密研はいりませんか?
行かなければ直接会った事のない母さんに会う事もアメリカに行くこともできない。でも、ここで勉強ができる。行けば母さんにも会え貴重な体験ができる。だけど勉強はできないだろう。
ただどちらかにすればいいだけなのに、そう分かっていても決められない。
「父さんは、俺がアメリカに行って一週間もまともに勉強できなくても嫌じゃない?」
すると、父さんは顔を上げ微笑んだ。
「勉強も大事だけど、会った事ない母さんと会えるチャンスなんだぞ」
「それに、これからの高校も含めた将来の事を母さんと直接会って話せるわけだし」
父は一旦、言葉を切って考え深げな顔をした。
「それに……十四年も会わせる事ができなくて、お前達にはすまないと思ってるからだ」
父は申し訳なさそうに顔を上げた。
実際、心のどかでいきたい気持ちは十分に出来ていた。ただ、答えを出す事は難しいだけ。
まさか、父はここまで行かせたいとは思ってもいなかった。ようやく決心がついたような気がして気持ちが楽になった。
「やっぱ、行くよアメリカ」
「じゃ、これで報告会は終わりとしよう。これからも一年、セオウルフのもと忠実に働いてくれ」
一同は静かに頷いた。
「では解散」
伯爵は笑みを浮かべながらそう述べた。皆、各々に部屋を出て行った。人が自分と伯爵だけとなると、伯爵は静かにこちらへ近づいてきた。先ほどの用件であろう。だが彼の表情は暗く、不吉な事を案じているように思えた。
「君は日本の代表だったね」
静かに頷いた。
「少し、問題が起きてしまったんだよ。メンバーの一人、日本人女性のおかげで」
ゆっくりとそう言った。
「一体どんな問題なんですか?」
そう尋ねると、しばらくの沈黙が出来た。そして伯爵は表情を変えず、口を開いた。
「バベルの紙を燃やされてしまったんだよ」
伯爵はそう言った後、恐れの入った笑みを作った。
それを聞いて驚愕した。ありえない……。そんなはずが……。
「バベルの紙とは? ……まさか」
無意識に尋ねていた。
「あぁ。バベルの紙とはプロジェクト・オブ・バベルの紙だ。他はない」
重々しく、返答してきた。場の空気はより一層張りつめたものに変わった。まぎれもない事実のようだ。
こんなことがあっていいのだろうか。起きていいのだろうか。バベル……。燃やされた……? ふざけるな。それは我らが組織の終わりを意味しているようなものではいか。一体この組織の入会制度はいつからこんなに甘くなったんだ! どこの奴とも分からぬ、半端な忠誠心の人間を入れるとは。信じられない。
いつからか驚愕した気持ちは怒りへと変わっていった。伯爵は何を思ったのか、自分の席の近くに置いてあったペットボトルを手に取った。
「西乃綾子という女性を知っているか?」
伯爵は、ペットボトルの水を全て飲み干した後、そう尋ねてきた。
西乃? 聞いた事がない名だ。
「存じておりません」
そう言うと、不思議にも伯爵の表情に変化はなかった。
「だろうな。目立った仕事もしているわけではないし、国の代表に近い地位にいるわけでもない。だが、彼女の所属している場所がまずかった」
ペットボトルを円卓の上に転がした。
「何処ですか?」
伯爵は、待っていたとばかりにこちらに視線を向け直した。
「ワシントンだ」
次の日、ポスターを持って学校に行った。
昨日、あれから父は変な提案をしてきた。母にはアメリカに行くと伝えるかの話で父の考えで「サプライズにしたい。お前が成田空港についたら、父さんに電話してくれ。そしたら母さんに電話するから」そう父は自分で言いながら笑顔になっていた。行く前に伝えてしまえば面白味がない、からだとか。その事についてはとりあえず同意した。ただ、自分が後一ヶ月程でその頃にはもうアメリカにいると思うと具体的にはみえてこなかった。
「「おはよーございます」」
またやる気のない声で一日が始まった。
山勢、近藤。二人はどうしてるだろうか。昔からどんな形のもめ事でも、次の日には何もなかったようになって欲しいと思うものだった。今回もそれは例外ではなく。
授業のあい間の休み時間、どこか山勢には会いずらかったので近藤の様子を見に行く事にした。
ニ組に行ってみると、大半の女子が近藤の周りについていた。近藤自身も、いつもと同じように笑顔で話をしている。そんな光景を見ていると余計に昨日の事が思い出されてしまう。ふと、彼女がこちらを見やり、目が合いそうになった。理由もなく気まずく、その場から離れた。山勢の事はどう思っているのだろうか。何も考えているわけではないだろうが、気にしていない様にも見えた。自分では答えなど出るはずがないと思って歩いていると、逃げられない距離に山勢がいる事に気づいた。アクリルセットと美術の教科書を手に持っていた。どうやら一組は一校時に美術があるらしく、美術室に移動するようだ。男同士気まずい事などあるか。そう思い山勢がこちらに近づいてくるのを黙ってみていた。山勢もこちらに気づいたようで軽く手を挙げてきた。
「よう、じゃまた密研室で」
これまた何もなかったように笑顔でそう言ってきた。
「おう」
返すのが遅れたが、すでに山勢には聞こえていなかった。二人とも微妙な立ち位置にいる俺の事、分かってんのか。そっとため息をついた。
ただ二人ともいつも通りに振る舞おうとしているのが分かって安心した。六時間後、密研室ではどうなっているだろうか。
「ワシントンですか!」
反射的に声を荒げた。では、燃やされたのは……。なんとも恐ろしい結果が頭に浮かんできた。
「本物の方ですか……」
伯爵は静かに頷いた。
なんて事だ……。絶対に許される事ではない……。これほどの重大な出来事が今までの歴史ではなかったはずだ。何世紀にも渡って厳重に守られてきたその文献が、こうも簡単に燃やされただと? しかも身内の犯行とは。信じられない。
「そこで、君に頼みがある」
伯爵は淡々とそう言った。
「その西乃綾子と一緒にレプリカの方を探してもらいたい」
何故? わけが分からない。そもそもどうして?
「罰は、罰は与えないのですか!? それほどの重罪を犯しておきながらまだ組織に残しておくおつもりですか!」
すると、伯爵はするどい目つきで見てきた。直ぐに自分の過ちに気づいた。
「無礼をお許しください」
「心配するな。古くからの決まりで殺す事はできないが、罰はそれなりに与える。小さい探偵団を連れて行くんだ」
目つきとは逆に口調は軽いものであった。
探偵団? 伯爵は何を考えてるんだ? さっぱりつかめない。
「どういう事ですか?」
そう尋ねると、伯爵の口元が緩んだ。
「それは、向こうへ渡ってから自分で確かめるといい」
伯爵はそこで一旦言葉を切ってまた口を開いた。
「君に言えるのは……レプリカの捜索は一ヶ月後からだ。だが、今週中にはワシントンにいて欲しい。彼女と仲良くなってもらう為に」
西野綾子はカルバリーバブテスト教会の右隣のファーストフード店にいた。
いつになったら来るのよ。
作品名:密研はいりませんか? 作家名:paranoid