夢路を辿りて
すると千穂子は「クスッ」と笑って、光彦の方を見つめながら孫であるその少年、ジェームスに小さな声でなにやら話していた。それを聞いたジェームスは「ヤー、ヤー、イェス」と何度か軽く頷くと、光彦に向かって英語で何かを話したのだが、光彦は英語は全く分からないのである。
光彦がそのとき理解できたのは、“ドリンク”と“レモン”だけだったので、きっとレモネードかレモンソーダでも欲しがったのだろうと思い、千穂子たちを待たせて隣の店へと出掛け、レモネードとレモンソーダを買って来たのだった。
「ボク、これでよかったかな?」
「オォ!イェス。ファンタスティック!」
ジェームスはとても喜んだようにそう言うと、紅茶のために輪切りにして出していたレモンを、全部コップに入れて、その中にレモネードをたっぷりと注ぎ込むと、とても美味しそうに飲んでいた。
光彦は用意した飲み物で、少し英語も分かったかもと、自慢そうな顔をして見せていたが、千穂子はそんな光彦を見て小さく笑っていた。
「なにがおかしいの?」
光彦がそう尋ねと、千穂子は笑いながら小さく首を振って答えた。
「いいえ、何だか橘くんと始めてデートした時のことを思い出して。」
「それにまだ…覚えていてくれたんだね。レモン。」
「あのときオレンジジュースを頼んでくれたけど、後で私が紅茶、それもレモンティが好きだと分かると、次のデートの時からはレモンまで、それも丸ごと注文してくれて。」
「そして今でもああして…」
千穂子はそこまで話すと、息を詰まらせたように言葉を切って、ハンドバッグからハンカチを取り出すと、そのハンカチで目頭を被っていた。
光彦には何にがどうしたのか分からない。光彦は、隣で嬉しそうにレモネードを飲んでいたジェームスを見ると、ジェームスは両腕の脇を絞め、両の掌を上に向け、少し肩を上げて首をすくめ、腕を軽く開くようにして上げていた。それは、ジェームスにも分からないというポーズだった。
「急にどうしたの?」
「ううん、なんでもない。」
「さっきジェームスが言ったことね。あれ、レモネードじゃなくって、あそこに掛かっている絵のことだったの。」
「あの絵、とってもお母さんに似てるって…、あのレモンを持ってる絵。」
「だから私言ったのね、お爺ちゃんにもお母さんにも内緒だよって。」
「実はこのおじさん、おばあちゃんの初恋の人で、だからきっとあの絵、その頃のおばあちゃんだろうって。」
「なんだそうだったのか、ははは。」
「それじゃ娘さんも、あなたに似て綺麗な人なんだね。」
「嫌だわ、橘くん。何だか口も上手になっちゃって。うふふ。」
「いやはや、ははは。」
千穂子がそう言って笑うのを見て光彦は、とんだ勘違いをしたことに頭を掻きながら笑っていた。しかもその笑いは、千穂子にとっても光彦が初恋だったと知った、心底からの歓びで出た笑いだったのである。