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なんでもない、夏

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 昨夜は結局、よく寝つけなかった。持参した文庫本は手つかずのまま放り出されていた。こんな分厚い文庫本なんか作るなよ、と意味のない怒りまで込み上げてくる。苦笑。
 皆は朝七時ごろ目覚しにしたがって、のそのそと起き出す。
 七時半ごろ纏まって食事をとる。
 朝から爽やかなのは副リーダの神田だけだ。早寝早起きは得意らしい。
 今日は演劇部らしく(?)、台本読みを浜辺ですることにした。
 まだ、台本の全てに目を通していないメンバーもいたので、正午までは各自台本読みをしてもらう。
 俺はこの機会に手付かずの文庫本を読むことにする。
 第三章が終わり、犯人がだいぶ絞り込まれてきたところで、一息つこうと姿勢を変えると、由貴が視界に入ってきた。
「あれ? 由貴。いつから居た?」
「二十分ほど前からよ。気配を消してたわけじゃないけど、全然気付かないからいつ気付くかなって思ってたけど」
「はは、ごめん。集中してたから」
「集中すると何も見えなくなるのね」
「…そうかもな」
「それ、面白い?」
 文庫本を指さす。
「ああ、面白いよ。由貴は推理小説なんかは読まへんかったっけ?」
「わたし? わたしは小説とかはあまり読まないから」
「小説は面白いよ」
「雑誌とかもあまり読まないもん。文章自体が嫌いなのかな」
「まぁ、映画を見いひんヤツもおるしな。人それぞれやとは思うけど」
「それは総司でしょ?」
「住友さん。もうそろそろお昼ですけど」
 村上が反対側の敷居から声をかけてくる。
 俺はふと壁に掛かっている時計を見遣り、
「ああ、そうやな」
 よっこらしょっとと声をかけて立ち上がり、
「メシの手配はできてる?」
 村上の側で話しかける。
「ええ、今、神田さんと織江さん、青木さん、戸嶋さんの四人で買いに走ってもらってます」
「手早いね。いつもながら感心するよ」
「マネージャーですから」
 村上はスポーツバッグに水筒、タオル、テープレコーダ等の小道具を詰め込んでいる。村上は責任感が強くて頼りになる。
「先に行っててください」
 村上の言葉に従って、由貴とともに浜辺に出る。
 人気の多い砂浜の方を避けて岩場の方で集合する。


「総司ってさ、実際のところ何考えてんのかわかんない」
「え?」
 突然話題を切り出す。
「わかんないよ。なんかいつでも冷静だし、あんまり感情的になんないし、怒ってるの見たことないし、私が年上だってことも忘れるくらいだし。それに、……」
 由貴は、突然語尾が不明瞭になる。
「それに? 何?」
 俺はあまりに突然な話に多少戸惑い気味に訊ねる(でも、多分声はいつもの調子と変わらなかったろう)。
「……いい、なんでもない」
 歩調を緩めて、砂浜を歩く。由貴は遠くの岩場の方を見つめてこちらに視線を向けようとしない。
「俺が冷静なのは、……元々の性格もあるやろうけど……いつでも冷静であろうと心がけてるからやで。感情がないわけやない。それに、何を考えてるのか解らへん時は多分何も考えてへん時や」
 それでも由貴はこちらを見ようとしない。
「…………言葉だけで何もかもを理解するだなんて、多少傲慢な考えかもしれへんな」
「……自分のこと、そう思ってるの?」
 由貴はあくまで目線を崩さず、ぽつりと呟く。
 俺はその言葉に返事をせず、由貴の手を握る。
 由貴は黙って手を握りかえしてくる。
「さぁ……。でも、『臆病』ではあるわな」
「『臆病』?」
「そう…。人間やし…な」


「どうして、須磨に来たの?」
 練習半ばに不意に声をかけてくる由貴。
 さっきのやり取りで機嫌を損ねたモノと思っていたが…、勘違いだったのだろうか。よくわからない。
「……別に……、特に理由なんてないよ……。練習と遊びをかねて、近場で……ってだけやから」
「それだけ?」
「それだけや……」
 風下に煙草の煙が流れないように、体の向きを変えながら煙草に火をつける。
「ウソ」
「何で? どうしてそう思うん?」
「……何となく」
「オンナの勘?」
「……」
 暫しの無言の後、練習をしている皆に指示を出す。
 煙草を吸い終ったので、もう一本口に咥える。いつもなら立て続けに吸うことなどないのだが、この変な間をうめるための無意識の動作だろうか。
「総司はどういう風に死にたい?」
 また、答えにくいことを訊いてくる由貴。いつものことか。
「……わからへん」
 人は生まれるのも死ぬのも必然だと思う。その時に「生まれる理由」があるから生まれ、「死ぬ理由」があるから死ぬ。
「由貴は?」
「―――好きな人と死にたい…」
「何やそれ?」
「どうして? おかしい?」
「おかしいとは思えへんけど、一緒になんて不可能やで。人は死ぬときだけは独りやからな。それに、好きな人には生きていて欲しいもんちゃうん?」
 由貴は華奢だ。背も平均より低い。俺は身長一八八で専攻課程の学生の中では一番背が高い。由貴と俺が並ぶと頭二つ分ぐらい差がある。
「……地球に「海」が出来てからどのくらいの生物が海で「死んだ」のかしら…」
「……さぁ…な…、数え切れへんやろうけど…。でも命は海から生まれたんやで」
「どうしてそんなこと、わかるの? 命がどこから生まれたかなんて、誰にもわからないじゃない……?」
「わからへんからなんとでも言えるんや」

 わからないモノを、わかると云ったり、
 わかっているモノを、わからないと云ったり、
 コトバが並んでいるだけで納得してしまいそうになる自分、
 コトバが並んでいるだけで、目を逸らす自分、
 なんでもなかったことにしてしまえば、
 本に挟み込んだ栞をごみ箱に捨てれば、
 そうしないのは何故かな、
 人間はわからないことだらけだ。


作品名:なんでもない、夏 作家名:志木