔が、見たい。
思わずため息がこぼれて、ケイトは慌てて口をつぐんだ。
「どうしたの、心配ごと?」しかしロンは見逃さなかったようだ。
「ちょっと、考えごと」曖昧に微笑んで見せる。
「考えごと?」
「料理って、人を笑顔にさせられるんだなって。そんな特技を持っているロンは、本当に素晴らしいわ。私は、だめね……」
「ケイト?」
レジの下に、お金の入った缶が置いてある。今日もいくらかあの中にお金を入れる。
どれだけの食材が買えるだろう。何人分の食事が作れるだろう。
「悩みなら何でも言って。ぼくに出来ることなら協力するよ」
いつの間にか立ち上がっていたロンが、ケイトの手を包み込んだ。
本当に相談しても構わないだろうか。
ロンは、嫌な顔をしないだろうか。
「料理を作って欲しいの、彼らに。そのお金で……」
ケイトの視線の先を、ロンは追おうとしなかった。代わりに手には力が込められ、その首は少しだけうなだれて清潔なうなじをケイトに見せた。
ああ、傷つけてしまった。後悔の念が襲って来る。
それに耐えるために、瞼を落とした。
深く。
作品名:夏色の麦わら帽子 -ノンフェイス予告- 作家名:damo