君が教えてくれたこと
第一章 訪問者(4) - 訪問者(3) -
祐一が祥子の部屋をノックすると、「はあい」と返事があった。
「伯母さんが、食事どうするかって」
ドア越しに言う。
「要らない。食べてきたから」
「そう」
祐一は言って、そのまま踵を返す。すると、鍵が開く音がして、背後でドアが開いた。祥子がひょいと顔を出す。
「祐一は? 今から食べるの?」
「うん」
「じゃ、わたしも行く」
祐一の後ろについた祥子に、祐一は視線を向けた。
「食べてきたんだろ?」
「いいじゃない、別に。それとも、オバチャンと二人きりで食べたい?」
祐一は苦笑する。
「それでもいいよ」と答えれば、さらに話が長くなるので、敢えて反論は避けた。
「中里くんも一緒に食べていってもらえばよかったのに」
「そのほうがよかった?」
「わたしじゃなくて、祐一がよ」
きっぱりとした口調で祥子は言った。
☆
食卓の風景は、いつも大抵同じ形になる。今日も恵理子はほとんど無言で食事を進め、祐一はもっぱら祥子と短い会話を交わしながら食事を終えた。
「ごちそうさま」
祐一はそう言って席を立った。祥子も無言のまま、同時に席を立つ。もっとも、祥子はコーヒーとクッキーを食べていただけだったが。
「祥子」
まだ食事をしていた恵利子が呼びとめる。
「何?」
「今度の三者面談のことだけど」
祥子は返事をしない。
祥子の通っている霧島西高校は私立の女子高で、きめこまかい進路指導をうたっている。その一環として、三者面談が一学期ごとに二回ずつ行なわれるのだ。
「志望校のこと、もう考えたの?」
「だから、志望校はあの時言ったじゃない」
いらだった口調で祥子は言った。
「祥子の学校の選び方じゃだめだって言ったでしょう? 自分の偏差値で楽に行けるところばかり選んでどうするの。まだ時間はあるって、先生もおっしゃってたじゃないの。祥子に足りないのは能力じゃなくて、単にやる気の問題なのよ」
「そんなこと、どうしてママに判るの」
「あなたの勉強の仕方を見ていたら判るわ。ちっとも机に向かっていないじゃないの。それでどうして実力が出せるの?」
「塾で勉強してるわよ。それであの成績なんだからしょうがないじゃない。塾でも勉強、家でも勉強じゃ、息が詰まっちゃうわ」
「受験生がそんなこと言っててどうするの!」
祐一は無言で食器を重ね、流しに運んだ。何度聞いても気分のよいものではないが、さすがにこのごろでは慣れっこになっている。
「高校を選ぶときもそうだったじゃないの。自分のレベルより下のところを選んで、ぬるま湯みたいな中にいるから―――」
「もう、いいかげんに高校受験の時の話はやめてよ!」
「そう言うなら、どんなところででも努力できるところを見せなさい。ママだって、出来ればこんな話はしたくないわ」
いつも話は平行線になる。祐一はキッチンを出た。
ときおり、祐一に矛先が向くこともある。教育の本や自己啓発の本など、教育の「研究」にも熱心な恵利子は、はっきりと口に出して娘と甥とを比較することはない。だが、内心では強烈に意識していることを、祥子も祐一も気づいている。お互いに、気づかないほど鈍感ではいられないのだ。
一見快活な印象を与える従妹が、実は激しい気性と鋭敏な感受性の持ち主であることを祐一はよく知っている。それはどうやら母恵理子から受け継いだものであるらしい。二人がぶつかり合うさまはまさに火花が散るようで、祐一にとっては恐ろしくもあり、またある意味で眩しくもあった。祐一はどんな場合でも、他人とそのような形で争ったことはなかったからだ。
その中に、自分が進路の話など持ち込んだら、一体どういう事態になることだろうか。それがひどく不安だった。
☆
ノックの音がした。
「はい」
「祐一」
祥子だった。
「入ってもいい?」
「いいよ」
答えるか答えないかのうちに扉が開いて、祥子が入ってくる。表情は硬い。祐一はさっきシャワーを浴びてきたのだが、そのときも祥子と恵利子の口論は続いていた。
しばらく、沈黙がある。
「……大丈夫か?」
椅子に掛けたまま、祐一は尋ねた。
「何がよ」
「気分が悪そうだから」
「いいわけないじゃない」
祐一は小さく息を吐き出し、苦笑する。
「そうだね」
「……そういう言い方されると、子供扱いされてるみたいだわ」
祐一は再び苦笑するしかない。
「そんなつもりはないんだ。……もし、気に障ったなら、謝るよ」
こんな返答は、一層祥子をいらだたせるのかもしれない。だが、他に言い方を思いつかなかった。
「祐一、まだ志望校はっきり言ってないの?」
「……」
「わたしに遠慮してるなら、やめてよね。別に祐一が大学のランク落としたからって、私の偏差値が上がるわけじゃないわ」
少し間があった。
「東大でも京大でも、好きに行けばいいじゃない。祐一ならどこだって軽いんでしょう」
「――祥子」
一息ついて、祐一は言った。
「ぼくのことはいいよ」
「いつもそう言うけど、どうしてなの? どうしてそんな風に隠し立てするの?」
「……」
「話せないようなこと? 祐一に限って、何も考えてないなんて考えられないわ。わたしのせいなんじゃないの?」
「違うよ」
きっぱりと言いきる。
「君には関係ない」
「―――」
わずかに祥子が怯んだのが判った。
「ごめん。でも、本当に、これは自分だけの問題なんだよ。君が気にすることは何もないんだ」
祥子はほとんど怒ったような眸で、祐一を睨みつけてくる。
「……謝らないでよ……」
絞り出すような声で、祥子は言った。
一瞬「ごめん」と言いかけて、祐一は内心苦笑して口をつぐんだ。
何故、うまくいかないのだろう―――
時折、そう思う。
自分は、時に祥子をいらだたせる。祥子だけではない。伯父夫婦もだ。
祥子が、両親よりもむしろ祐一の側に立ってくれようとしていることは判っている。祥子が両親に対して見せる反発は、いささか幼いものにも思えることは事実だ。だが、その率直さを祐一は嫌いではなかったし、むしろ好もしいものにも思っていた。わずかにうらやましくさえ、あった。それは祐一には持ち得ないもの、持つことが許されなかったものだったからだ。
「祥子」
ややあって、祐一は口を開いた。
「うまく言えなくてごめん。でも、君は何も悪くないよ。ぼくひとりの問題だから。進路のことは、ぼくからいずれ伯父さんたちに話さなきゃいけないと思ってる。確かに、何も考えていないわけじゃない。だけど、今は言えない。でも、きちんと自分で話をするから。いつまでも保留にしてもおけないって、それは判ってるよ」
「わたしじゃ、相談相手にもなれない? この頃、祐一いつも考え込んでて、前よりもすごく無口になったわ。どんどん、無口になっていく」
「―――」
予想外の言葉だった。祐一はかすかな驚きをもって、従妹を見つめた。
作品名:君が教えてくれたこと 作家名:深川ひろみ